
「さらに多くの中国人がアメリカを目指すと思う」
こう話すのはアメリカへの“亡命”を目指し、ことし2月にメキシコ国境を越えた中国人の男性です。
ことしに入って5月までにメキシコとの国境付近で摘発された中国人は1万人超。
去年の同じ時期の17倍に上っています。
いったいなぜ、中国人がメキシコ国境からの入国を目指すのか。実態を取材しました。
(ワシントン支局記者 渡辺公介)
メキシコ国境越える中国人が急増 その実態は?
「保護される中国人が増えています。以前は1か月に1人いるかいないかぐらいだったのに、いまは連日、50人前後もいるんです」
メキシコ国境で起きている“異変”を知らせてくれたのは、アメリカ南部テキサス州の町、ブラウンズビルにある教会で人道支援活動を行っている女性でした。

多くの中南米の人たちが亡命を目指し、法的な手続きを経ずに国境を越えてやってくるアメリカ南部。
そこで活動している女性が「最近、中南米からの人たちに交じって中国人が急増している」と言うのです。
アメリカの国境警備当局の統計データを確認すると、メキシコとの国境付近で摘発された中国人の数はことし1月から5月までで1万728人。去年の同じ時期の17倍に上っています。

いったい何が起きているのか。
取材を進めた結果、「ことし2月に入国し亡命申請中の男性がいま、ニューヨーク市で暮らしている」という情報を入手し、われわれはニューヨーク市に向かいました。
中国語の看板を掲げた店が建ち並ぶ通りから車で5分ほど走ると、男性が暮らしている住宅にたどり着きました。
出迎えてくれた男性の名前は李小三さん、年齢は42歳です。

部屋を案内してもらうと、6畳ほどの広さにベッドはひとつ。荷物はほとんどありません。
この部屋に、別の中国人と2人で暮らしているのだと言います。
「狭いですが、わたしには十分です」
李さんは笑顔でそう言うと、アメリカへの亡命を決めた事情を話し始めました。
李さんが国境を越えたわけ
中国内陸部・河南省出身の李さん。
亡命のきっかけは10年ほど前までさかのぼると言います。
当時、香港に隣接する広東省で自営業をしていた李さんは、中国共産党に批判的な本を数多く取り扱う香港の書店「銅鑼湾書店」にもたびたび足を運んでいました。
2014年、民主的な選挙を求める学生たちの運動「雨傘運動」が起きると、李さんも学生たちとともに抗議の声を上げたのです。

李さん
「香港は中国にとって最後の自由の土地でした。中国政府は『香港は自由だ』と約束していましたが、その約束を破ったのです」

そして2020年、反政府的な動きを取り締まる香港国家安全維持法が施行。
それでもなお、李さんはSNS上に習近平指導部に批判的な投稿を繰り返しました。
するとある日、親族の自宅に6人の警察官がやってきて、李さんに投稿をやめさせるよう警告。さらに、李さん自身も警察署に連行され、SNS上のコメントをすべて消すよう求められたと言います。
李さん
「以前は中国にもいくらか自由がありました。しかし、習近平指導部になってからは10年前にSNSで行った批判まで見つけだし、警察に連行するようになりました。
このままでは子どもや、その子どもたちまで思ったことが発言できなくなってしまいます。
奴隷のように、何の望みもないまま暮らすことはできませんでした。だから中国を去る決意をしたのです」
李さんのように、いまの中国国内の政治状況に希望を持てず、アメリカへの“亡命”を目指す人が少なくないのだと言います。
SNSで広がる亡命ルート“走線”
李さんが亡命手段として選んだのは、SNSを通じて中国人の間で急速に広まっている“走線”と呼ばれる、過酷なルートを通る方法でした。
“走線”の代表的なルートは、ビザを必要としない南米エクアドルから車や船、時には徒歩で北上してアメリカを目指すルートで、その直線距離はおよそ3700キロに及びます。

中国人がアメリカへ亡命を申請する場合、多くは観光ビザなどでアメリカに入国し、その後、亡命を申請すると言われています。
しかし、李さんは所得などの面で観光ビザの要件を満たしておらず、ビザを取得できる見込みはありませんでした。
このため、中国語で「(過酷な)ルートを歩く」という意味の“走線”を選ばざるを得なかったと言います。
“走線”の実態 命がけの亡命
李さんは車などを売って得た1万3000ドルの資金を元にことし1月、息子とともに飛行機でトルコを経由してエクアドルに移動。

そして、バスなどでコロンビアに入国しましたが、そこからが厳しい道のりだったと言います。

コロンビアでは、タクシー運転手を装った男に現金およそ5000ドルと携帯端末などを奪われました。
携帯端末のGPS機能で男の居場所を特定することができ、男は警察に逮捕されましたが現金は戻ってきませんでした。

途中通過する国の国境警備当局などの監視をかいくぐるため、真夜中に移動することもあり、中米パナマでは必要な食料をバックパックに詰め込み、まる2日間、ジャングルの中を歩き通しだったと言います。
強盗が頻発するような危険な地域では、密入国を仲介する犯罪組織に現金を支払い警護をしてもらったほか、中米ホンジュラスでは警察に摘発され、国境の通過を認めてもらう代わりに警察官に賄賂を渡さなければならなかったと言います。
特にメキシコでは、犯罪組織の縄張りごとに現金を支払わなければならず、陸上の検問を避けるためにボートで海を移動しているときにボートから転落し亡くなった人さえいたということです。
「自由はただでは得られない」
一緒にアメリカに来た息子は現地の高校に通っているという李さん。
いま、中国出身者でつくる団体や知り合いの支援を受けながら暮らしています。

ことし5月、チャイナタウンで開かれた支援の催しには、李さんだけでなく大勢の中国人が集まり、衣服や生活雑貨を受け取っていました。
李さんによると、そのほとんどが歩いて国境を越えてアメリカに入国した仲間だと言います。
アメリカで暮らしていく上での生活情報を交換しながら、お互いに肩を寄せ合うようにして暮らしているそうです。わたしたちの取材中にも李さんは知り合った仲間たちと携帯電話で頻繁にメッセージのやりとりをしていました。

「“走線”を使った亡命の動きは今後どうなると思うか」
インタビューの最後に李さんに尋ねると、次のような答えが返ってきました。
李さん
「道半ばで死んでしまうかもしれませんが、“自由”はただでは得られません。危険を冒さなければならないのです。
中国から国境を越えてアメリカに入るこのルートはいま、インターネットで急速に広まっています。さらに多くの人たちがアメリカを目指すと思います」