
「たとえ香港という街が死んでしまうとしても、どんな風に死ぬのか市民は知るべきだ」
「何より怖いのは沈黙に慣れていくこと」
言いたいことが言えなくなり、罪に問われるかもしれない。
言論の自由が失われるというのはどういうことなのか。
究極の選択を迫られた記者たちの姿を追った。
(香港支局長 若槻真知)
「新聞がなくなる」衝撃

「わたしの人生もここで止まってしまったようです」。
人けのない、かつての勤務先を見て蔡元貴さん(52歳)はそうつぶやいた。
蔡さんは中国に批判的な論調で知られる「リンゴ日報」の記者だった。
他のメディアで経験を積み1999年に入社。それ以来、主に地元の社会問題などを取材してきた。自ら志願してイラクの戦地を取材したこともある。
思いついたことは何でもやってみようと後押しする、そんなリンゴ日報が好きだった。
蔡元貴さん
「記者になりたてのころ別のメディアで働いていて、上司に言われたことをそのまま書くような記者でした。
でもリンゴ日報に入ってからは、自分が記事を書くことで、読者や社会に影響を与えるかもしれないという使命感がありました。どう報道すれば社会にとって有益なのか常に意識するようになりました」
1995年に創刊された「リンゴ日報」。蔡さんはそこで取材を統括するデスクだった。
香港の民主化を訴える立場を鮮明にし痛烈な政府批判を繰り返してきたが、2020年6月に香港国家安全維持法が施行されてからは、取り上げる話題も慎重に判断するようになったという。
それでも締めつけから免れることはできなかった。
2021年6月、リンゴ日報は発行停止に追い込まれた。
蔡さんの同僚で、外国勢力と結託し国家の安全に危害を加えたなどとして逮捕された編集幹部ら7人は、1年以上たった今も勾留されたまま。
裁判は長期化が予想され、いつ社会に復帰できるのか全くめどはたっていない。
誇りに思う「最後の夜」

リンゴ日報がその歴史を閉じた日、蔡さんは社屋の3階にいた。
最後の紙面に載せるため、長年の読者たちから集めた「惜別のメッセージ」をとりまとめていた時、外に集まった大勢の人たちからわき上がった『ありがとう』という声がはっきりと聞こえたと言う。
あの日、私は土砂降りの雨に降られながら、集まった人たちの中で取材していた。リンゴ日報がなくなることを嘆き悲しむ市民の姿を見て、ここまで読者に支持されていたことに驚いた。
蔡さんも、その光景にとても感動したという。そして「自分たちのしてきたことは、間違っていなかったと思った」と話した。
リンゴ日報がなくなってから数か月の間、蔡さんは記者を続ける道をさぐっていた。
しかし、職を得た民主派寄りのネットメディア「立場新聞」もまた2021年12月、閉鎖に追い込まれる。「リンゴ日報」と同様、掲載した記事を問題視され、編集長ら幹部が警察に逮捕されたのだ。
その他のネットメディアも次々に姿を消した。
蔡さんは「もう選択肢がなくなった」と感じ、記者の世界から身を引くことを決意した。
蔡さん
「疲れてしまいました。あんな形で記者人生を終えることになり、気持ちを割り切ることができず、人生の一部が欠けてしまったようでした。
でもやれることはすべてやったと、香港人に大事にされたリンゴ日報の一員だったことを誇りに思うようになりました」
本当に怖いのは

いま、蔡さんはハンバーガー店の店員や観光ガイドなどの仕事を転々としている。
私には新しい道を歩き出した蔡さんが、意外にふっきれているようにも見えた。
蔡さんは「全身全霊を傾けた記者の仕事を奪われたら、毎日酒の力を借りないと生きていけなくなるのではないかと思ったのだけど、そうでもなかったんですよ」と笑うのだ。
でもー
「何より怖いのは、沈黙に慣れていくこと」
こう話すと一気に顔を曇らせた。
香港では、すでにずいぶん前からデモは姿を消した。普通の市民ですら、政治的な発言や行動には気を使うようになった。
100万人規模の人たちが通りに繰り出し、政府への不満を叫んだ街の様子は一変している。
蔡さんは自由な発言が抑え込まれた今の状況が当たり前になっていくことが怖いのだと繰り返した。
蔡さん
「もっと批判すべきことがいっぱいあるはずなのに、今の新聞はそれをやらなくなりました。読者もある程度はそれを理解しています。いまの状況では、不満があっても妥協してしまう。それが現実なのです」
リンゴ日報や立場新聞などが姿を消したのと同じころ、大手の新聞社やテレビ局の記者や解説者が辞職したり、仕事を失ったりしたという話をよく聞くようになった。
私の友人も「会社のトップの方針が変わって居場所を失った」と会社を離れていた。
記者をやめた人たちの中には、香港を離れた人も少なくなかった。
恐怖は捨てなければならない

そんな中で、記者を続ける道を選んだ人もいる。
「記者以外にやりたいことも見つからないしね」。
立場新聞の記者だった、林彦邦さん(37歳)は、そう言って笑った。
立場新聞の閉鎖から4か月後の2022年4月、林さんはたった1人で、ニュースサイト「ReNews」を立ち上げた。言論の自由はどこまで許されるのか、やれるところまでやりたいと考えたからだ。
リンゴ日報などがなくなり、市民の間で失われつつあるニュースへの関心を取り戻したいと言う。
記者を続けることで、かつての同僚のようにある日突然逮捕されるかもしれない。もちろんリスクはあるが、それも覚悟の上だ。
林彦邦さん
「自分に制限をかけたくないのです。まだ香港で自由を守ろうと思うならば、恐怖は捨てなければならない。自分が正しいと思うこと、書くべきことを書く。本当にダメなことが何かわからないのなら、考えるのをやめようと思いました。
無理して危険なことに手を出す必要はないが、やると決めたら、恐れるのをやめよう、ダメだとはっきりわかっていること以外は何でもOKだと考えることにしたのです」
林さんが伝える今の香港

林さんが取り上げるのは主に政治の動きについての分析や、大手メディアが取り上げなくなった民主派の動向など。
抗議活動に関連して実刑判決を受けた民主活動家の出所などは、直接現場に足を運んで取材する。
毎日4、5本の短い記事をSNS上のサイトに投稿するほか、その場で中継することもある。運営は読者からの支えでまかなっていて、発信を始めて1か月で読者は2万人ほどになった。
読者からは「伝えてくれてありがとう」とメッセージも届くという。

6月4日、私は林さんと香港島中心部のビクトリア公園に向かった。香港の人たちにとって特別なこの日に、何が起きているのか見届けるためだ。
1989年6月4日、北京で天安門事件が起きた日にあわせて、香港では毎年、数万人の市民が公園に集まり犠牲者を悼んできた。大規模な抗議活動が本格化する前だった2019年には18万人が集会に参加したとされる。
中国政府がタブー視する天安門事件の集会を香港で開くことは、香港に「言論の自由」が許されていることの証しであり、市民はそれを誇りに思ってきた。
国家安全維持法施行直前だった2020年、そして施行後の2021年でさえも、集会が禁止される中、公園やその周辺には多くの人が集まったのはそのためだ。

この夜、林さんと私が公園で目の当たりにしたのは、ものすごい数の警察官。園内には誰も入ることは出来ず、外で立ち止まることさえ許されなかった。
私たちの目の前で、白い花束を持った高齢の男性が警察官に大声で追い立てられ、近くを通りがかっただけの若者たちが持ち物を調べられていた。
警察官は何度も規制線を張り直し、私たちも公園からどんどん遠く離れた場所に追いやられていく。
林さんはその様子をスマートフォンで発信し続けた。
取材が終わって帰る間際、林さんは「普通の市民が公共の場所に立っているだけなのに、何の問題があるんだろう。いったい何を恐れているのだろうか」と怒りをあらわにした。
市民が大切にしてきた追悼の集会は、国家安全維持法下の香港では今後も開くことはできないだろう。そしてそのことを市民がどう思っているのかを伝える手段も限られている。

林さん
「今さら何かを変えられるのか。いまの制度のもとでは、それは無理かもしれません。
しかし、たとえ、香港という街が死んでしまうのだとしても、どんな風に死ぬのか、市民は知るべきです。
一人だけでできることには限界はありますが、リンゴ日報などができなくなった隙間を埋めたいのです」
「愛国」であることを求められるメディア
香港の言論の自由は今後、どうなってしまうのか。
言論を厳しく規制する中国本土にますます近づく将来を暗示するような発言があった。
中国政府の出先機関トップは6月12日、中国政府系の香港の新聞「大公報」の創立120年を祝う式典で、習近平国家主席のメッセージを代読し、次のように述べている。

中連弁 駱恵寧 主任
「香港という多元的な社会において、特に必要なのは『愛国者』のメディアが清らかなものを持ち上げ、濁ったものを取り除くこと、そして自らの使命を貫き、責任を持って働くことです。習総書記が寄せた期待は、すべての『愛国者』のメディアに寄せた希望でもあります」

公務員や政治家は愛国者でなければならないと、民主派を排除したのと同様、中国の指導部は、メディアもまた愛国者であるべきだと求めている。
その中国の考えに従う形で、香港政府は、メディアの統制をさらに強めるための新たな法律の整備を検討している。うそや不正確な情報を流して国家の安全に危害を加える行為を禁止するためだという。
この法律の主なターゲットは、ネットメディアやSNS上の討論などだと見られている。
林さんが「ReNews」をいつまで続けられるのか。
それは、今後の香港の「言論の自由」の状況をはかる物差しになるだろう。
香港から見えるもの

私は2018年から香港に駐在し、まもなく離任する。この間ずっと市民による抗議活動、そしてその後の香港を取材してきた。
私が香港の記者なら、どんな選択をしただろうか。元リンゴ日報の蔡さんのように区切りをつけられるのだろうか。あるいは、「ReNews」の林さんのようにふんばり続けることができるのだろうか。
答えは出ないままだ。
蔡さんはこう言う。
「社会がこんな風に逆戻りするなんて思いもよらなかった。しかもこんなに速いスピードで」
自由はいったん失われ始めると想像もしないほどのスピードで失われていく。変化はあっという間だということは、私もこの4年間で強く強く実感してきた。
それだけは忘れない。