
※この記事は2021年11月8日に公開したものです
「これで言い渡しを終わります」
裁判長の事務的な判決が言い終わるやいなや、傍聴席から
「頑張れ!」「いつまでも応援するよ!」
の大合唱。
ガラスのパネルで仕切られた向こう側の席にいた被告たちが
「民主を我らに!」
「みんながんばろう!」
などと言って拳を挙げ、刑務官に引っ張られ法廷をあとにしていく。
何度、こんな光景を見たことだろう。私はもう1年半以上、香港で裁判所通いを続けている。今やここだけが、市民の心の叫びを直接見聞きできる唯一と言っていい場所になっているから。
忘れないために書いておく
私は2018年7月に香港に赴任した。2019年夏から本格化した大規模デモは年を越しても続いた。それを最初から現場で見続けてきた。
時に香港の未来を熱く語る若者たちに胸が熱くなったり、過激化するデモで混乱していく街の様子に心を痛めたりしてきた。

そして2020年、香港国家安全維持法が施行。
これによって活動家や政治家、新聞記者まで、民主派の主要な人たちはほぼすべてが拘束され、街中から姿を消した。
その代わりに法廷では毎日毎日、冒頭に書いたような光景が繰り返されている。
「香港の民主化運動はもう終わった」
という人もいれば、
「混乱から安定を取り戻した」
などという人もいる。
でも少なくとも裁判所では民主派の闘いが続いている。
新型コロナの影響もあって、デモの当時から国家安全維持法の施行後も、激変する香港の今を追い続ける日本メディアの記者はごくわずかだ。
そして取材できる空間が急激に狭まっていることを実感するからこそ、香港に居続ける私はなるべく多くの現場に直接足を運び、人々のことばに耳を傾けなければと思っている。
でも日々あまりにいろいろなことが起きすぎて、そして動きが速すぎて、伝えきれないと焦るばかり。
まずは、今一番気になっている彼女のことから書いておきたい。
いろいろ考えてもしょうがないから
この2年あまりで私が直接話しを聞かせてもらった人たちの中には、逮捕、起訴されて今はもう自由には会えない人たちが何人もいる。

鄒幸彤さん(36)もその1人。
最初の出会いは2020年5月、街なかで行われていた街頭宣伝活動を取材した時、その場にいた彼女にインタビューした。
中国の習近平指導部によって、香港で反政府的な動きを取り締まる国家安全維持法の導入が決定されたばかりで、来たる法律の施行を前に、彼女はこう批判していた。
鄒幸彤(すう・こうとう)さん
「私たちのような活動はもうできなくなるでしょう。でももっと怖いのは、新しい法律が社会に恐怖感を植え付け、人々を沈黙させてしまうことです」
香港国家安全維持法に対する民主派の人たちの憂慮を的確に表現していたと思ったけれど、このとき私は彼女のことをあまり気にとめていなかった。
彼女はほかにも多くいる著名な活動家たちの陰に隠れて、表舞台で発言することも少なく、どちらかと言えば“裏方さん”という印象だったから。
鄒さんはイギリスの名門、ケンブリッジ大学を卒業した弁護士。化粧っ気のないTシャツ姿でケラケラとよく笑い、「だれもこの先のことはわからないし、いろいろと考えてもしょうがないから」と話していた。

イギリス留学中に民主化運動に興味を持ち、中国本土の労働者や活動家の支援に関わるようになったという。
そして帰国後、香港の市民団体「支連会(香港市民支援愛国民主運動連合会)」に加わった。
支連会は1989年5月、北京で民主化を求めて座り込みを続ける学生たちとの連帯を示そうと、香港で結成された団体だ。
学生たちの運動が武力で鎮圧された天安門事件に抗議の集会を開き、その後も32年にわたって犠牲者を追悼し、事件を伝え真相を追求してきた。
当時の学生運動をきっかけに始まった団体だから、メンバーはほとんどが50代や60代。事件当時は4歳だった鄒さんが前面に出る場面は多くなかったのかもしれない。

たとえ1人になっても
最初の取材からちょうど1年後のことし(2021年)6月、支連会の副代表として積極的に発言する鄒さんに会った。
この時すでにほとんどの幹部が逮捕、勾留されていて、ほぼ唯一保釈されて自由の身だったのが鄒さんだった。鄒さんはことしも追悼集会を開こうと訴えていた。

支連会が30年にわたって毎年6月4日に開いてきた追悼集会は、去年(2020年)「新型コロナウィルス対策」を口実に初めて許可されなかった。
私はその去年(2020年)の夜のことを、今も鮮明に覚えている。集会は不許可だったにも関わらず、予定されていた公園には市民がろうそくを手に続々と集まり、その場を埋め尽くした。
その数、数千人。
歌を歌う人もいれば、静かに目を閉じて祈りを捧げる人の姿もいた。それが香港市民の「声」だった。

「追悼集会を続けたい」。鄒さんがかたくなに主張する姿は、私には「逮捕されたほかの幹部たちの分まで自分がやり遂げなければ」という強い責任感から来るもののように見えた。
しかし鄒さんが警察に申請した追悼集会はことし(2021年)も禁止になり、6月4日当日、会場になるはずだったビクトリア公園は午後になると封鎖された。

「たとえ1人でも追悼する」と言っていた鄒さんは、この日の早朝、「禁止された集会を呼びかけた」として逮捕されていた。
呼びかけた鄒さんが拘束され、追悼しようという人はどれくらいいるのか。気になった私は夕方、公園を見に行った。
警察官の姿しかない。

「禁止された集会を行うと罪に問われる」
静まり返った園内に時折、不釣り合いな大音量で警告が鳴り響いていた。
しかし公園の外を見ると、大勢の市民がスマートフォンの灯りをともしながら歩いていた。人の数は去年に比べれば格段に少なかったが、それはとても静かで、厳かな姿だった。
市民たちは力ずくで抑え込もうという当局の姿勢に無言で抗議していた。行列は公園の周辺から1キロほど離れた隣駅の繁華街まで続いていた。

【香港の「音」】 大勢の市民がスマホをつけながら歩いていた2021年6月4日夜の香港、このときの街の音
他の街でも同様の光景が見られた。私は「気が済まない」と思う市民が、まだこんなにたくさんいるんだと、正直驚いた。
2日後に鄒さんは保釈された。警察所の前に集まった記者たちの前で、鄒さんは多くの市民が追悼の気持ちを表してくれたことに、ただ感謝の言葉を述べていた。