
「娘は言葉を発することもなくなりました。早く笑顔を取り戻してほしい」
「息子は憎しみから、ロシア兵が殺される映像ばかり見ています」
軍事侵攻を受けるウクライナで暮らす親たちが発した言葉です。
日常を奪われた子どもたちに何が起きているのでしょうか?
(国際部記者 山澤里奈)
病院への攻撃は禁じられているのに
その少女と会ったのは、首都キーウにある国立オフマディート病院でした。年間2万人の患者が受診する国内最大の小児病院です。

ソフィーア・サハナーツカさん。両手で松葉づえをつきながら、ゆっくりと私の前に現れました。肩の下までのびた髪。まだあどけなさも残る12歳の顔は、日本から来た私たちの取材に対する緊張からか、どこかこわばっている印象を受けました。ただ、あとからそれが違っていたことが分かりました。

ソフィーアさんの出身はウクライナ南部のヘルソン州です。8年前から右足に骨の感染症の骨髄炎を患い、地元の病院に入院していました。
そして…、あの日を迎えました。
ヘルソン州に侵攻してきたロシア軍がソフォーアさんが入院していた病院を攻撃したのです。病院への攻撃は国際人道法で禁じられているはずなのに。
ソフィーアさんにけがはありませんでしたが、入院が続けられなくなり、自宅に戻らざるを得ませんでした。
兵士の銃口が…
さらに、ソフィーアさんに信じられないことが起きました。
ロシア軍は、去年3月中旬にはロシア軍が州全体を掌握したと発表。およそ8か月にわたっての占領が始まりました。

ソフィーアさんの自宅にも銃を持った兵士が頻繁に来るようになったそうです。
そして、ある日の早朝。まだ子どもたちが寝ている時に兵士が入ってきて、目を覚ましおびえるソフィーアさんに銃口を向けたといいます。
もう少し待てば、ウクライナ軍が解放に来てくれる。母親のリュドミラさん(50)は、そう子どもたちに言い聞かせ、落ち着かせました。

ソフィーアさんの母親
「毎日、街なかにいるロシア軍を見て娘は恐怖を感じるようになりました。家の中でも部屋に閉じこもるようになり、ロシア軍に聞かれるのではと、ことばを発することもなくなりました」
母のせつなる願い
あの日から変わってしまった娘。
リュドミラさんが一枚の写真を見せてくれました。侵攻が始まる半年前、夏休みに家族旅行で黒海に面したオデーサに行った時の写真です。

海をバックに、両手を広げるソフィーアさんが写っていました。その顔は、はにかんだように、そして優しくほほ笑んでいました。
この笑顔を返して欲しい。ただ、それだけが願いです。
母親
「以前はとてもおもしろい子でした。遊ぶのが大好きで、想像力が豊かで、じっとせず、いつでも何かをしている元気な子だったんです。はやく笑顔を取り戻してくれればと強く願っています」
多くの子どもたちの心に傷
ウクライナ政府などによりますと、これまでに4000を超える学校などの教育施設が破壊されました。
さらに、国連によりますと、推計でおよそ150万人の子どもたちが、うつやトラウマなど心の問題に直面しているおそれがあるといいます。
ただ、どのくらい被害が広がっているのか、戦争が続くなかで、その状況を正確に把握することは難しいのも実情です。
少しずつ、焦らずに…
ソフィーアさんはいま、首都キーウの病院で週に数回、カウンセリングを受けています。
取材で同行したこの日、ソフィーアさんはカウンセラーから絵を描くよう勧められました。

カウンセラーがあげたテーマは、「将来なりたい自分の姿」。
考えながら、ソフィーアさんが描いたのは…、いすに座った女性と向き合う親子の絵。

話を聞くと、いすの女性はカウンセリングをする理学療法士でした。
自分のように病を抱える子どもたちのために働きたい。
その思いから、この絵を描いたのだと教えてくれたソフィーアさん。その瞬間、少しだけ、本当に少しだけですが、笑顔を見せてくれました。
ソフィーアさんのカウンセラーは、将来や自分の夢について考えることの狙いを、こう話しました。

ソフィーアさんのカウンセラー
「ソフィーアさんは精神的に不安定で、不安を感じずに生活できる環境を整えることが何よりも重要です。そうすることで、生きることに目的を持ち、前向きになり、回復していくことができると思います。子どもは自分の苦しみをことばや表情などで表せないことが多いんです。だから、深刻な状態に周りが気づかず、対応が遅れることで、状態をさらに悪化させることにつながりかねません。大人以上に丁寧なケアが必要です」
現地取材で感じたこと
ウクライナで1か月間取材して感じたのは、一見すると、ふだんどおりに過ごす子どもでも、その笑顔の裏には、危険と隣り合わせであることへの不安や、何かを失った悲しみを抱えているということです。
私がキーウで出会った男性は「10歳の息子は、ロシアへの憎しみが強いあまり、ロシア兵が殺害される映像を繰り返し見ている。非常に心配だが、でもこれが戦争なんだ」と話していました。
戦争の影響を受けていない子どもは1人もいないと思います。
戦争が終わる見通しは全く立っていないのが実情ですが、子どもたちへの支援は待ったなしの状況だと強く感じました。
