文化

生誕200年 今こそ読みたいドストエフスキー

生誕200年 今こそ読みたいドストエフスキー

2021.11.26

『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などで知られるロシアの文豪・ドストエフスキー。ことし生誕200年を迎えた作家のことばが再び注目されています。

 

なぜ今、ドストエフスキーなのか。

 

20年前からドストエフスキー作品の翻訳を続けてきた、ロシア文学者の亀山郁夫さんへのインタビューから迫りました。

ドストエフスキーは“捕まえる”

ドストエフスキー(1821-1881)

「長くて難解」「とっつきにくい」。そんな感想を抱く人が後を絶たないドストエフスキーの作品。読み始めたものの挫折したという人も多いのではないでしょうか。しかし、その世界に魅了され、より読みやすい翻訳に挑戦してきたのが、名古屋外国語大学学長の亀山郁夫さん(72)です。亀山さんは、ドストエフスキーの魅力を次のように語ります。

亀山郁夫さん

「ドストエフスキーの何がすごいかって“捕まえる”んですね。無意識のうちにガッと捕まえる。だから本当に最初に『罪と罰』を読んだ時、主人公のラスコーリニコフ青年に完全にシンクロしてしまって」

ドストエフスキーの5大長編の1つ『罪と罰』。殺人を犯した若き青年・ラスコーリニコフが、彼を受け入れる女性・ソーニャとの出会いを通じて、罪の意識や愛に目覚めていく物語です。

『罪と罰』

誤った正義感で老婆を殺したラスコーリニコフが抱える、現実と理想のかい離からくる苦悩。その背景にある当時のロシアに広がっていた拝金主義と格差社会。そして、彼を愛する人々にあらわれるキリスト教的な宗教観。15歳の時にこの作品を手に取った亀山さんは、殺人を犯した主人公が自分に乗り移ったような感覚を抱いたといいます。

「自分自身がさながら殺人犯に成り代わったような恐怖と孤独。そして、最後に彼自身が大地にひざまずき、大地にキスをして許しをこう場面では、本当に自分自身が救われたようなほっとした気分になったというか。非常に貴重な小説体験をして、今をもって『罪と罰』の経験に見合う小説読解の経験はないですね」

現代社会への警告

ことし11月11日に生誕200年を迎えたドストエフスキー。亀山さんは、社会に“不寛容さ”が広がっている今こそ、その作品を読む価値があるといいます。

「インターネットが普及した現代社会は、ちょっとした行動の逸脱がすさまじいバッシングにあう非常に不寛容な社会といえます。恐らくドストエフスキーが今この時代にいたら、この社会の不寛容さに真っ先に目を向けるでしょう。SNS上での匿名の攻撃に代表されるように、一人ひとりが自分の正義を振りかざして他者を追い詰め、弱肉強食的な世界が肯定されるようになってきている」

ドストエフスキーは『罪と罰』のなかで、みずからの信念は絶対に正しいと思い込み殺人を犯す青年、ラスコーリニコフを描いています。そして、そうした「おごり」こそが、人間が陥りがちな最も危険な“病”だというのです。おごりを捨て、みずからの間違い(=「罪」)を認めること。それこそがドストエフスキー作品に通底する重要なテーマだと、亀山さんはいいます。

「ドストエフスキーが若いころから最晩年の『カラマーゾフの兄弟』に至るまで追求しているテーマというのは、自分の〝罪ある存在に目覚めよ〟なおかつ〝その罪ある存在を肯定しつつ生きよ〟ということなんです。おごりを捨てて罪を認める。そして自分の罪を許し、なおかつ他者の罪も許す。許し合いの共同体のようなものをドストエフスキーはイメージしていた」

不寛容社会への処方箋

さらに亀山さんは、ドストエフスキーの作品には、不寛容な社会を生き抜くためのヒントがあふれているといいます。その例としてあげるのが、『地下室の記録』という作品の一節にある“二二が四は死の始まりである”ということばです。

「人生は朝起きて、食事をし、職場に出て、そして帰って来て、また寝るということを繰り返す。そこでは“二二が四”という数式が当たり前に存在している。しかし、その数式から逸脱することを許さない不寛容な社会に身を置くことで、人間は徐々に緩慢なる死を遂げていくと、ドストエフスキーは考える」

脇道にそれることや、常識から逸脱する人に不寛容な社会。ドストエフスキーは、そうした社会で閉塞感を抱える人々に対し「人間の可能性は数式だけでははかれないところにある」という勇気あるメッセージを投げかけたと、亀山さんはいいます。

「ドストエフスキーをなぜ今読むのか。生誕200年だから読むのではないんです。作品に込められているのは、ある意味で不寛容な、一人ひとりが自分自身の安全と安心だけにしか関心がなくなってしまったような現代社会の中で、本当に見失われがちな精神性や考え方だと思うんです。われわれはもっとおおらかに人の気持ちを理解し、人の罪を受け入れるという気持ちにならないといけない」

結末を知って読んでも

ことしドストエフスキーの5大長編小説、『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『白痴』『未成年』の翻訳を終えた亀山さん。そのほかの短編も含め、文庫本にして21冊、合計およそ1万ページを20年がかりで訳し尽くしました。

そんな亀山さんは、ドストエフスキーを読んで挫折したという人に向けて〝あえて結末を知った上で読む〟という、驚きの攻略法を教えてくれました。

「読む前にストーリーをばっちり頭に入れてそこから読みだすということも、1つのドストエフスキーのアプローチの方法として決して悪くはない。ドストエフスキーは一筋縄ではいきませんから、むしろ頭にストーリーが入っていたほうが、はるかに深い経験ができるっていうところもあるんです。人間の精神というのはここまで広いものなのか、ここまで人間の考え方は深められていくのかと、日常生活が全く別の世界に見えるくらい、深い、深い豊かな海に入っていけるんです」

いつまでも語り合いたい

最後に亀山さんは、新型コロナウイルスの感染の終息も意識しながら、熱のこもった声でこう締めくくりました。

亀山郁夫さん

「世界から何か大事な真理や価値が見失われようとしている中で、人類の気持ちが1つになれるような精神性というものを探し当てることはできるのだろうかと考えた時、僕はひょっとするとドストエフスキーの文学は人々を結び付ける大きな絆になれるんじゃないかということを、ふと思ったりするんです。一人ひとりが別々のドストエフスキー体験を持って、やはりロシアの人はコニャックやウォッカを傾けながらでしょうけれども、われわれはビールでも飲みながら語り合いたいなと思います。その日が早く来ることを祈っています」

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