証言 当事者たちの声“人生を変えてくれた” 主治医を失った患者たちは 26人死亡 大阪クリニック放火事件

2022年2月2日社会 事件

大阪市内のビルに入る心療内科のクリニックが放火され、26人が犠牲となった事件。
1か月が過ぎた今も、現場には患者がたびたび訪れ、手を合わせている。

通院していたのは、周辺の府県を含め少なくとも800人。

私たちは今回、現場で出会った患者1人1人にあらためて話を聞き、事件の影響について取材した。

実感したのは、現場のクリニックが彼らにとって文字どおり“かけがえのない場所”だったことだ。

(※3月8日追記 この事件に巻き込まれて亡くなった方は26人となりました)

(取材班:細川高頌 髙田実穂 冨士恵里佳)

不安に襲われる…患者に深刻な影響が

1月12日。現場のビルの前で、「西梅田こころとからだのクリニック」が入る4階をじっと見上げていた女性がいた。事件の後、ここを訪れるのは6回目だという。

「ここが今生きている原点です。このクリニックがなかったら今の私はないですね」

2年余り前から通院していたという、発達障害がある女性(54)。

亡くなった院長の西澤弘太郎さん(49)の勧めで去年の秋、地元の会社に障害者雇用の枠で就職した。

西澤弘太郎院長

学習面などでつまずき、ずっと生きづらさを抱えてきたが、西澤院長が障害のことやこれまでの人生について初めて理解し、受け止めてくれたという。

その上で、働きやすい環境に導いてくれたことが大きな救いになったそうだ。

院長が亡くなったことを女性が知ったのは、事件の2日後。

テレビのニュースを見ていた時だった。その瞬間、頭の中が真っ白になったという。

女性
「その日はずっと、亡くなった人の身元確認の発表を待っていました。それで西澤先生の名前があって。私にとっては精神的な支柱だったので、なんでやのと・・」

ショックのため翌日、仕事を休んだ女性。
薬を処方してもらうため、事件の5日後には転院先で診察を受けたが、西澤院長の話が出たとたん悲しさが一気にこみ上げ、涙が止まらなくなってしまったという。

その後も事件の話になると気持ちが沈んだり、日中を中心に突然、強い不安に襲われたりするようになり、転院先で処方してもらった症状を抑える薬を飲むことが増えた。

女性
「日中、不安に駆られた時は薬を飲むために仕事を抜けるようになりました。1日3回までと言われているのですが、先生が亡くなってからは3回飲む日も出ていて、もらった薬があっという間に減ってびっくりしています。全然気がつかなかったんですよ、こんなに飲んでいるなんて」

影響はそれだけではなかった。

2年余り前に初めてクリニックを訪れた時、女性は出入り口が1か所で、診察室までの距離が長いことに気がついた。火災が起きた時に逃げ切れるのか、不安に感じたという。

その不安が現実のものとなったことに、女性は大きな衝撃を受けていた。

このため、事件の後は同じようなビルに入ることが怖くなり、体が震えるように。入った後も「誰かがガソリンをまいて火を付けたらどうしよう」という恐怖に駆られるようになった。

日を追うごとに火災の映像が突然頭に浮かぶことも増え、そのたびにみぞおちを殴られているような感覚に陥るという。

このままでは生きがいとなっている仕事にも影響が出てしまうのではないかと、不安な日々を過ごしている。

女性
「私の場合、環境が合わなかったりすると頭が痛くなってしまいます。仕事は今は楽しくできていますが、このままでは頭痛や体調不良にも悩まされるのではないかと心配で、西澤先生のいない世界でこれから生きていけるのだろうかと思うこともあります。

クリニックの近くに行くと、引き寄せられるように現場に足を運んでしまうんです。そこにまだ先生がいるような気がして」

私たちは、これまでに現場で出会った患者のうち、21人にあらためて話を聞いた。事件が生活などにどのような影響を及ぼしているのか取材し、現状を伝えることが大事だと考えたからだ。

患者の多くは、大変な状況にもかかわらず「事件を風化させたくない」「心療内科に通う人のほとんどが社会でまじめに生きていることを伝えたい」と、快く応じてくれた。

うつ病の症状再発 将来の目標も…

取材した患者の中には、心や体だけでなく、今後の人生設計にまで影響が出ている人もいる。

30歳の男性は、うつ病などで6年前からクリニックに通っていた。
かつて、学校の部活の合宿で食事を無理やり食べさせられた経験がトラウマとなり、人前で食事をすることが苦手になったという。それを克服したいと、通院を始めたそうだ。

当初は「社会不安障害」と診断されたが、半年ほどしてうつ状態になり、当時勤めていた会社を退職。その後は、クリニックが行っていた「リワークプログラム」に毎週参加するようになった。

リワークプログラムとは、カウンセリングやグループワークなどを通じて職場への復帰や定着を支援する取り組みのこと。男性は、派遣社員として再び働き始めた後も夜のプログラムに通い、仕事を長く続けられるよう努力してきた。

西澤院長のサポートと、境遇が似た仲間たちとの交流が大きな支えになり、最近は症状も落ち着いていたという。

男性が使っている参考書

そして「周囲の理解がより得られやすい職場の方がいい」という院長の提案で、ことしの秋には障害者雇用の枠で地方公務員の試験を受けることになっていた。

事件が起きたのは、その準備を始めた矢先のことだった。
当日も、クリニックで今後の方針について院長と話し合う予定だったという。

男性
「急に親から電話がかかってきて『病院が燃えてるよ』って。先生は助かるのではないかと心の中で信じていましたが、訃報が届いてしまって。リワークプログラムでお世話になったスタッフも巻き込まれたと聞き、これからどうすればいいのか分からなくなりました」

リワークプログラムへ通いながら、受験勉強をしようと考えていた男性。
その計画が白紙になった上、事件のショックもあり、不眠などに悩まされるようになった。

事件の2日後には別のクリニックに転院したが、再びうつ病の症状が出ていると診断され、1週間余りにわたって仕事を休まざるを得なくなったという。

今も睡眠導入剤が手放せない上、ビルに入ることに恐怖を感じるなど、生活への影響が続いている。
気持ちが沈み、公務員試験の勉強は手につかなくなった。

今後は、仕事のペースを週3日に減らして机に向かう時間を確保しようと考えているが、本当に再出発できるのか、自信が持てない状態だという。

男性
「西澤先生は薬の処方だけでなく、仕事の悩みなどさまざまな相談に乗ってくれる、私にとってのセーフティーネットそのものでした。今は睡眠導入剤を飲んでも夜中に目が覚めたり、ニュースを見て事件のことを思い出したりといった生活で、相談することもできず不安が募ります。先生のように人の役に立ちたいと思って公務員を目指したので、なんとか頑張るしかないですね」

時間がたってから症状出るケースも

今回の取材で、症状の再発や不眠などの影響が出ていると答えた患者は21人中、14人に上っていた。

気分の落ち込みや不眠に悩む人が最も多かったが、「感情の波が激しくなり、家族に怒ることが増えた」「夜、理由もなく不安に襲われて泣いてしまうことが増えた」といった声もあった。

一方で、今具体的な症状などがなくても、影響がないとは必ずしも言えないと指摘する医療関係者もいる。

事件が起きたクリニックに通っていた患者20人を受け入れた、大阪・中央区にある心療内科のクリニックが取材に応じてくれた。

ここでは、過去にどのような治療や薬の処方を受けてきたかを患者から聞き取った上で今後の治療方針を立てているが、ほとんどの患者は今回の事件について語ろうとせず、表向きは大きな影響は受けていないように見えるという。

しかし、院長の西井重超医師は、今はショックを心の中に閉まっている状態にあるとみている。

今後、何かのきっかけで事件のことを思い出した際に、うつ病などの症状が悪化したり、PTSD=心的外傷後ストレス障害を発症したりするおそれもあるという。

このため、クリニックでは患者の心の負担にならないよう、事件のことを無理に聞き出したりはせず、慎重に治療にあたりたいとしている。

西井重超医師
「ショックな出来事があった場合、一定期間たった後にPTSDなどの症状が出てくる人もいます。そうした症状が出てきた場合はしっかりとしたケアが必要です。

ほかの患者さんも含め、今回の事件は大きな衝撃だったと思います。とにかく患者さんの味方になって治療を続けていきたい」

“かけがえのない場所”を求めて

現場のクリニックが患者にとってどのような存在だったのかがよく分かる、発達障害の男性の言葉がある。

「54歳で初めて診断を受けました。

『実は先生、僕は薬を飲むのに抵抗があって、こういうクリニックを受診するのは初めてなんです』って言ったら『ハァーッ、それは本当に大変でしたね』と声をかけてくれたんです。たったひと言なんですけど、この先生は僕がどれだけ苦労してきたかというのを自分ごとのように捉えてくれているなって。今までいろいろな痛みや悔しさ、苦しみを背負ってきましたが、そのたったひと言で救われたんです。

これまで、自己肯定感を下げるものは性格のせいだと思っていたので、努力ではどうにもならない障害が理由なのだと分かり、ものすごくほっとしました。

世界でたった1人でいいので、そういう方がいるというのは僕にとって大きな事だったんですよ。本当に人生を変えていただいた」

患者が本当に信頼し、心を開くことができる医師と出会うのは簡単ではないという。

取材した21人の中には、いまだに転院先が見つかっていない人もいる。

26人もの尊い命と、多くの患者の心のよりどころを奪った今回の事件。

患者に寄り添い続けた医師がいたという記憶を伝えるために、そして残された患者にどのような支援が必要か考えるために、これからも取材を続けていきたい。

【大阪府・大阪市の専用相談窓口】
今回の事件を受けて、大阪府と大阪市はクリニックに通っていた人を中心に相談を受け付ける専用の電話窓口を開設しています。

ケースワーカーなどが、治療を受けられる医療機関や手続きを紹介したり、心のケアにあたったりしているということです。

●大阪府 06-6697-0877(平日の午前9時半~午後5時)
●大阪市 06-6922-3474(平日の午前9時半~午後5時)

  • 青森放送局記者 細川高頌 2017年入局 大阪狭山市出身
    経済・防災などを担当
    趣味:フットサル、漫画を読むこと

  • 長野放送局記者 髙田実穂 2020年入局
    警察・司法を経て現在は県政を担当
    趣味:ドライブ、温泉巡り

  • 岡山放送局記者 冨士恵里佳 2020年入局
    警察・司法を担当
    趣味:ピアノを弾くこと