証言 当事者たちの声“夫を殺した被告”に、私が語りかけたこと

2021年6月25日司法 裁判 事件

「復讐してやる」。

はじめは、そう思っていました。

でも、夫を殺した被告と向き合う中で、考えに変化が生まれてきました。

そして私が、被告に語りかけた言葉がありました。

“償い”とは何なのか、深く深く、考えて欲しかったのです。

突然の夫の死

取材に応じてくれた中村さん。

夫の信一さん(当時68)が殺された事件は、3年前の2018年6月26日の午後2時頃に起きました。

富山市の住宅街にある奥田交番が、元自衛官の島津慧大(けいた)被告(24)に襲われました。

島津慧大被告

裁判記録などによると、被告は持っていた刃物で交番にいた男性警察官(当時46)を殺害し、警察官が身につけていた拳銃を持ち去ります。

その頃、交番からおよそ100メートル離れた小学校で勤務していたのが、信一さんでした。

校舎の改修工事の現場で、警備員の制服を着て働いていました。
この小学校が担当になっていたのは、本当に偶然です。

そこに、拳銃を持ったままうろついていた島津被告が現れました。

信一さんは、突然、至近距離で撃たれて亡くなりました。

かけがえのない夫

まったく予期していなかった夫の死。

信一さんは、気の優しい、家族を大事にする人だったといいます。

家族と過ごす時間を作りたいと、長年勤めていた飲食関係の仕事を辞め、事件の約3年前からは警備員の仕事をしていました。

亡くなった中村信一さん

中村さんは、信一さんにもらった男性用の腕時計を持って歩いています。

今から20年ほど前、2人が付き合い始めたころに、「持っていてほしい」と言われ、贈られたものです。

といっても新しいものではなく、自分が身につけていたものを外して手渡されました。

なぜ時計をくれたのかをちゃんと聞いたことは、そういえばありません。

ただ、当時、お金がなくて買えなかった、結婚指輪の代わりという意味だったのかもしれません。

事件があってからは、この腕時計を持っていると、信一さんをより近くに感じられるようになりました。

中村さんは事件直後の取材にこう話していました。

中村さん
人間が人間をこんなにも憎めるものかと、自分でも恐ろしくなるくらい、島津被告を憎んでいます。復讐をしに、ケガをして入院している病院に押しかけようとして、娘にとめられたほどでした。

見間違いでの殺人?

ただ、事件から時間がたっていく中で、中村さんに、ある疑問がわいてきました。

「島津被告は、今回の事件で、いったい何をしたかったのか」

事件直後から報道では、
“被告の狙いは警察官だった”とか、
“自暴自棄になっていた”といった情報が出ていました。

さらに、
警備員である信一さんが狙われたのは
“警察官と見間違えたからだ”という情報も出ていました。

夫は、間違って殺されたのか?

どんな形であれ殺人は許されるものではないが、まして“間違って”殺されていいわけがない。

被告を許すことはできない。
でも事件を起こした理由をちゃんとわからないと、夫が死んだことの意味がわからない。

徐々にそんな気持ちが大きくなっていきました。

捜査資料から見えてきた被告の姿

疑問を解消しようと、中村さんは「被害者参加制度」を利用することにしました。

2008年に導入されたこの制度を使えば、裁判に参加して意見を述べられるほか、供述調書などの捜査資料を見ることもできます。

事件からおよそ1年後。
中村さんが捜査資料を見ると、そこには疎外感を募らせた、島津慧大という1人の人間の姿が浮かび上がってきました。

その後の裁判の中で明らかにされた被告の生い立ちです。

島津被告は、北アルプスの立山連峰を望む静かな町で生まれ育ちました。

幼い頃から周囲とうまくコミュニケーションが取れず、トラブルが起こることが頻繁にありました。

両親はそんな被告に対して“しつけ”として、暴力を振るっていたといいます。

中学校に入っても、うまくなじめず、不登校になりました。

この頃には、体も大きくなり、逆に被告が両親に暴力を振るうようになっていました。

中学時代の島津被告

周囲とうまく関係を築けない被告。

母親は、もしかしたら発達障害などかもしれないと考え、医療機関を受診させます。

しかし、そのときに診断はつきませんでした。

被告の家庭内暴力はさらに激しくなり、耐えきれなくなった両親は家を出て暮らすようになります。親が食事を届けるなどはしていましたが、16歳の頃から被告は実家に1人で暮らすことになったのです。

その後、18歳で陸上自衛隊に入隊しますが、そこでも人間関係のトラブルが相次ぎ、事件のおよそ1年前に除隊していました。

結局、被告は逮捕後になって、検察や裁判所が行った鑑定で、発達障害である自閉症スペクトラム障害=ASDと診断を受けることになります。

被告にも面会した専門家は「ASDのある人が犯罪傾向が高いわけではない。ただ被告の特性は周りに見過ごされてきたとみられ、特に小学校高学年以降、ネガティブな感情が積み重なり、被害感情が強い」と裁判で証言しました。

被告自身、捜査段階の取り調べで、自らの境遇や社会に対しての不満や投げやりな感情を供述していました。

島津被告の供述 ※検察が裁判で明らかにした内容
なんか、いつでもいつだって、同じような感じで失敗を迎えるんです。

人間関係をうまくできなくて、集団の中にいづらくなって、自分を見れない社会に失望して、自分から距離を置いて、同じような失敗を繰り返す自分に失望して、この先何十年も生きつづけなければいけないという自分の展望のなさ。
成功体験を求めてもかなうことはない。
自分への嫌悪感や拒絶されたりすると当然怒りや敵意が湧いてくる。

自分を受け入れられない社会にもう付き合っていられなくなった。

自分の力を試したくて自分をさげすんだ連中に、最後に勝ちたいと考えた。

それで選んだのが社会の秩序を守る、責務を負う警察官だった。自分より強い武器を持ってる人と戦いたい。相手をしてもらえると思った。

決して死ぬために交番に行ったわけではないが、現実的に射殺されて死ぬこともわかっていた。

恵まれていたとは言えない環境はあったにせよ、被告の言い分は身勝手なもの。
自分の都合ばかりです。

被告の生い立ちや供述内容を知った中村さん。
同情はできないものの、被告が事件を起こした背景に気になった部分がありました。

“被害者”に言及したところがほとんどないのです。

「この人は被害者や遺族のことをどう思っているのだろうか? なぜ言及がないのだろうか?」

疑問はさらに大きくなっていきました。

夫はなぜ殺されたのか 直接、聞くことに

中村さんは、拘置所にいる被告に直接会いにいくことにしました。

相談した友人や知人からは「傷つく言葉をいわれるかもしれない」などと反対されましたが、疑問を解消しないと前に進めないと思ったのです。

事件から1年半がたった2020年1月。中村さんは拘置所を訪れました。

決意してきたものの、事前に話を通していたわけではありません。

高い確率で断られるだろうと考えていましたが、返ってきたのは“応じる”との返事。

部屋に入って緊張しながら待っていると、透明な板を挟んだ向こう側に島津被告が現れました。

※中村さんへの取材をもとに作成

逮捕時に撃たれたけがのため、車いすに乗っています。たたずまいはどこにでもいそうな若者でした。

本人の口から出てきたことばは…

中村さんによると、会話はこんなやりとりで始まったといいます。

中村さん

お体はどうですか?

これ以上はどうにもならない。このまま(車いすに乗ったまま)でいるしかないです。

島津被告
中村さん

会ってくれてびっくりしている。面会できると思っていなかった。聞きたいことがあるけどいいですか?

その後、中村さんは、確かめたいと思っていたことを被告に投げかけました。

中村さん

あなたは一体、何をしたかったのですか?

警察官から拳銃を奪って、警察官を殺害することを、ただ、続けたかったんです。

島津被告
中村さん

事件を起こしたことについてはどう思っていますか?

旦那さんを殺したことは悪いとは思っていません。悪いと思えないことが申し訳ない。こんな僕で申し訳ないです。唯一の後悔は警察官と見誤ったこと。

島津被告

殺人という行為を否定しない被告のことば。

そして、被告本人から告げられた「夫が警察官と間違えられて殺された」ということ。

せめてもう少し、夫や私たち遺族への、真摯な謝罪なり、反省なりはできないのか。

中村さんは、話しているうちに体調が悪くなり、面会可能な20分の時間を5分ほど残して部屋を出ました。

もしかすると…

面会後、しばらくの間、中村さんは、被告の言葉をどう受け止めていいのかわからず、困惑していました。

ただ、だんだんとある言葉が気になってきました。

「悪いと思えないことが申し訳ない」 「こんな僕で申し訳ない」

人を殺したことへの謝罪ではない。
でも、謝ってはいる。
謝ることができないわけではない。

もしかして被告は、その境遇や障害の影響もあって、何を謝ればいいのか、人の気持ちを感じて、寄り添うことを知らないのではないか。

仮にそうだとしたら…。
もし死刑になってしまえば、被告は私たちの苦しみや悲しみを全く理解しないまま、死んでいくことになるのではないか。

1人娘からは「まったく無関係の人を巻き込み犠牲にした。死刑しかあり得ない」と言われます。
その気持ちもよくわかります。

でも、射殺されてもいいと思って事件を起こした被告を死刑にしても、それで償われた気持ちになるのだろうか。時間をかけてでも被告には人の痛みや苦しみをわかってもらう必要がある。
その上で死んでもらわなければ、苦しみ続けている私たちからみたら、あまりに不公平ではないか。

いつしか、中村さんは、そう考えるようになっていました。

何も話さなくなった被告

2021年1月。
富山地方裁判所で、裁判員裁判が始まりました。

しかし、法廷で島津被告本人は、ひと言も発せず、無言になります。
はじめに裁判長から名前を聞かれたときも。
被告人質問で直接質問されても、何も答えません。

検察と弁護士は、それぞれの主張を述べますが、本人は、ただずっと、うつむき加減に、じっとしているのです。

中村さんは、被害者参加人として、法廷の中、数メートル離れた距離から、そんな被告の様子を必死に見つめていました。

夫が殺されたときの詳細が示されたときには、耐えられず法廷の外に飛び出て泣き崩れてしまいました。

それでも見続けたのは、裁判の終盤に、遺族として意見を述べる場が用意されているからでした。どうやったら被告に遺族の思いを伝えられるのか。その言葉を探し続けていたのです。

何を話すのか、どう話したら被告に伝わるのか、家では、何度も何度も原稿を書き直しました。

思いを告げる意見陳述

そして、2月8日、いよいよ意見陳述の日です。

証言台に立った中村さん。
裁判員らが座る正面ではなく、斜め後ろに座る被告のほうを向いて呼びかけました。

島津慧大さん

そして、諭すようにことばを続けました。

あなたは「悪いとは思えない。こんな僕で申し訳ない」と言いました。

そんなあなたは人の痛み、苦しみ、悲しみ、そして命の尊さをわかるようにならなければなりません。

科すべき刑は死刑を除いてないと思いますが、あなたにはできるだけ長く生きていてもらいたい。

そして、その尊いみずからの命をもってしても償いきれない罪を犯したことに気づき、私たち家族の深い傷や悲しみ、苦しみをわかり、生きているかぎり、悩み、後悔し、苦しみ続け、生涯を終えなければなりません。

無言を貫いていた被告。

しかし、このときは様子が違いました。
顔を上げ、中村さんをじっと見て、話を聞いていたのです。

後日、中村さんは、この日のことについてこう振り返りました。

中村さん
裁判官や裁判員に向けてではなく、島津被告に伝えたくて、書いた意見陳述だったので、こちらを向いてくれただけでもよかった。

聞いてくれることがまず第一歩。時間はかかるかもしれないが、少しずつ自分がしたことを理解して、苦しんでいる人がいることもわかってほしい。

判決は無期懲役

さらに1か月後の、3月5日。

島津被告に判決が言い渡されました。

検察の死刑の求刑に対して、判決は「無期懲役」。

交番を襲った時に拳銃を奪う“強盗”の意思があったのかどうか、検察と弁護側で争いになっていましたが、判決は「警察官を殺害後に拳銃を取る意思が生じた可能性を排除できない」として強盗殺人罪の成立を認めず、殺人と窃盗の罪にあたると判断しました。

向き合い続ける

判決について、中村さんは、次のように話しました。

中村さん
今は無期懲役を受け止めようと思っています。被告にはこれから償うための日々が始まりますが、彼が償えるような状態になるまでには時間がかかると思います。

中村さんは、判決の翌日、再び、島津被告に面会を申し込みましたが、今度は応じてもらえませんでした。
送った手紙にも、返事はありません。

裁判は、その後、検察が控訴。
被告本人も判決を不服として控訴し、裁判は、続きます。

被告にとっては有利ともいえた判決に対して、本人がなぜ控訴したのか。
中村さんはその真意をはかりかねています。

夫 信一さんの墓石

それでもあのときに法廷で、被告は話を聞いてくれたのではないか。
いつか私たちの苦しみを理解し、罪の意識を持つこともできるのではないか。

夫の無念を晴らすためにも、被告が今後、どうなっていくのか、中村さんは見つめ続けていくつもりです。

※2024年4月8日追記
2審の名古屋高等裁判所金沢支部は、無期懲役とした1審判決について「明らかな事実誤認がある。強盗殺人罪を前提として刑の重さを判断する必要がある」として取り消し、審理をやり直すよう命じました。被告側は上告していましたが、最高裁判所は3月11日に上告を退ける決定をしました。2審の判決に基づいて1審の無期懲役が取り消され、富山地裁で審理がやり直されます。

取材後記

“償い”とは何なのか。
私は取材の中で、そのことを何度も考えることになりました。

記事中でも紹介しているように、中村さんと娘さんの間でも、その意味について考えが違います。

娘さんは「島津被告が、今後、どんなに悩み苦しんだとしても、私たちの苦しみ以上になることはないと思う」と話しています。

一方で、中村さんの、どんな刑であろうが、被告の側に謝罪や反省、被害者や遺族を思いやる気持ちがなければ“償い”にならないのではないか、という思い。

母と娘はそれぞれの意見を尊重し合っていますし、もちろんどちらが正しいというようなことでもないと思います。

この問いに、今後も向き合い続けていこうと思います。

  • 富山局記者 中谷圭佑 平成30年入局 長野県出身 
    事件発生時は警察担当 その後、高岡支局を経て、去年から再び警察担当

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