新人記者として初めて追いかけた事件。
盗まれたのは「水道の蛇口」でした。
文化財もさい銭箱もそのままなのになぜ…
取材を進めると少しずつわかってきました。
キーワードは「中国」「新型コロナ」「金融緩和」、そして記者を志した「環境問題」。
すべてはつながっていたのです。
(大津放送局記者 丸茂寛太)
2021年11月26日事件
新人記者として初めて追いかけた事件。
盗まれたのは「水道の蛇口」でした。
文化財もさい銭箱もそのままなのになぜ…
取材を進めると少しずつわかってきました。
キーワードは「中国」「新型コロナ」「金融緩和」、そして記者を志した「環境問題」。
すべてはつながっていたのです。
(大津放送局記者 丸茂寛太)
ことし4月。
NHKに入局して、最初の1か月は神奈川の自宅でリモート研修をして、過ごしていました。自分の部屋なので画面に映る上だけワイシャツで、下はスウェット。
「本当に記者になったのかな」
取材方法や原稿の書き方は習いましたが、正直、実感はまったくありませんでした。
言い渡された配属先は、滋賀県の「大津放送局」です。
学生時代に専攻していた環境問題を取材したいと記者を志した私。
滋賀といえば、びわ湖の環境問題を取材するのかなと思っていました。
大型連休後に赴任して、最初の担当は「サツ回り(警察担当)」。
新人記者の多くが通る道です。
地元の警察署を回ったり、電話をかけたりして、県内のあらゆる事件、事故をフォローしますが、なかなか情報はとれません。
そんなある日、上司から声をかけられます。
「これ追いかけてみようか」
見せられたのは、新聞の地域面に載った小さな記事。いわゆる「ベタ記事」です。
そこには「県収蔵庫から蛇口8個盗難ー」と書かれていました。
現場は、滋賀県長浜市の収蔵庫。
訪ねてみると古びた旅館のようなたたずまいでした。
平成17年までは県の教職員の保養所として使われていたそうです。
施設の担当者の案内で建物の中に入ると、天井近くまで箱が多く積み上げられています。
箱の中に保管されているのは、縄文時代から江戸時代までの土器など。
滋賀県で出土した文化財のおよそ1割の5000箱を保管しているそうです。
事件が発覚したのは、ことし5月17日の定期点検の時でした。
出入り口が壊されているのを発見した担当の職員は、まず、「貴重な文化財が被害にあっているのでは…」と青ざめたそうです。
ところが、なくなっていたのは水道の蛇口。
洗面台はたたき割られ、蛇口だけがなくなっていたのです。
その後の調査で、新聞に報じられた8個以外にも被害が判明。
以前、県の教職員用の保養所として使われていたため、風呂や洗面台など、合わせて24個の蛇口が盗まれていました。
一方、文化財は手つかずでした。
滋賀県文化財保護課 田井中洋介さん
「文化財に被害がなかったのは不幸中の幸いで一安心だったんですが、蛇口だけが盗難にあったことを知って非常に驚きました」
被害はここだけではありませんでした。
人口1万2000人の滋賀県竜王町。
田んぼに囲まれたのどかな場所にある小さな神社です。
住み込みの宮司はおらず、地元の人たちが交代で管理しています。
そこにあった、参拝前に手を清める手水舎にあった竜の形をした“蛇口”が盗まれていたのです。
ソフトボールほどの大きさの、お祭り用の鈴4つもなくなっていて、被害額は合わせて10万円以上。
一方、さい銭箱は手をつけられておらず「無事」でした。
どれも地域の人たちが神社のことを思い献納したもので、地域の人たちのことを考えると喪失感が大きいと神社の代表は言います。
市岡さん
「経済的な損失はもちろん痛いですけれど、地域の人の気持ちも考えるとそちらのショックの方が大きいです」
現場を訪ねてわかった、文化財やさい銭箱は無事なのに、蛇口が狙われていることへの違和感。
なぜ蛇口だけが狙われるのか。最大の疑問でした。
実は蛇口の盗難被害は、ことしの春ごろから全国各地で相次いでいました。神奈川県では5月、団地に設置されていた蛇口100個以上が盗まれるという事件もありました。
そんな中、長野県のある夫婦が、滋賀県内で逮捕されたという情報が入ります。
容疑は建造物侵入と窃盗。廃業中の宿泊施設に侵入し「蛇口」を盗んだというものでした。
蛇口!
捜査関係者に取材を進めると、2人の車の中から「大量の蛇口」が見つかっていたことがわかりました。
蛇口は車の後部座席にあり、大量にあるために、車のタイヤが沈むほどだったというから驚きです。
見つかった蛇口の一部は、富山県の廃業中の宿泊施設などから5月に盗まれたものと同じタイプのものでした。
2人は警察の取り調べに対してこう供述したといいます。
「水道の蛇口ばかりを狙い、関西や中部地方などの10軒以上の廃業中の宿泊施設などで盗みを繰り返した」
2人は警備の薄い廃業中の施設をインターネットで検索してレンタカーで移動しながら各地を回っていたといいます。
中には2人が侵入するとすでに蛇口がなくなっていて、「先客」がいたというケースまであったということです。
蛇口盗難は、長野県の夫婦が逮捕された後も各地で相次ぎました。
「そんなに盗むなんて、蛇口ってお金になるの?」
県内にある金属類の買い取り業者に、片っ端から電話してみました。
取材に応じてくれた業者の代表、神田真理雄さんはこう解説します。
神田さん
「今年は特にそうなんですけど、蛇口の買い取り価格は、去年と比べるとほとんど2倍になってますね」
「えっ!」
価格表を見せてもらうと、蛇口の買い取り価格は、去年の5月末では1キロあたり300円くらいだったのが、今年は600円と2倍になっていました。
高騰の答えは、蛇口の大部分を占める「真鍮(しんちゅう)」という金属にあると言います。
真鍮は銅と亜鉛の合金で、半分以上が銅。銅の相場が一気に上がったことで、蛇口の買い取り価格が高騰しているというのです。
価格の高騰に伴い、蛇口などの真鍮くずを持ち込む人は増えているといいます。
▼2020年 1月~6月 355人
▼2021年 1月~6月 1020人
同じ時期で比較すると、持ち込む人はこの1年でおよそ3倍になっていました。
滋賀県では条例によって金属を買い取る際に本人確認を行い、記録を残すことが決められていて、神田さんの店では盗まれたものを買い取らないよう、本人確認を徹底していると話していました。
なぜ数多くある銅を使った製品の中で、蛇口が狙われるのか。
神田さんに尋ねてみると、蛇口は設置されている場所から簡単に取り外しができること。また、識別番号などもないため、転売しても誰が盗んだのかたどりにくいのでは、と話していました。
銅の価格についてネットで検索すると、「史上最高値」ということばまで…。
すると次の疑問が生じます。
「なぜ、銅の値段が上がっているんだろう」
神田さんから聞いた話が、引っかかっていました。
金属買い取り業者 神田真理雄さん
「日本の真鍮くずのうち8割ほどは日本から海外に輸出されていると言われています。第3国を経由するなどして最終的に中国へ行くことが多いんです」
えっ海外?中国?
滋賀の蛇口事件は、世界につながっているのかもしれない。
世界の金属の価格動向に詳しい楽天証券経済研究所の吉田哲さんの助けを借りることにしました。
吉田さんの見せてくれたこのグラフ。
銅は去年の6月と比べると今はおよそ1.5倍。
今年5月には、10年ぶりに史上最高値を更新。ちょうど各地で蛇口窃盗が相次いでいた時期と一致します。その後も、銅の価格は、高水準が続いています。
銅高騰の背景、吉田さんは主にポイントは2つあると指摘します。
①中国のコロナからの経済回復
人口が多く世界の銅消費のおよそ半分を占める中国。
その中国がコロナから回復し経済活動が活発化した。
家電製品や電子部品などの銅を使った製品の売れ行きも良くなり、銅の消費量が上がるという期待が生まれ価格上昇に繋がった。
②世界的に行われた金融緩和
コロナで落ち込んだ経済を回復させるため、世界各国で「金融緩和」が行われた。
「金融緩和」とは市場にお金をたくさん供給すること。
そして価格が上昇している銅が投資先として注目され、市場で余った資金が投入され、価格上昇を後押しした。
世界経済の動き、そして新型コロナが大きく影響していました。
吉田さんは続けます。
「リモートで仕事をしたり、授業を受けたりする頻度が上がっています。電子製品や電子部品の需要が増えていって、銅の需要を押し上げていった要因になっていったと思う」
そういえば、私も大学の最後の1年間はリモート授業。就活中のNHKの面接も記者研修も、そして、吉田さんへの取材もすべてリモートでした。
日常生活の変化も今回の事件につながっていたのです。
さらに吉田さんから、もうひとつ予想もしていなかった話が。
楽天証券経済研究所 吉田哲さん
「銅の価格は今後も上がっていく可能性がある。その理由は『環境問題』です。多くの国が2030年やパリ協定の2050年を目安に環境対策を進めています。
『電気を通すものに銅あり』と言われるほど、銅は電気に関わるさまざまな製品に使われています。
だから“脱炭素”を進めていくと、電気自動車をはじめとして電気に関わるいろんな製品の生産と消費が増えていく。つまり、新しい銅の需要が生まれるんです」
たまたま取材し始めた蛇口の事件は、私が記者を志した理由の環境問題にもつながっていたのです。
蛇口を盗んだとして逮捕された長野県の夫婦。
今年9月に行われた裁判で、動機についてこう述べました。
「生活が苦しく、蛇口を売って金に換えるのが目的だった」
裁判で、2人は県の収蔵庫からも蛇口を盗んだことも認めました。
蛇口を売りさばいて得た金は、食費や子どもにゲームを買い与えるなどしていたといいます。
10月13日に行われた妻への判決。
妻は、入廷直後から涙を流しはじめ、判決が読み上げられている間、体を震わせて泣いていました。
裁判官は、懲役2年6月、執行猶予3年の判決を淡々と言い渡したあと、妻にこう語りかけました。
2度と犯罪をしないようにしてください。わかりましたか。
あなたは重い処罰を受けましたが、それを猶予しました。社会の中で立ち直れると考えているからです。
あなたは子どもさんたちを育てないといけないし、頑張って生きていかなければならない。泣いている暇なんかないですよ。
夫婦には4歳から14歳まで3人の子どもがいます。事件で両親が逮捕されたことで、施設に預けられ、親とは会えなくなったといいます。
今回の事件では蛇口を盗まれた施設の人たちがもちろん被害者です。
ただ、親と離ればなれになった子どもたちも被害者なのではないかと、感じました。
新人記者として初めて取材した蛇口事件。
小さなベタ記事から取材を進めていくと、世界経済、新型コロナ、そして自分が記者を志した環境問題にもつながっていました。
これからも一つ一つの取材に丁寧に向き合いながら、掘り下げていきたいと思います。
大津放送局
丸茂寛太 令和3年入局
警察・司法を担当
大学時代は野球部でピッチャー
かつてはボール 今は蛇口を追いかける
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