小林陵侑 Story
小林陵侑 Story

初めてのオリンピック出場から4年。スキージャンプ男子の小林陵侑選手は、この間、急成長を遂げました。2018-19年シーズンのワールドカップ第2戦で初優勝し、その年末年始に行われた伝統の「ジャンプ週間」は4戦全勝で総合優勝を成し遂げ、このシーズンはジャンプ男子で日本選手初となるワールドカップ総合優勝も果たしました。
北京オリンピックでは1998年の長野大会以来となる日本の金メダルという期待を背負い“大ジャンプ”を誓っています。

(スポーツニュース部 記者 沼田悠里)

目次

    小林陵侑のストーリー
    小林陵侑のストーリー

    『飛び過ぎちゃった』大ジャンプを求めて

    2012年

    幼いころからスキーは常に身近にありました。
    小林陵侑選手がジャンプと出会ったのは6歳の時。クロスカントリーで国体出場の経験がある父親にスキーの基礎を教えてもらい、先にジャンプを始めていた兄の小林潤志郎選手の姿を見て「シンプルに楽しそう」と始めることにしたのです。

    「飛び過ぎちゃった。転んだことになっちゃった」

    初めてジャンプをした時の様子を撮影した映像には、着地で大きく転びながらも怖がる様子を一切見せず、何度も何度もジャンプ台へと向かう姿が残っています。

    「小さい時ってそんなに飛べないから、一瞬なんですけど。それがハマったんでしょうね。楽しかったんでしょうね」

    その後はジャンプとクロスカントリーで競うノルディック複合に取り組みました。その実力は全国トップレベルに成長。中学3年生の時には全国大会でノルディック複合とジャンプの2冠を達成しました。

    “レジェンド”の背中を追って

    「ジャンプをして生きていきたい」

    小林選手は、高校卒業後にスキー界のレジェンド、葛西紀明選手が監督を兼ねるチームに所属しました。
    葛西選手は、チームに所属する前の小林選手の姿をワールドカップ男子最多勝利数の記録を持つオーストリアのグレゴア・シュリーレンツァウアー選手に重ねていました。

    葛西紀明選手
    「(陵侑の)姿勢が彼のジャンプによく似ていた。この子は絶対、シュリーレンツァウアーに近いジャンプをして、『将来行くんじゃないかな?』という風にピンときた。それでチームに欲しいなと」

    葛西選手は19歳の時にオリンピック初出場。これまで史上最多となる8回の出場を果たしているほか、ワールドカップを42歳5か月で制するなど、数々の記録を作ってきました。

    小林選手は、葛西選手と一緒に行動することでその偉大さを肌で感じ、技術面だけでなくプライベートな面に至るまで大きな影響を受けてきました。

    社会人2年目、20歳の時に小林選手はワールドカップ計17戦に出場。
    しかし自分のジャンプを見失って思うような結果を残せず最高順位は33位でした。

    「いろいろ試行錯誤した結果、自分がどうやって飛んでいたかわからなくなった」

    苦しんでいた小林選手に手を差し伸べたのは、入社後から静観していた葛西選手でした。

    葛西紀明選手
    「1、2年は泳がせておいた。泳がせておいたというより、どんなジャンプをするのかなと見ていた」

    ワールドカップで惨敗した次の2018年シーズンの前、葛西選手は小林選手に、バーベルを担ぎながらのスクワットや、インラインスケートで障害物を飛び越えるメニューを与えました。
    もともとずば抜けた身体能力の持ち主だった小林選手でしたが、ジャンプで成績を残すためには、助走姿勢を安定させたうえで、スピードにも乗れるような下半身の強化が必要だと考えたのです。

    小林選手は、レジェンドが課題を見抜いて考案した専用のトレーニングメニューに取り組みました。
    その結果、低い安定した助走姿勢が身につき、力強い踏み切りができるようになって飛距離も伸びるようになりました。

    また2回目のジャンプの際、プレッシャーから極度の緊張感に悩まされ安定した記録を出すことができなかったという小林選手。「脳波」の測定結果を活用するメンタルトレーニングを取り入れ、精神面の強化にも取り組みました。

    初めての五輪 つかんだ大飛躍のきっかけ

    21歳で初めて出場した2018年のピョンチャン大会には、葛西選手とともに出場しました。

    最初のノーマルヒル。
    小林選手は2回のジャンプとも108mを飛んで日本勢最高の7位に入賞しました。

    ノーマルヒルでは5歳年上の兄、潤志郎選手が1回目のジャンプで93mと飛距離を伸ばせず上位30人による2回目の決勝に進めませんでした。
    小林選手は「敵をとってくる」と兄に声をかけて2回目のジャンプへ。
    直前の強風で試合が10分も中断しましたが、毛布を巻いて寒さをしのぎながら、勝負の時を待ちました。

    「足先の感覚があまりなかった」

    寒さの中で飛んだ決意のジャンプは、安全に着地できる距離とされるヒルサイズにあと1mと迫る大ジャンプでした。

    「自分の力以上のものが出せたのではないかと思ってうれしい」

    続くラージヒル。予選でヒルサイズを超える143m50をマークし全体の3位で決勝に進みました。

    決勝は1回目で7位。2回目はジャンプに不利な追い風でしたが必死に粘って128mを飛び10位に食い込みました。

    大会前の時点で小林選手のワールドカップ個人総合ランキングは34位でしたが、オリンピックの舞台で堂々と世界の強豪と渡り合いました。

    「初めてのオリンピックは大きな経験になったし、自分としてはすごくステップアップできた大会だった」

    2018-19年シーズン、小林選手の快進撃が始まりました。第2戦でワールドカップ初優勝をあげ、年末年始恒例の「ジャンプ週間」では4戦全勝で史上3人目となる快挙を達成するなどワールドカップの個人戦では13勝をあげ、日本の男子選手として初めて総合優勝の快挙を成し遂げました。

    前のシーズンには表彰台の経験すらなかった無名の若手が、一気に急成長し世界を驚かせたのです。
    それは、ジャンプの本場ヨーロッパで『別の惑星の人間』と表現されるほどの衝撃を与えていました。

    こうした快挙の背景には葛西選手と取り組んできた姿勢の低い安定した助走が結果につながったことに加えて、もう一つありました。

    設計が異なる各会場のジャンプ台に対応できるようになったことです。ヨーロッパ各地で行われるワールドカップで使われている各国のジャンプ台は、一つ一つ助走路の距離や角度などが異なっています。

    「それぞれのジャンプ台のスタートゲート、助走路の角度や高さ、素材の違いにまで気を配って競技に臨んでいた、本番前の試技2本で得た感覚や情報に応じて助走の時の姿勢をミリ単位で調整するなど対策を怠らなかった」

    苦悩から再びはい上がり2回目のオリンピックへ

    ワールドカップの総合王者となった小林選手。2020-21年シーズンは新型コロナの影響で予定どおりに雪上でのトレーニングができず悩まされました。
    スタートから踏み切りまでの「助走姿勢の感覚」をつかみきれずにいたのです。
    序盤はワールドカップで二桁の順位に低迷しました。

    「良いときと悪いときがあるもの。波は必ずくる」

    ジャンプをミリ単位で修正。試行錯誤の末、最後にたどりついたのは「シンプルに飛ぶ」ということでした。

    無駄さえなくせば飛んでいくと、シーズンの後半戦から力まずに飛ぶことを徹底した結果、助走路から空中に飛び出した時、腰を前に出して体をまっすぐにした美しい空中姿勢をスムーズに取ることができるようになったのです。

    北京オリンピックに向かう2021-22年シーズン。
    小林選手は新型コロナウイルスの検査で陽性と判定されたほか、スーツの規定違反で失格となるなどワールドカップを3試合欠場しました。それでも小林選手は落ち着いていました。

    「オフの夏から続けてきたいいジャンプのイメージがかみ合っている。だめでも次の試合までには修正できている」

    ワールドカップは出場9試合で6勝。日本選手として初めて2回目の「ジャンプ週間」総合優勝を成し遂げ、自身のワールドカップ最多勝利数を通算25勝にのばしました。
    2回目のオリンピックとなる北京へ向けた決意があります。

    「飛んだことのないジャンプ台で楽しみ。金メダルを目指して頑張りたい」

    小さなころから目標にしてきた「大ジャンプ」を大舞台で披露できるか、1998年の長野大会以来となる個人での金メダル。その大きな期待が小林選手にかかっています。

    エピソード
    エピソード

    ジャンプの魅力を伝えたい 25歳の素顔

    「率直に言うと人生そのもの。今のこういう僕がいるのも、ジャンプをやってきたからいろいろな人に会えたし感謝をしている」

    小林選手は、2021年に自身のYouTubeを開設し、競技の様子だけでなく自宅のインテリアの紹介。さらにはバンジージャンプに挑戦したり、サウナに入ったりと、ふだん見られない姿をたくさん投稿しています。好きなものをただ更新しているだけと謙遜しますが、愛してやまないジャンプの魅力をたくさんの人に知ってもらい、もっと日本でメジャーな競技にしたいという思いがあります。

    「どんな入り口であっても僕を知ってもらい、そこからジャンプが楽しいなと共感してくれる人が1人でも増えたらうれしい」

    すべてはジャンプを広く知ってもらうためです。

    プロフィール
    プロフィール

    経歴

    名前 小林陵侑
    出身地 岩手県八幡平市出身
    生年月日 1996年11月8日生
    一口メモ 口癖は「ビッグジャンプを飛びたい」
    師匠の葛西選手をきっかけに始めたゴルフのベストスコアは80台。

    オリンピックの成績

    2018年 【ピョンチャン大会】
    個人ノーマルヒル7位/個人ラージヒル10位/団体6位

    ノルディック世界選手権の成績

    2017年 団体7位
    2019年 団体3位/混合団体5位/個人ラージヒル4位/個人ノーマルヒル14位

    ワールドカップ個人総合の成績

    2015年
    /16年
    42位
    2017年
    /18年
    24位
    2018年
    /19年
    1位(13勝)
    2019年
    /20年
    3位(3勝)
    2020年
    /21年
    4位(3勝)
    2021年
    /22年
    ー位(6勝)

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