災害列島 命を守る情報サイト

これまでの災害で明らかになった数々の課題や教訓。決して忘れることなく、次の災害に生かさなければ「命を守る」ことができません。防災・減災につながる重要な情報が詰まった読み物です。

水害 避難 教訓 想定

3歳の孫が「ため池」の決壊で… 全国の危険性と対策は

「孫の写真は全部流されてしまって、これくらいしか残っていないんです」

2018年の西日本豪雨では「農業用ため池」の決壊による被害が相次ぎました。

3歳の孫を失った男性は同じ被害を二度と繰り返してほしくないと訴えていますが、その後も「ため池」の決壊による被害は後を絶ちません。

国や全国の自治体を取材すると大雨の際に被害が及ぶおそれのある「ため池」は全国に5万か所以上あり、対策が十分に進んでいない実態が見えてきました。

2023年7月 ニュース番組で紹介された内容です

孫を失った男性「命に関わることだからこそ 対策を」

2018年7月7日。

前日までの記録的な大雨が落ち着き、広島県福山市の甲斐恭隆さんは自宅1階のリビングで夕飯を食べ終えて、ゆっくりくつろいでいました。

「なんか変な音がする」

妻に言われて南側にある山の方向を眺めると、蛇のような筋が何本も見えました。

「水だ!水が流れてきてる!!」

頭に浮かんだのは、すぐ隣の平屋に住む息子夫婦と、ほんの数十分前まで遊びにきていた1歳と3歳の2人の孫娘でした。

「2階がある、こっちの家に避難させたほうがいい」

妻が息子夫婦の家へ向かって約20秒後、甲斐さんがサッシを閉めたその瞬間に、ガラスや戸を突き破って鉛色をした濁流が一気に家の中へと流れ込んできました。

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青い丸が決壊した「ため池」 赤い丸が甲斐さんの自宅

鉛色の水の正体は自宅の数百メートル上流にある「ため池」が前日までの豪雨で決壊して流れてきたもの。

池の水が周辺にあったグラウンドのコンクリートブロックや大量の土砂を巻き込んで自宅を襲い、ほとんど身動きが取れないほどの勢いで家の中を流れていきました。

甲斐さんが鴨居にしがみついてなんとか踏みとどまっていたころ、妻と息子家族も濁流の中にいました。

台所にいた孫の朱莉ちゃん(3)と朱莉ちゃんのお母さんが勝手口から投げ出されて数百メートル流され、お母さんは救助されましたが、朱莉ちゃんは亡くなりました。

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手元に残った七五三の写真を見る甲斐さん

元気で明るい子だったという朱莉ちゃん。

自然豊かな家の周りを探検するのが大好きでした。

甲斐さんにとっては初孫です。

映画『となりのトトロ』の歌を2人で一緒に「歩こう 歩こう」と歌いながら散歩した日々は、いまでも忘れることはありません。

自宅にあった写真やカメラはすべて流され、手元にあるのは保育所などに残っていた数枚の写真だけ。

家族みんなで写っているものは残されていません。

最愛の孫を失って5年。

毎年のように各地で豪雨災害が起きるたびに、あの日、一気に押し寄せた濁流を思い出すといいます。

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甲斐恭隆さん
甲斐恭隆さん
「半世紀近くも住んでいながら、まさかあの池が崩れるなんて考えたこともなかった。離れているし、水が一気に来ることはなかろうと。住む場所も奪われましたけれど、命を奪われたというのが一番こたえました。かわいそうなことをしたと思います。『ため池』や、その周辺の環境がまだきちんと対策されていないところもあるんじゃないでしょうか。命に関わることだからこそ、その場かぎりではなく、きちんとした対策をしてほしい。でないとまた繰り返される」

全国に潜む「ため池」のリスク

2018年の西日本豪雨では広島県のほか、大阪府や福岡県、愛媛県など2府4県の32か所で「ため池」が決壊しました。

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西日本豪雨で決壊した「ため池」は32か所

そもそも「ため池」とは降水量が少なく、大きな川のない地域で農業用水を確保するため人工的に造成されたものです。

その多くが江戸時代以前に作られているため老朽化が進み、管理があいまいなものも多いのが現状です。

ひとたび決壊すると命に関わるおそれのある「ため池」は全国にどれほどあるのでしょうか。

今回、私たちは国への情報公開請求で位置情報などのデータを入手し、その一覧を初めて可視化しました。

黄色い点、一つ一つが「ため池」です。

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【西日本】黄色の点が「防災重点農業用ため池」

その数、実におよそ5万5000か所。

瀬戸内海沿岸や九州北部、近畿など西日本に多く分布しているほか、東日本や北日本にかけての各地にも点在していました。

※お住まいの地域の「ため池」については、自治体が公開している「ため池」のハザードマップなどを確認してください。

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【東日本】黄色の点が「防災重点農業用ため池」
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【北日本】黄色の点が「防災重点農業用ため池」

さらに、それぞれの「ため池」の状況を知るため、47都道府県すべてに取材しました。

対策が完了した「ため池」は約5000か所ありましたが、老朽化などにより工事が予定されている「ため池」が少なくとも6000か所以上あることがわかりました。

一方、劣化などによる工事が必要かどうかの調査も全体の半数にあたる約2万7000か所でしか行われていないため、今後の調査によっては工事が必要な「ため池」が、さらに増えるおそれがあります。

※都道府県別の調査結果は記事の末尾で紹介しています。

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西日本豪雨の被害を教訓に、国は「ため池」の防災対策を大きく見直しました。

決壊した場合に住宅や公共施設などに浸水被害が生じるおそれのある「防災重点農業用ため池」を選定し直し、老朽化した「ため池」の工事を重点的に進めるための特措法を制定。迅速な避難につなげるためのハザードマップの整備も進められています。

一方で、その後も「ため池」の決壊による被害は毎年のように起きているのが現状です。

2022年8月、線状降水帯が発生して平年の8月1か月分の2.5倍に達する記録的な大雨となった山形県川西町では、山沿いにあった「ため池」があふれて決壊しました。

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「ため池」から水があふれる様子

200メートル余り下流に住む竹田初美さんは、あふれた水が家の周辺に流れ込んでくるのを目撃しました。

竹田さんが撮影した当時の写真からは、わずか数十分の間に水かさが一気に増えていく様子がわかります。

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1. 午後6:20 撮影された写真(左上)

2. 午後6:34 自宅周辺で急激に水位が上昇(右上)

3. 午後6:57 避難した2階で撮影 決壊した「ため池」は写真奥の方向(下)

自宅が「ため池」の決壊で浸水するとは思っていなかったという竹田さんは、小学生の息子と60代の母親、80代の祖母を連れて自宅の2階へ上がり、安全を確保しました。

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竹田初美さん
竹田初美さん
「外に様子を見に出たときに『どーん』という聞いたことのない音が聞こえました。そのあと水が一気に上がってきたのは、今もはっきり記憶に残っています。川の真ん中にいるようでした。池が壊れたと知ったのは、その次の日でした。『決壊するおそれがある』とか『決壊しかけているよ』などと事前にわかれば、もっと早く車を出すことなどができたかもしれないと思っています」

なぜ対策が進まない?背景に自治体が抱える課題

西日本豪雨から5年の2023年、同じ7月上旬に九州や山口県で記録的な豪雨となり、浸水や土砂災害が発生しました。

頻発する豪雨に対策が待ったなしの状況の中、なぜ工事が十分進まないのか。

取材を進めると対策を担う地方自治体が抱える大きな悩みが見えてきました。

私たちはその1つ、福岡県筑前町に向かいました。

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西日本豪雨で決壊 福岡県筑前町の中島池

筑前町では西日本豪雨で「ため池」が決壊して避難所となっていた小学校が浸水し、子どもたちが孤立するなどの影響が出ました。

この「ため池」は造成から70年近く経過していて、雨水が堤体に浸透して決壊したとみられています。

池の対策工事はすでに完了しましたが、そのほかの「ため池」の工事は思うように進んでいません。

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ため池が密集する様子

その理由の1つは「マンパワー不足」です。

人口3万人の小さな町に、対策が必要な「ため池」が少なくとも60か所に上っています。工事には事前の調査や近隣住民への説明など、さまざまな手続きが必要ですが、それを担当する町の職員は1人だけしかいないのです。担当者は「ため池」以外にも多くの防災業務を抱えているため、とても対応しきれないといいます。

さらに予算面でも課題があります。

筑前町が林道の整備や土木工事などに計上している農業費は、およそ5億5000万円です。1つの「ため池」の整備工事にかかる費用は、規模が小さいもので国の補助などを使っても1500万円ほどかかります。すべての「ため池」の工事にかかる費用は、単純に計算しても町の農業費2年分になってしまうのです。

私たちが各都道府県に行った取材でも、対策工事が十分進まない理由について「対象となる『ため池』の数が多く特定の市町村に偏っている」とか「市町村や業者のマンパワー・予算が足りない」「管理者や所有者が不明なため池があり、調査に時間がかかる」などという声が多く寄せられています。

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福岡県筑前町 田頭喜久己 町長
筑前町 田頭喜久己 町長
「隣接する自治体とは条件が違うと私は思っています。『ため池』の数が68か所と多く、当然1年でできる工事ではありません。今後、緊急性の高いものから順次改修工事を行っていきたいと考えていますが、一番問題になるのはやはり財源問題で、国には補助率を上げてもらいたい」

どうすれば…?監視システムで早期避難へ

あまりに多すぎる「ため池」の工事をすぐに進めることが難しい中、長野県では決壊したとしても命だけは何とか守るという取り組みを模索しています。

防災重点農業用ため池が690か所ある長野県では、2020年に「ため池監視システム」を導入しました。「ため池」に水位計と監視カメラを設置し、データを県の特設ホームページでまとめて公開しています。データの更新は30分に1度ですが、池の状況や水位の経過をいつでもネット上で確認することができます。

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6月上旬の大雨でも複数の「ため池」でアラートメールが送信された

水位が上昇して警戒が必要な「警戒水位」と、水が堤防を越えるまで50センチに迫る「危険水位」に達するとデータの更新は5分に1度となり、さらに市町村の担当者や地域の「ため池」管理者などにメールで知らせる仕組みです。

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長野県上田市「沢山池」

システムが導入されている長野県上田市の「沢山池」を訪ねました。100万立方メートルの水をためられる規模の大きなため池です。

集落からは車で10分ほどかかる山の中にあり、地域の管理者は過去には雨の日の夜でも危険を承知で水位を確認しにいくこともあったといいます。

しかし、システムの導入で自宅から安全に状況を把握できるようになりました。水位経過もある程度予想できるようになり、地域の人たちは大雨の際の避難の判断材料になると期待を寄せています。

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「ため池」の管理者の1人 合原亮一 自治会長
合原亮一 自治会長
「大雨の時には池までの道路が壊れている可能性もありますよね。頻繁に池を見に行くこともできないです。システムがあれば、水位やその変化まで知ることができるし、何時間後にどれぐらい上がりそうだという予測も可能なので、避難や避難所の開設が必要かどうかの判断を早めにできると思います」

長野県内では、これまで149か所の「ため池」で、このシステムを導入しています。機器の購入費は国の補助を受けられますが、通信費用は「ため池」のある市町村や管理者の負担になります。

市町村単独では予算も限られる中、必要最低限の機能でできるかぎり低額で契約できる事業者を探し出し、通信費用を「ため池」1つあたり、月に1000円程度とすることに成功しました。

県の担当者はシステムを住民の避難にいかにつなげられるかは今後の課題としながら、市町村と連携して検討していくとしています。

「ため池」対策は道半ば…まずはソフト対策を

NHKが全国の都道府県に問い合わせたところ、長野県のように「ため池」の危険度を住民がリアルタイムで確認できる「ため池」があるのは全国13の府県にとどまっているのが現状です。

ため池の防災対策に詳しい専門家は、堤防の工事といった“ハード対策”に時間がかかる現状で、決壊から命を守るためには水位計の設置など避難につながる対策をまずは急ぐ必要があると指摘します。

また、私たち自身でできることとして自治体が公開している「ため池」のハザードマップの確認をあげています。マップには決壊した場合に被害が及ぶと想定される範囲が図示されています。

「ため池」の近くに住む人は、そうした情報をみずから入手して、大雨や台風などの際に、どこが危険かあらかじめ確認しておく必要があるといいます。

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農研機構 泉明良 主任研究員
農研機構 泉明良 主任研究員
「身近な川と違い『ため池』は山あいにあって存在が十分知られていません。しかし、ひとたび決壊すれば目に見えないところから突然、水が押し寄せるリスクがあります。各地で対策が進められていますが『ため池』は大きさや形状などによって対策が変わるため、一気に工事を進めるのが難しい状況もあります。国や自治体は、工期を短くできる最新の工法などを取り入れながら優先順位をつけた対策が必要です。住民側も『ため池』の決壊を想定した訓練などを行うことで『ため池』による被害を減らすことができるのではないかと思います」

私たちが暮らす地域のすぐそばに、気付いていない「ため池」があるかもしれません。

自分の住まいの近くには無くても離れて暮らす家族の家の近くに「ため池」があり、大雨に見舞われるかもしれません。

自分や大切な人の命を守るため、まずは身の回りの「ため池」のリスクに目を向けることから始めてほしいと思います。

ことしも本格的な出水期を迎え、すでに大雨による被害も起きています。

私たちは、時に命を奪うこともある「ため池」の知られざるリスクを正しく認識し、一つ一つできることから対策を進めていくことが必要だと強く感じました。

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「ため池」都道府県別の状況(NHK調べ)

『ため池問題取材班』広島局 記者・石川拳太朗/山形局 記者・及川緑/福岡局 記者・宮本陸也/社会部 記者・宮原豪一


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