いつ逃げますか? 地域で作る“避難スイッチ”
“いつ逃げたらいいのか分からなかった…。” 水害が起きるたびに被災者の多くが口にすることばです。平成30年(2018)の西日本豪雨では住民の避難の遅れが被害を拡大させました。大雨のシーズンが始まる中で、わたしたちはいつ、避難を始めればいいのか? そのカギとして注目されるのが「避難スイッチ」。取材しました。(社会部記者 小林育大)
目次
「避難スイッチ」訓練
「避難スイッチ」とは? 6月中旬、「避難スイッチ」を考える訓練が行われるという情報を得た私は三重県伊勢市に取材に入りました。過去たびたび水害が起きている地域です。鉛色の空。横殴りの雨。低気圧が接近し、これからの大雨のシーズンを感じさせる天気でした。
「いつ行動するかを決める“スイッチ”。避難をしなければいけないタイミングをみんなでちゃんと考えましょう」
訓練が行われたのは伊勢市にある小学校の体育館。地元の住民など200人を前に京都大学の特定准教授 竹之内健介さんの声が響いていました。
そう、「避難スイッチ」は、避難をするタイミングを“地元”で決めること。
行政が把握しきれない、細かな災害のシグナルをつかみ、「いつ逃げる?」の「いつ」をあらかじめ決めておこうという取り組みです。
訓練は台風が接近している想定で、どういった「避難スイッチ」があるのか考えるものでした。
西日本豪雨 避難の課題浮き彫りに
そもそもなぜ「避難スイッチ」が必要なのか。
相次ぐ水害では、自治体が避難の情報を出しても住民が避難しないケースが相次いでいるからです。
200人を超える死者・行方不明者が出た平成30年(2018)7月の西日本豪雨。最大で860万人余りに避難勧告などが出されましたが、避難所への避難が確認されたのは4万2000人余りと、全体の0.5%未満にとどまりました。
広島市が「避難指示」を出した地域の858人から回答を得たアンケートでも、「避難した」は22.1%で、「避難しなかった」は73.7%に上りました。
さらに、避難した人の多くも「雨の降り方などで身の危険を感じたから」と答えていました。
数が多かったり広域に出たりする「自治体の避難の情報」や「気象庁の警報」では、なかなか避難できない実態が改めて浮き彫りになったのです。
後押しの“避難スイッチ”必要
「自治体側が安全性を考えて避難情報を早めに出すものの、住民側は、その情報を使って“いつ避難するか”タイミングを考える機会が十分ではないのが現状です」
伊勢市で訓練を企画した京都大学の竹之内さん。住民の避難開始は「自治体の避難の情報」や「気象庁の警報」発表が原則としつつも、さらに後押しする地元ならではの「避難スイッチ」が必要だと考えています。
台風想定で“スイッチ”考える
伊勢市の訓練では、台風の接近を想定し、何が適切な「避難スイッチ」か考えました。
地区ごとに分かれた住民たちが目にするのは…。
▽雨雲のレーダー画像
▽市内を流れる「宮川」の水位
▽被害の様子の写真。刻一刻と変わる周囲の状況が映し出されます。
さらに情報も次々に発表されます。
「伊勢市の全ての地区に、警戒レベル4にあたる避難勧告が出されました」「宮川が氾濫危険水位を超えたという情報が入りました」
参加者たちはこれらの情報を参考に、▽家で様子を見る、▽2階で過ごす、▽安全な所に避難するなど、どの段階でどのような行動をとるか、マークシートを使って考えていきます。
以前 避難遅れた人も…
訓練に参加した人の中には過去の大雨で被害を経験した人もいました。荒木幸一さん(63)です。
平成16年(2004)9月の台風で、住宅が浸水し、救助されたことがあります。
荒木さんの自宅近くを流れる一級河川の宮川や、そこへ注ぎ込む支流から水があふれ、周辺の道路が冠水、「避難勧告」も出されました。
それでも荒木さんは、水害の経験がなく、避難しようとは考えませんでした。しかし、濁流が自宅に流れ込んで床上まで水につかってしまい、高齢の両親などと、消防のボートで救助してもらったといいます。
「避難の呼びかけは範囲が広く『本当にうちが危ないの?』という気がしてしまいました。何をきっかけに避難するか、より具体的になれば早く行動できるのではないかと思いました」(荒木さん)
荒木さんはこの経験から今回の訓練への参加を決めました。
「水門の閉鎖」スイッチに
訓練の結果、荒木さんや地区の住民が着目したのが宮川の支流にある「水門」でした。
水門は宮川の水位が上昇すると閉じられる仕組みです。このため荒木さんの地区は「水門の閉鎖」が災害のシグナルだとして「避難スイッチ」にする方向で考えていくことにしました。
「地域ごとにスイッチを決めることが大事だと実感した。川が氾濫しかけると水門が閉鎖されるので、これで『スイッチ』を入れ、機敏に避難行動を起こすようにしたい」(荒木さん)
各地の「避難スイッチ」
「避難スイッチ」を決める取り組みは全国に広がっています。どのようなものがあるのでしょうか。
事例1 ため池と川の水位
兵庫県宝塚市の川面地区は水害の危険性があります。
避難スイッチは…
▽住宅街にある「ため池の水」があと50センチであふれそうになった場合
▽地区を流れる「川の水位」が3分の2を超え、さらに雨が降り続く場合
事例2 川の濁り具合と水位の急変
高知県四万十町の大正地区は豪雨で土砂災害が懸念されます。
避難スイッチにしようとしているのは…
▽「川の水の濁り具合」がいつもと異なる場合
▽「水位が急激に上がったり下がったりする」など異常が確認された場合
避難スイッチで無事の例も
あらかじめ設定した避難スイッチのおかげで、実際に避難ができた地区もあります。福岡県朝倉市の山あいにある「平榎地区」です。
平成24年(2012)の豪雨で大きな被害を受けたこの地区では、当時の経験をもとに、「小さな川のそばにある住宅で浸水が始まった場合」を地元の避難スイッチに設定していました。
平成29年(2017)の九州北部豪雨では、この避難スイッチをもとに住民が避難を開始。川が氾濫して住宅が流されるなどの被害が出ましたが、住民全員が無事でした。
「スイッチ」通して避難を考える
京都大学の竹之内さんによると、「避難スイッチ」は地域の過去の災害を振り返ることで身近なものから見つけられるといいます。
例えば…。
「○○さんの田んぼにまで川から水が入って来た」
「川の流れが激しく、いつもは見えている岩が見えなくなった」
過去にあった“身の回りの異変”を知っておくことが特に大事です。亡くなったおじいちゃんから昔に聞いた話、家族や地域での茶飲み話。そんな話題もしっかりメモに取っておくことが重要だそうです。
若い人なら、大雨の時を大事な観察機会と思い、安全に気をつけながらスマートフォンで身の回りの写真を撮っておくことも大事な作業だそうです。
竹之内さんは、避難スイッチの取り組みは、ふだん災害に関心のない人でも防災に興味を持つことになる大事な機会になるとしています。
「“なぜ避難するのか” “どのタイミングで避難するのか”。避難スイッチの取り組みでいちばん重要なのは自分たちの地域にある災害のリスクを知ること。こうした取り組みが全国に広がり、関心が高まっていってほしい」
1人1人が大雨に備える
ことしも大雨のシーズンがやって来ます。毎年、必ずといっていいほど大規模な水害が起き、決してひと事ではありません。
「避難指示」「避難勧告」「避難準備の情報」
自治体のこんな呼びかけを、あなたもきっと耳にすることでしょう。
その時、自分のことと受けとめ、避難を始められますか?
避難が遅れ、“こんなことになるとは…”。そうなる前に自分なりの「スイッチ」、考えてみてはいかがでしょうか。
家族で、そして地域で。災害リスクを知り、対応の段取りを決めておけば、いざという時に慌てずに行動に移せます。
必ずや命を守る行動につながると信じて、地道な備えの積み重ねを続けることが大事なのだと思います。
- 社会部記者 災害担当
- 小林 育大
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