山中亮平 まさかの日本代表落選
8月15日、都内のホテルで行われたワールドカップのメンバー発表。
![](./images/article33_02.jpg)
予想どおりの顔ぶれが呼ばれる中、フルバックの定位置に山中選手の名前はなかった。
会見場が、異様な空気感に包まれる。
報道陣は“山中、サプライズの落選”を伝えた。
![](./images/article33_03.jpg)
もともと代表入り確実と言われてきた山中選手。
前回のワールドカップではフルバックとして5試合すべてに出場し、日本のベスト8進出に貢献。
何度も窮地を救った左足のロングキックや1メートル88センチの長身を生かしたハイボールキャッチは、多くのファンの記憶に刻まれた。
しかし、今回、日本代表のジェイミー・ジョセフヘッドコーチの判断は違った。
複数のポジションをこなせるユーティリティー性などに重きが置かれ、山中選手はメンバーから外れた。
落選のショックは大きく
実は、選手たちには、この10日前に代表メンバーが伝えられていた。
![](./images/article33_04.jpg)
8月5日。
東京・秩父宮ラグビー場で行われた国内最後のテストマッチ、フィジー戦のあとだった。
重苦しい雰囲気で、中には涙を流す選手もいた。
キャプテンの姫野和樹選手は「タフな時間だった。素直に喜べなかったし、もちろん拍手もなかった」と語った。
山中選手は、当時のことをこう振り返る。
山中亮平選手
「落ちた時は悔しかったですし、ショックは大きかったです。どこかでワールドカップに行けるという気持ちがありましたし、この4年間そのためにやってきたので。(家族も)メンバーから外れたときはショックを受けていましたし、子どもは泣いていました。1週間ぐらいはすごく落ち込んで何も考えられなかった」
周囲の支えで前向きに
選出ほぼ間違いなしからの落選。
腐ってもおかしくない状況の中、山中選手はいろいろな人に会って話をすることで気持ちを整理していった。
その1人が元日本代表のフルバック、五郎丸歩さん。
早稲田大学ラグビー部の先輩であり、頼りにしてきた存在だ。
![](./images/article33_05.jpg)
その頃、山中選手はヨーロッパの伝統あるクラブチーム「バーバリアンズ」に参加するため、遠征に向けた準備をしていた。
五郎丸さんは、拠点のある神戸まで来て“まだチャンスはある”とアドバイスしてくれたという。
山中亮平選手
「『バーバリアンズで何か違う刺激もあると思うし、そこで頑張ってやっていればもしかしたら日本代表のチャンスがあるかもしれない。いい準備をしてほしい』と話をされて。それがいまにもつながっているかな」
SNSに誓った決意
そして、山中選手は、みずからのSNSに決意を示した。
![](./images/article33_06.jpg)
今大会を集大成と位置づけていた山中選手。
このまま引き下がるのは「性に合わない」と、4年後のワールドカップを目指すと宣言した。
髪の毛の色は金色に変わっていた。
「心機一転」新たなスタートを切った。
届いた吉報に家族やファンは
そして、ワールドカップフランス大会が開幕。
![](./images/article33_07.jpg)
山中選手は「バーバリアンズ」の一員として、ヨーロッパの高いレベルでプレーし、自身の成長を感じていた。
そして、日本がイングランド戦に敗れたあとの9月18日の朝。
電話が鳴った。
“けがのセミシ・マシレワ選手に代わって代表に招集する”
山中亮平選手
「電話がかかってきたときはすごくうれしかったです。誰もけがなくワールドカップを終えるのが一番なのでセミシ(マシレワ選手)のけがは残念です。ただ呼ばれたからにはチームにコミットして貢献したい」
思いを真っ先に伝えたのは家族だった。
オンライン通話で連絡をとると、画面に笑顔があふれた。
![](./images/article33_08.jpg)
山中亮平選手
「すごく喜んでくれました。どういう形であれワールドカップに行くというのは、家族にとってうれしいと思います」
まさかの落選から一転、復活へ。
みずからのSNSに「第2章がまだ終わってなかったな」と投稿した山中選手。
支えてくれる人や応援してくれる人への感謝の思いを口にする。
![](./images/article33_09.jpg)
山中亮平選手
「『こんなに応援してもらえていたんだ』と気づきました。たくさんのSNSの声も届いているので感謝の気持ちがありますし、素直にうれしいなと思います」
どん底を味わったからこそ感じられる周囲の温かいことば。
山中選手は、多くの支えを胸に世界最高の舞台での活躍を誓っている。
![](./images/article33_10.jpg)