2023年12月08日
(聞き手:芹川美侑 正木魅優)
日本代表でも活躍した元プロサッカー選手の羽生直剛さん。もともと体が小さく「プロでは通用しない」と言われていたそうですが、38歳まで16年間、選手として活躍を続けました。その背景にはプロ2年目で出会った名将、イビチャ・オシム元監督の教えがあったといいます。羽生さんの波乱のサッカー人生と、今も続ける挑戦について聞きました。
羽生さんがサッカー選手になろうと思ったのはなぜですか?
僕は小学生のときに漫画の『キャプテン翼』をきっかけにしてサッカーを始めました。
でも体が小さかったし、特別すごいドリブルやパスができたわけでもないし、どこにでも自分よりうまい選手がいて、ずっと葛藤がありました。
元サッカー日本代表選手 羽生直剛(はにゅう・なおたけ)さん
1979年千葉県生まれ。2002年にジェフユナイテッド市原(現:市原・千葉)に入団し、恩師となるイビチャ・オシム監督と出会う。ポジションは主にミッドフィルダー。2006年日本代表に選出。FC東京などプロ16年間で500試合以上の公式戦に出場。引退後、2020年に「AMBITION22」を設立、アスリートのキャリア支援などを行う。
大学生になっても、プロ入りは無理だ、みたいなことを言われていましたが、「もし今やめるとしても後悔したくない」って思ったんですよね。
もしダメでも、「自分は全力で生きてきた」と納得できるようにするべきじゃないかって。
一日一日、いま目の前にあることを全力でやっていくこと、それをとにかく積み上げていくことにフォーカスしていきました。
その結果、大学選抜に選ばれて、大会で活躍したことでスカウトの目にとまってプロ入りのオファーを受けることができました。
そして実際にプロ選手になったら、16年間にもわたって活躍を続けられたわけですよね。今振り返ってなぜだと思われますか?
体が大きくない分、とにかくよく走っていましたし、ピッチのどこにでも顔を出すと言われていました。
あとはとにかく考えること。いま自分がどう動けばチームがゴールを決められるかを常に計算して動く、これを意識してやっていました。
そういう自分になれたのも、プロ2年目にイビチャ・オシム監督に出会ったことで、その教えが自分に根付いたからだと思います。
オシム元監督はどんな方だったのですか?
第一印象は怖かったというか、威圧感がすごくて。身長も1メートル90センチぐらいあるんで、ヨーロッパの大きい人がめちゃくちゃ上からにらんでくるみたいな(笑)。
でもトータルで5年間、指導を受けましたけど、サッカーへの向き合い方だけじゃなく生きるってことまで濃すぎるくらい伝え続けてくれて、自分を成長させてくれました。唯一無二の存在です。
イビチャ・オシム元監督
サッカー日本代表元監督。1941年サラエボ生まれ。旧ユーゴスラビア代表監督などを経て、2003年ジェフユナイテッド市原(当時)の監督に就任。低迷を続けていたチームを“考えて走るサッカー”で一気に強豪へと押し上げた。2006年7月から日本代表監督となり、病に倒れるまで1年4か月務める。2022年に死去。
どんな指導をされていたんですか。
まず練習方法が他の監督と全く違いました。「走らないサッカーはない」と常に走ることを要求されました。
あとは集中していなかったり、何も考えていなかったりするミスに対して、すごく厳しく指導されました。
1回の練習はだいたい2時間ですけど、今までに味わったことがないぐらいハードなものでした。
でもそれまでJリーグの降格・残留争いの常連だったようなチームが、オシムさんの就任1年目から優勝争いをしたんです。
2年目にはJリーグカップで優勝して、クラブ初めてのタイトルも取りました。
いろいろ厳しかったですが、結果が出たことで、みんなオシムさんについていきましたね。
オシム監督の指導で、印象的な言葉はありますか?
オシムさんは「責任」に厳しい人でした。「チームとして勝つかどうかを一番に考えろ」と言われた、こんなエピソードがあります。
僕がスタメンで出ていた試合の後半20分ごろ、「羽生まだ走れるか」って言われて。
後半は体力的にきついんですが、まだ僕は若かったし、90分フル出場してこそ評価されると思っていたので、「きついけどできます」みたいな感じでプレーしていたんです。
そのあとピンチを迎えたら、ベンチでオシムさんが激怒していたんです。「オイ! お前できるって言ったから出しているんだろう!」って。
後で呼び出されて「できないとしっかり伝えるのもプロだ」と言われました。
「お前がそこまで頑張ってプレーしたのは知っている。交代して新しい選手が入ってチームが勝てればそれでいいじゃないか。お前の変なプライドでピンチになって試合に負けたら、お前は責任を取れるのか?」って。
責任感がないやつはサッカー選手になれない、それはサッカーも人生も一緒だと言われて、自分もそう思うようになりました。
サッカーと人生には通じるものがあるんですね。
ほかにもオシムさんには、「何かを得るにはリスクを冒す勇気を持て」「野心を持て」といつも言われていました。
「試合でゴールが決まる瞬間は、誰かが勇気をもって前に出ていった瞬間だ」と。
それまでは、DFは守る人とか、MFは走る人とか、分業があったんですよね。
でもオシムさんは「チャンスがあっても動かないのはおかしい、自分の持ち場から離れる勇気も必要だ」と言っていました。
きちんと意図があってチャレンジすることに対しては、失敗しても文句は言わないんだけど、行けるのに行かないことを選んだ時にはすごく厳しかったです。
「挑戦することこそが大事」というのは、今も僕の中で大きなオシムさんの教えの1つです。
その後、オシムさんは日本代表の監督になって、僕はオシムさんの教えを体現していたこともあってか、日本代表に選ばれました。
日本代表に選ばれたときはどんな気持ちでしたか?
プレッシャーしかなかったです(笑)。
もちろん選ばれたのは価値があると思ったし、やる気もあったけど、常に僕は「まだ足りていない」と自分に言いきかせるタイプなので、自分を追い込んでいました。
日本代表の試合で印象に残っている試合はありますか。
2007年の「アジアカップ」という国際大会の3位決定戦です。対韓国戦で、延長でも決着が付かず、PK戦までもつれたあと僕がPKを外して負けたんです。
ちなみにその大会で僕はチャンスを全然決められないまま来て、最後はPKも外して終わったという形でした。
さらに言うと、僕は正直なので、メディアの取材で「PKスポットに行く時どんな気持ちでしたか」と聞かれて、「蹴りたくない気持ちと挽回したい気持ちがあった、でも選ばれた以上、責任をもって蹴りました」と言いました。
そしたら次の日のスポーツ新聞で「正直蹴りたくなかった」って見出しが出て、炎上したんです。
バッシングを受けて、苦しくて悔しくて、あのころは本当にどん底でした。
そこから、どう気持ちを切り替えたんですか。
ずっと落ち込んでいたけど、今は「失敗したとしても、その経験は挑戦した人しかできない」と考えられるようになりました。
まあ、そう思えるようになるには時間がかかったんですけど(笑)。
僕はオシムさんと離れた後、同じJ1のFC東京に移籍して選手を続けましたが、30代後半になって最後、J2に降格していた古巣のジェフに戻る決断をしました。
それはJ1への復帰を手伝いたいという僕なりのチャレンジでした。ですが、結局、ケガの影響で思うように出場できず、1年で現役引退することになってしまいました。
僕としては、FC東京でそのまま引退するよりも、新しい挑戦をしたかったんです。その時に、オシムさんの「挑戦」を求める教えが自分にしみこんでいることを、改めて実感しました。
PKの話に戻すと、現役引退後、いまサッカー教室で子どもたちに伝えていますが、「PK蹴りたい人いるか」って聞かれた時に「自分が蹴りたい」って言えた時点で、価値があると思います。
どんな結果になったとしても、立候補する姿勢や勇気はすばらしい。もし失敗しても、その経験は挑戦した人しかできないですよね。その経験がその後に必ず役に立つはずなんです。
挑戦したことを納得できるようになって、PK失敗の悔しさは克服できたんですね。
いや、まだ悔しいですよ(笑)。この悔しさを帳消しにできることって何だろうと今でも考えるし、その挑戦はまだまだ続いています。
「あのPKを外した羽生でしょ」と言われても、「あの経験を生かして、今はこういうふうにチャレンジングで面白い働き方をしています」と答えられるようになりたい。
どん底を味わったからこそ、まだ終われないという感じです。
就活生に向けて、羽生さんにとって仕事とは何かを書いてもらえますか?
オシムさんから「何かを得るにはリスクを冒す勇気を持て」「野心を持て」と言われてきて、僕もそうしているという話をしましたよね。
その上で、僕としては、人と比べるんじゃなく、自分としてのチャレンジを続けていく人が、かっこいいと思うんです。
常に向上心を持って前向きに捉えていく人が増えるといいなって。「チャレンジ無しはイヤじゃない?」という考えになってほしい。
みんな必ず可能性を持っているから、そこに1回も挑まないで終わることは嫌ですね。
縁があって出会った人にそう思ってもらえるよう、僕自身もふるまっていきたいです。
ありがとうございました。
サッカーを通じて人生観が変わったという羽生さん。後編では、その学びを今の仕事にどう生かしているかや、学生にも参考になる「自分の強み探し」のノウハウについて聞きます。
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