証言 当事者たちの声患者たちがいま伝えたいこと~大阪クリニック放火事件1年

2022年12月16日社会 事件

「患者だったからこそ伝えたいことがある」

事件のあったクリニックに通っていた2人の患者はいずれもそう話しました。

事件で大切な居場所を失い、社会復帰を目指した仲間とも離ればなれになりました。

さらに2人に追い打ちをかけたのは、”社会からの冷たい目”でした。

あの日から1年。

2人のいまを見つめました。
(大阪局・堀内新)

大阪・北区の心療内科クリニック放火事件
2021年12月17日。大阪・北区の心療内科クリニックが放火され、西澤弘太郎院長(当時49)や患者、スタッフが巻き込まれ26人が死亡した。患者だった谷本盛雄容疑者(当時61)が殺人などの容疑で書類送検され、容疑者死亡のため不起訴に。

生きづらさの理由がわからない

放火されたこのクリニックには、およそ800人が通っていました。患者のなかには、事件のショックからいまだに立ち直れていない人もいます。

れいさん(仮名・40代)です。

事件のおよそ2年半前からクリニックに通院していました。

高校生の頃から、発達障害やそれに伴うとみられる精神的な障害で生きづらさを感じていました。

理由がわからない不安を抱え、人前に立つと途端にひとことも発することができなくなり、倒れてしまうこともあったといいます。

「もしかしたら病気や障害かもしれない」とも考えましたが、両親に相談することもできず、ずっと1人で抱えていました。

れいさん
「自分の状態を周りの人に言っただけで、『おかしなやつ』というように扱われてしまうので言えなかったです。障害によって孤立感があったと思います。不利益を被らないためには隠して生きるしかないと。頼れる人や相談できる人はいなくて、ずっと生きづらさを感じていました」

違和感をもちながら生きてきたれいさん。

2019年7月、知人の紹介をきっかけに、西澤弘太郎院長のクリニックに通い始めました。

西澤弘太郎院長

これまで心療内科の通院歴はほとんどなく、どんな診察が行われるのか緊張していましたが、気持ちを軽くしてくれたのが、自分の症状などについて記入する「質問シート」でした。

診断がついておらず、さまざまな症状に悩まされていたれいさんにとって、自分のことを西澤院長に伝えるために必要だったといいます。

質問シート

およそ1か月後、れいさんは発達障害の一種と診断されます。

当時の診断書

それ以降、2週間に1度通院し、西澤院長の診察や担当のカウンセラーのカウンセリングを受け、自分の特性への向き合い方などを教えてもらいました。

当時のカウンセリング内容が書かれたノートを見せてもらいました。

カウンセリングの内容がびっしりと書き込まれている

印象に残っているという、事件の半年前、6月11日のメモ。

幼少期に虐待などを受けた経験から、強い不安を感じやすかったというれいさんは、そのつらい経験に向き合うことで不安を改善できると考えていました。

しかし、この日は全く逆のアドバイスをされました。

それは「不安の原因に向き合わない」ということです。

メモには「原因を探らない。置いた状態で回復する、楽になる自分を許してみる」と書かれていました。

れいさん
「根本的な原因に向き合わないと強い不安を解決できないと思い込んでいたので『え?過去に向き合わなくていいの?』という驚きでした。それと同時に、あのつらかった記憶を思い出さなくていい、それでも前に進めると教えてもらって気持ちはすごく軽くなり、相談してよかったと思いました」

その後も、教えてもらったさまざまな不安への対処方法に取り組みました。

例えば、不安を感じたときにそれを「箱」にしまうイメージをもつことや、自分を第三者の目線からふかんしてみる意識をもつ、といった方法です。

こうした診察を受けるうちに長年悩まされていた不安から来る不眠は緩和されていったといいます。

今も大切にしているという

れいさん
「西澤先生や担当のカウンセラーは、状況に応じて適切なアドバイスや薬の処方をしてくれて、これまで漠然とした違和感を持ちながら何で苦しいのかもわからない状態だったところに希望がみえてきました。完全に治るのは難しくてもできるかぎり回復して日常生活に支障が出ないとなれば全然違いますし、通院が待ち遠しくなって、クリニックは自分にとってなくてはならないものになっていました」

事件直後 親から言われたひとこと

2年半の診察をへて、自分との向き合い方が次第にわかってきたというれいさん。

事件が起きたのはそのやさきのことでした。

れいさんは知り合いからの連絡で事件を知りました。

西澤院長や担当カウンセラーが巻き込まれていないか。

テレビを見ながら2人の無事を願いましたが、かないませんでした。

事件のあと、1日に数回、1人ではいられないような強い不安に襲われることが多くなりました。

テレビで流れた事件現場の映像が頭のなかで鮮明に浮かび、体が拒絶反応を起こすようにもなりました。

突然呼吸が荒くなってきて、自分で整えることができなくなってしまい、だんだん気が遠くなって倒れてしまうこともたびたびあったといいます。

さらに追い打ちをかけたのは、親からかけられたあるひとことでした。

『お前も事件を起こすんじゃないか』

突然のことばに、理解ができなかったといいます。

れいさん
「『え?』と思いました。もともと病気への理解はありませんでしたが、驚いて何も言い返せませんでした。社会全体が私の親のように考えている訳ではないとわかっています。ただ、精神障害がある人は問題行動を起こすといった偏見があることは学生時代から感じていましたし、この事件によってさらに深まるんだろうなと思いました」

社会に知ってほしい

事件が起きた当日の午後、診察を受ける予定だったれいさん。

事件から1年が近づくにつれて、あの日のことをフラッシュバックすることも多くなってきたということです。

れいさん
「現実としてクリニックの患者が事件を起こしましたけど、障害があるほかの人がみんな同じということはありません。障害がある人のことを知らないからこそ不安に感じることはあると思うので、知ることによって不安が取り除かれるのではないかと思っています。事件の話や自分の障害のことを話すのは非常につらいです。でもつらいからといって何も言わなかったから、このままずっと続いていく。それは私自身も困るので、社会に知ってもらうきっかけになればと思っています」

前を向いて歩き始めた人も

西澤院長の診察と周囲の支援で社会復帰し、同じ境遇にある人たちを支えたいと動き出した人もいます。

達郎さん(仮名・40代)です。

達郎さんが「うつ病」と診断されたのは、大手メーカーに入社し、中部地方で営業の仕事していた20代の頃でした。

突然、会社に行くことができなくなったといいます。

将来のためにもできるだけ早い復帰を目指していましたが、休職と復帰を繰り返す日々が続きました。

診察を受けてから10年。1人暮らしが限界になり、西澤院長のクリニックへの通院を始めました。

達郎さんは西澤院長の診察の様子などから、専門的な知識に裏付けられた患者への優しさを感じたといいます。

達郎さん
「西澤院長は長い時間丁寧に話を聞いてくれました。偶然、障害者雇用をしている合同説明会でお会いしたこともあり、『こんなところまで足を運ぶんだ』と本当に患者思いの先生だと感じていました」

達郎さんはクリニックの「リワークプログラム」に通い、社会復帰を目指していました。
「リワークプログラム」とは、カウンセリングやグループワークなどを通じて、職場への復帰や定着を支援する取り組みです。

講座では10人ほどが同じ部屋に入り、資料を使って心理学などを勉強したり、ほかの参加者と境遇や悩みについて共有したりする時間があったということです。

リワークルーム

こうしたプログラムは週に4回行われていて、同じように社会復帰を目指す仲間と就職活動に関する情報を交換したり、励ましあったりしていました。

社会からの孤立感を感じていた達郎さん。こうした交流が前を向く力になったと振り返ります。

達郎さん
「リワーク(プログラム)はいつでも気軽に訪れて似た境遇の仲間たちと励ましあえる場所でした。参加者の誰かしらと話ができることで安心感や孤独感の解消につながっていたと思います」

事件が起きたのは、達郎さんが就労への一歩を踏み出そうとしたやさきのことでした。

知り合いの訪問看護師からの連絡で事件を知りました。

クリニックではトラブルを防ぐため、患者同士の連絡先の交換は禁止されていて、連絡を取って誰が巻き込まれたのか、無事なのか確かめることはできませんでした。

仲間たちとの交流を通して

事件から1か月ほどたったとき、達郎さんはこのクリニックに通っていた患者が参加するオンライン交流会のことを知りました。

発達障害がある人の就労支援や福祉サービスの情報提供などを行っている大阪の会社「障害者ドットコム」が主催し、ことし3月に始まりました。

週に1回、クリニックの患者や支援者などが参加して、日々の悩みを共有します。

達郎さんはこのなかで、事件を通して感じた精神的な障害がある人への偏見についても、次第に思いを述べるようになっていきました。

達郎さんが参加したオンライン交流会

きっかけは事件の翌日、現場のビルを訪れたときの出来事でした。

『リワークプログラムの参加者で暴れる人はいなかったですか?』

報道関係者からのこの質問をいまも忘れることができないといいます。

当時の報道ではまだ容疑者の名前は公表されておらず、“火をつけたのはクリニックに通っていた患者とみられる”という情報しかありませんでした。

いまとなってみれば、事件の詳しい状況を明らかにしたいという取材の目的は理解できますが、当時は患者全体が疑われているかのような印象をうけたといいます。

達郎さん
「自分がこれまで漠然と感じていた生きづらさの正体を突きつけられた感じでした。個別に確認すればそれぞれの症状は全然違うはずなのに、精神的な病気や障害があれば、みな同じなのか。社会に対するあきらめというか、残念だなと思いました」

「患者の立場から伝えたい」

その後、オンライン交流会でこうした思いを仲間と共有するなかで気持ちは徐々に軽くなり、症状も改善していったという達郎さん。

9月からは「障害者ドットコム」が運営する就労支援の事業所で働けるまでに回復しました。

達郎さんが働いている事業所

いまは、ウェブサイトで配信する記事の執筆などを担当しています。

今後、事件を通して感じた偏見や、患者の立場から必要だと考える行政の支援のあり方についても伝え、障害がある人もない人も生きやすい社会につながればと考えています。

達郎さん
「誰もが精神的な病気になる可能性はあるのだから、ひとごとだとは思わずに患者も含めて巻き込まれた人たちが事件でどんな影響を受けたのか、多くの人に知ってほしいです。そして、同じように偏見に苦しんでいる人たちが少しでも暮らしやすい社会にするためにできることをやっていきたいです」

生きやすい社会 実現のためには

居場所を失った人たちにはどのような支援が必要なのか 

障害者ドットコムの川田祐一代表は次のように話しています。

川田祐一代表
「クリニックに通っていた患者のなかには『犯罪者予備軍』と言われるなど偏見に苦しんでいる人がいます。たぶん、行動や言動が普通の人とは違うと思われ、事件を起こすのではないかと誤った見られ方をしているのだと思います。私たちも会社名に『障害者』が入っているから、物件を借りるときにふさわしくないと何件か断られたことがあります。
まずは、誰もが障害に対して、正しく理解する必要があると思います。そのためには、幼少期からの福祉教育をもっと充実させることが必要だと思います。そして、誰もが安心して自分らしく過ごせるコミュニティーが社会に増えていくことで、障害者に限らず生きづらさを抱える人が減るのではないかと考えています」

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  • 大阪放送局記者 堀内新  2016年入局。大阪府警担当。
    クリニック放火事件を発生当時から取材。