証言 当事者たちの声家族の笑顔を作りたい 亡き夫の願い胸に~クリニック放火1年

2022年12月16日社会 事件

夫の遺品を整理していて見つけた、家族を思うたくさんのことば。

「家族の笑顔を作りたい」

生まれてくる子どもの名前も、何度もつづられていました。

仕事への復帰を目指していた夫が突然奪われた事件から1年。

いま、このメッセージを心の支えにしています。

大阪・北区の診療内科クリニック放火事件
2021年12月17日。大阪・北区の心療内科クリニックが放火され、西澤弘太郎院長(当時49)や患者ら巻き込まれた26人が死亡した。患者だった谷本盛雄容疑者(当時61)が殺人などの容疑で書類送検され、容疑者死亡のため不起訴に。

届かなかった夫へのメッセージ

事件で夫を亡くし子どもを1人で育てている女性です。

1年前のあの日。

仕事中に、パソコンの画面に飛び込んできたニュースを見て、夫が通うクリニックが近くにあったことに気づき、すぐにメッセージを送ったといいます。

午後1時43分。

「大丈夫?火事、近くみたいやけど」

ふだんはすぐに返事をしてくれるのに、既読の表示にはならず、電話もつながらない。

もしかしてと思う気持ちと、信じたくない気持ちがぐるぐると頭のなかをめぐりながら、仕事を終えてすぐに帰宅しました。

幼い子どもが不安にならないように、ふだんどおりに接していたといいます。

夫を亡くした女性
「帰ってくることを信じて待ちながら、家で子どもには何も言わず、いつもと変わらないように過ごしました。本来であれば、夕方主人が帰ってくる時間になっても帰ってこない。家のなかに携帯電話を忘れているかもと思って探しても見つからなかったです」

だんだんと不安が募ってきたとき。

午後9時前、警察から電話がかかってきました。

「大変申し上げにくいのですが・・・」

夫が放火事件の犠牲となり、亡くなったことを知らされました。

再起を誓っていたやさきに

子どものお宮参りの写真

女性は、事件前、夫と幼い子どもと暮らしていました。

大切にしている子どものお宮参りの家族写真には、夫の笑顔が収められています。

女性はこのときの笑顔が忘れられないといいます。

「本当にとてもいいお父さんだったと思います。子どもを授かって元気で生まれてきてくれて、100日のお祝いをすることができて。夫の手帳には、子どもの名前を何度も練習した跡がありました。当時は、元気に仕事も行っていました。子どもの将来とか家族みんなでそろっている健やかな家族のかたちみたいなものを思い描いて、希望しかないっていうそんな笑顔なのかなって思います」

もともと夫は、資格を生かして専門職として働いていました。

仕事への責任感が強く、真面目な性格でした。

夫の遺品のノート

「継続は力なり」

「まわりに迷惑をかけずに課題に取り組む」

遺品を整理していて初めて目にした夫の手書きのメモ。

日々の気づきや反省を書き留めていたノートには、そう記されていました。

「自分の仕事にすごく責任をもって取り組んでいた何よりの証拠だろうなと思うし、ところどころに、心のつぶやきみたいなものがあったりすると、彼らしいなというか。プライドをもって、仕事に取り組んでいたというのがわかります」

夫は朝早くから夜遅くまで、時には、仕事を家に持ち帰ってまで働いていました。

そんな毎日のなかで頑張りすぎてしまい、心に不調をきたすようになり、仕事を辞めざるを得なくなりました。

しかし、家族のためにもう一度働きたい。

家族への強い思いから、夫はこのクリニックにみずから通い始めました。

事件の1年ほど前から参加し始めたのが、職場復帰を支援する「リワークプログラム」です。

週に1回訪れ、心の持ち方や仕事との向き合い方などの講座を一番前の席で熱心に聞いていたといいます。

事件の3日前 夫は

女性は、夫がクリニックに通うたびにだんだん自分らしさや自信を取り戻していると感じていました。

そんななか、事件の3日前には夫が復職を決めたと感じる出来事がありました。

「近々、落ち着いて話す時間をとってくれないかというようなことを言われていました。おそらく、家族を大事にしながら自分らしく働き続けることができる、そんなスタイルみたいなものを考えていて、4月からこういう形で働くというのが彼のなかで決まって、そのことを私に報告してくれるつもりだったのだろうなと思います」

しかし、夫の気持ちを聞くことはかないませんでした。

いつものように朝からクリニックに向かった夫は、帰ってきませんでした。

対面できたのは、12時間後。

突然の別れでした。

「本当にショックとパニックと。うそでしょっていう気持ちがとても大きくて。彼の命も、私たち家族の時間とか未来とか、かなえたかったこととか、全部奪われたという悔しさが一番にありました」

女性を追いつめたのは

理不尽に奪われた夫の命。

現実を受け止めきれずにいたなかで、SNS上で偶然目にしたことばに追いつめられました。

「薬漬けの人生」
「犯罪者のほとんどは心療内科の患者」

事件の記事などは見ないように避けてきましたが、SNS上には、被害者やクリニックに通う患者への偏見や中傷が並んでいたといいます。

「『あんなところにいたからあんな目に遭ったんだ』とか、全く落ち度がないままに犯罪の被害に遭った人たちに対しても攻撃的な目が向くという現実があるということに驚きました。自分がこの立場になって見せつけられたものだったなというふうにも思います」

“命の価値まで低く扱われ“

さらに苦しめられたのは、被害者の支援に格差があることでした。

国は犯罪被害者や遺族に給付金を支給する制度を設けています。

遺族に対する給付金は、被害者の年齢や収入、生計を維持していた家族の人数などに応じて算出されるため、無職で収入が無かった夫は、最も低い給付額になるおそれがあると知らされました。

夫が無職とひとくくりにされ、“命の価値まで低く扱われた”と感じ、深く傷ついたといいます。

「夫も、あのとき一緒にリワークプログラムに参加していた人たちも、みんな病に倒れ解雇や退職を乗り越えて復職することを目標に頑張っていたのです。働けなくなったからダメとか、仕事してないからダメとか、あなたの夫の命はこれだけですよと突き放されて言われているように強く感じて、彼のことを何も知らない人が彼の命の価値を勝手に決めているというふうに受け取ってしまった。政府や行政には『寄り添う』ということばがことばだけに終わらないために、どうすればよいのか、真剣に考えてほしい。そして世間の皆さんも、いつ、どこで誰が被害者になってもおかしくないのです。ひとりひとりが『自分がもしその立場だったら』と考えていただきたいと思います」

夫のことばを支えに

この1年、女性は、家族の誕生日や子どもの行事などに、この先もずっと「彼がいない」ことを実感せざるを得ない日々だったと話します。

夫がいない初めての子どもの運動会で、頑張っている子どもたちの姿を見て、ほかの家族とは違う涙を流し、空を見上げて「一緒に見てくれているかな」と心のなかで話しかけました。

「もう1年たったのかとか、まだ1年しかたっていないというのか。私は衣がえをするけれど、あなたはもうしなくていいんだなと思って、日常のなかに彼がいなくなったことを感じる瞬間がたくさんあって。彼を失ったという寂しさとか喪失感っていうものは、変わらないし埋まらないのです」

いま、女性が支えにしているのは、遺品のなかから見つかった夫の手書きのメモです。

そこには、家族への思いがつづられていました。

「家庭を守る為。子供の成長の可能性を広げてやりたい。家族の笑顔を作りたい」

夫を亡くした女性
「もう彼と話すことは二度とできない。たぶん、恥ずかしいとかもあったのかもしれないけど、このメモにあるような明確なことばでは直接やりとりできなかったです。
でも、子どもとの時間や家族との時間がいかに重要で大事だったかということが書かれた遺品はほかにもありました。
本当に愛情深い人です。
間違いなく愛されていたなっていうことを感じるし、残してくれていてありがとうと思っています」

  • 大阪放送局記者 後村佳祐 2017年入局
    奈良局を経て現在は事件や司法を担当

  • 大阪放送局ディレクター 野口翔 2011年入局
    福島局、ニュースウオッチ9などを経て現職
    東日本大震災や事件の遺族を取材