日本人の祖先、と聞いてどんなイメージを持つでしょうか?
実は東南アジアのタイの奥地に暮らすある少数民族が、“最初の日本人”の「親戚」とも言える存在であることが近年のDNA解析から分かりました。
今回、日本のメディアとして初めて接触することに成功したその民族とは?
(新番組「フロンティア」取材班 小山佑介 / 福原暢介)
その民族の名は「マニ族」
タイ南部、マレーシアとの国境近くに位置するパッタルン県。
マニ族はその山間の奥深くに住み、現地で“森の民”と呼ばれています。
数千年にわたり、外部との接触を絶ってきたと考えられています。しかし、森で食料が取れなくなったため、4年ほど前に山の近くの村におりてきて、現代文明と関わりを持ち始めたといいます。
私たちは、マニ族を少数民族として保護する政策を取っているタイ政府の許可を得て、今年7月、マニ族に会いに現地に向かいました。
初日、険しい山道を歩くこと1時間、マニ族が住むという集落に到着したものの、そこにいたのは数人だけ。
ほかのマニ族はどうしたのか聞いてみると「外からの来訪者を警戒して、集落を離れた」と言うのです。
案内役として同行していた国の担当者がその場でリーダーと話をしてくれ、翌日取材をさせてもらう約束をしました。
しかし翌日、再び訪れると集落はもぬけの殻。
住居だけ残され、前の日に話したリーダーはじめ誰もいませんでした。
それから3日間、私たちは毎朝、集落に向かい、日が暮れるまで待ち続けましたが、誰にも会うことはできませんでした。
4日目の夕方、国の担当者が、村に出てきていたマニ族のリーダーとの接触に成功し、改めて翌日の取材を了承してもらいました。
5日目。
集落に向かう道中、「もしまた会えなかったら…」という不安もよぎりましたが、今回は多くのマニ族が私たちを受け入れてくれました。
「おかしなことをしたら吹き矢を吹いた」
初めて見るマニ族の人たちは、周りのタイの人々と比べて肌の色が濃いのが特徴です。
小柄な人が多く、下の写真は身長170センチの私(筆者)と撮影したものです。
集落にいない間、どうしていたのか。
マニ族の男性にそう尋ねると「隠れてずっと見ていた。お前たちがおかしなことをしたら吹き矢を吹くつもりだった」と笑いながら言われました。
国の担当者によると「密林にはマニ族しか知らない獣道がある」そうで、そこからずっと私たちを観察していたのだろうということでした。
狩猟採集生活をしているマニ族の身体能力は高く、吹き矢を持った状態で20メートルほどの木を10秒ほどで登っていき、いとも簡単に野生の鳥を狩っていました。
言葉はタイ語とも異なるマニ族同士しか通じない言語で会話をしていました。食事は1日3回ではなく、小腹がすいたら、その都度、イモを焼いてつまんでいました。
今回取材したマニ族は30人ほどの集団でしたが、たった2家族で構成されており、その2家族も親戚同士だといいます。
タイ政府によるとマニ族はタイ南部に200人ほどいるということです。「山の中で、見知らぬ人に会ったら逃げる」ことが習慣になっており、近くの村人はもちろん、マニ族同士でも他の集団と一緒に行動することはありません。結婚の際に妻になる女性がほかのマニ族の集団から嫁いでくるということでした。
日本人の「親戚」って言われても…
ここまで読んでいただいた方の多くが、このような疑問を感じているのではないかと思います。
現代の日本人とは姿も生活様式も全く異なるマニ族が、なぜ“最初の日本人”の「親戚」と言えるのか。
この両者を結びつけたのが「古代DNA解析」と呼ばれる、2022年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた革新的な技術です。
長い間、土に埋まっていた骨からは、これまでDNAを読むことが出来ませんでしたが、この技術が確立されたことで、保存状態のいい骨に関しては数千年前の骨であってもDNAを読み取ることが出来るようになりました。
このため、従来では考えることもできなかった様々な事実がこの10年で次々と明らかになってきているのです。
その1つが2018年に東京大学の太田博樹教授らのチームが発表した研究結果です。
きっかけになったのは、ラオスにあるファファエン遺跡で見つかった8000年前の人骨のDNA解析に成功したことでした。
タイやラオス周辺には2万数千年前から4000年前にかけて「ホアビニアン」と呼ばれる狩猟採集民が広く暮らしており、DNA解析に成功したのはこの「ホアビニアン」の骨でした。
太田教授らは、ホアビニアンのDNAと、世界各地の古代人や現代人など計80集団以上のDNAを比較し、どのくらい似ているかを示す近縁性を調べました。
すると、東南アジアの古代人に混ざって、日本人にとって歴史の教科書でおなじみの「縄文人」が、ホアビニアンとのDNAの近縁性、どのくらい似ているかの指標で4位にランクインしたのです。
「縄文人」は今からおよそ1万6000年前から3000年前の「縄文時代」に日本列島に住んでいた人々で、いわば“最初の日本人”です。
青森県の三内丸山遺跡や、火焔土器、土偶などで知られていますが、実は、人類学的には「縄文人」はきわめて謎の多い人々で、一体どこから日本列島にやってきたのか、どんな人々だったのか、専門家の間でも長らく意見が分かれていました。
このため、太田教授らの発表は、“最初の日本人”である縄文人のルーツが、タイやラオスなど東南アジアにあったという直接的な証拠を示すもので、専門家ですら驚く衝撃的なものでした。
太田教授
「現代から過去におよんでランキングで並べたときに、上から4番目。ホアビニアンと縄文人は、ダイレクトにつながっている人たちだということが示されたのです。非常に驚きました」
そして私たちがタイで会ったマニ族は、このホアビニアンのDNAを現代まで色濃く受け継ぐ人々だと考えられており、ここから現代を生きるマニ族が、“最初の日本人”と親戚と言えるということが分かったのです。
そして2019年、国立科学博物館などのチームの研究から現代の日本人に関しても、ある特徴が判明しました。
下の図は、研究チームが調べた現代の日本人やほかの東アジア人のDNAの近縁性を示したものです。
現代の中国人やベトナム人などはDNAの特徴が似ており、図の中心部分に一直線に並んでいますが、現代の日本人は左上に外れています。そしてそのさらに左上に「縄文人」が位置しています。
現代の日本人が、縄文人のDNAに影響されて、ほかの現代の東アジア人とは異なる遺伝的特徴を持っていることが示されているのです。
最新の研究から見えてきた“日本人の成り立ち”
20~30万年前にアフリカで誕生した人類は、6~7万年前にアフリカを出ました。
ヨーロッパ方面へと向かったグループや、ユーラシア大陸を北まわりで移動したグループもいましたが、”最初の日本人”のルーツになったのは東南アジアへと向かった「南まわり」のグループでした。
4~5万年前に東南アジアにたどりついたグループは、そこでホアビニアンになった集団と、さらに海岸沿いを北上した集団に分かれました。
そして、北上した集団が、今から3万年以上前に日本列島にたどりついたと考えられるのです。
東南アジアではその後、北から農耕民族が流入しホアビニアンのDNAは失われていきました。
そんな中、マニ族は外部との接触を絶ち続けたため、奇跡的にホアビニアンのDNAを色濃く受け継いでいると考えられています。
一方、日本では海で囲まれていたこともあり、アフリカから大陸を経てやってきた古いDNAの形質が「縄文人」として、残っていきました。
アフリカから日本へ、太田教授が考える、壮大な旅路の全容です。
マニ族の暮らしぶりや、古代DNA研究をとりまく第一線の研究者たちの熱気をおさめた映像は、新番組「フロンティア」の第1回放送で詳しくお届けします。是非ご覧ください。
【新番組】 フロンティア その先に見える世界 #1「日本人とは何者なのか」
BS 12月6日(水)午後9時~
BSP4K 12月7日(木)午後10時~
総合 12月18日(月)午前 0時25分~(17日深夜)
総合での放送から1週間はNHKプラスでもご覧いただけます。
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