
「市民の勝利です。新しい政権は、私たちの声に耳を傾けてほしい」
市民の歓声が上がる中、スリランカの大統領公邸の周辺では、花火が打ち上げられていました。
一族支配が続いていたスリランカでは、市民による大規模なデモを受けて大統領は国外に脱出し、その後辞任。
現地は、どんな状況だったのか。取材しました。
(ニューデリー支局記者 太田雄造)
※文中の肩書きは当時のものです。
市民が公邸を占拠?
経済危機に陥るスリランカで、政府に対する市民の抗議デモが激しくなった、7月9日。
インドの自宅にいた私は、配信されてきた映像を見て、目を疑いました。

スリランカの大統領公邸を取り囲むように埋め尽くす大勢の人。
市民に占拠された公邸。公邸の中にあるプールに飛び込み、ジムで運動し、ソファーで寝そべる人の姿。
最大都市コロンボでは、大規模なデモが呼びかけられ、一部の人たちが大統領公邸になだれ込んでいたのです。
2か月前の5月。私は、現地入りして公邸周辺を取材していました。
当時は、公邸に向かう道はバリケードで封鎖され、武装した治安部隊が厳重に警備をしていて、公邸に近づくことすらできませんでした。
だからこそ、その映像は、まさに衝撃でした。
市民が辞任を求めていた大統領
その公邸の主は、ラジャパクサ大統領。

経済危機が深刻化する中、市民たちは2022年3月以降、大統領の退陣を求めて、抗議デモを繰り返していたのです。
公邸は占拠されましたが、ラジャパクサ大統領は事前に公邸を離れていて、7月13日に辞任する意向が伝えられました。
10年以上にわたって、兄弟でスリランカ政治を掌握してきた、「ラジャパクサ一族支配」の事実上の終焉でした。
再び訪れた公邸周辺は…
私は、この事態を受けて再び現地入りすることになりました。
早速、公邸を訪れてみると…。
そこには市民の長い行列ができていました。

公邸は、デモ隊が実質的に管理を行っていて、市民が自由に見学できるようになっていたのです。
公邸の中に入って目に飛び込んできたのは、足元に敷かれた赤いじゅうたんに、頭上にぶら下がる豪華なシャンデリア。
次に行ったのは、デモに参加していた市民が飛び込んでいたプール。水が少なくなっていて、泳ぐ人はいませんでした。
ただ、“見学”に訪れた人たちは、プールを背景に次々にスマホで自撮りをしていて、「映えスポット」になっているのかもしれません。

庭に出てみると、芝生に腰を下ろして食事をする家族連れもいて、まるでピクニックをしているかのような、のどかな光景も広がっていました。
公邸の中には、銃を持った治安部隊もいましたが、市民を制止する様子はなく、道案内をしていました。
訪れていた1人の男性に聞くと、笑顔で次のように話しました。
「すばらしい設備でした。大統領がここに戻ってくることは、もうないでしょう」
7月13日に辞任するはずだったのに…
13日に辞任する意向が伝えられていたラジャパクサ大統領。
しかし、13日になっても辞表が提出されることはありません。それどころか、13日の未明には軍用機で、近隣のモルディブに妻と共に脱出。辞任後の身の安全を確保するねらいがあったとみられています。
こうした大統領の姿勢に、市民は怒りを爆発させました。
首相府や議会の近くで治安部隊と衝突。公邸に続いて、首相府にもデモ隊が流れ込む事態になりました。
翌14日の夜、大統領はモルディブからシンガポールに移動し、そこから議長にあてて辞表を提出しました。
「大統領辞表提出」のニュースが流れると、デモ隊の拠点には、夜遅くにもかかわらず、多くの市民が集まり、歓声を上げたり、花火を打ち上げたりして、喜びを分かち合っていました。
翌日、議長は辞表を受理したと発表し、大統領は正式に辞任。デモ隊の拠点には、ここでデモが始まってからの日数が毎日更新されるボードが掲げられていて、その日は、98日と書かれていました。

「3か月間、団結して行動してきた市民の勝利です。新しい政権は私たちの声に耳を傾けてほしいです」
(デモに参加し続けてきたという男性)
今の政治システムの改革を求める市民
ラジャパクサ氏を辞任に追い込んだ市民の抗議デモ。
ただ、大統領代行に就任した首相のラニル・ウィクラマシンハ氏にも批判の矛先が向けられました。
大統領が辞任した直後、デモが行われていた場所では、男性が鉢巻きを販売していました。
鉢巻きには次のような言葉が書かれていました。

「GO HOME RANIL(ラニルは出て行け)」
値段は1本100ルピー。日本円で約40円です。
もともとラジャパクサ大統領の退陣を求める際に作られていた鉢巻きを急ごしらえで作り直したものでした。
市民たちは、汚職やコネがはびこっているとして既存の政治システムそのものの改革を求めているのです。
新しい大統領は決まったものの…
7月20日、大統領代行を務めていた、ウィクラマシンハ氏が新たな大統領に選ばれました。
ただ、大統領が代わったからといって、市民を苦しめている経済危機がすぐに収まるわけではありません。
ラジャパクサ氏が辞任した翌日も、コロンボ市内のガソリンスタンドには、最後尾が見えないほどの長い行列ができていました。

深刻な燃料不足で、ガソリンを買うのには何日も並ばなければならないのです。
また、急激な物価上昇は50%以上。このインフレは、今後も続くとみられています。
政治の混乱によって、スリランカが支援を求めているIMF=国際通貨基金との協議にも遅れが指摘されています。
新たな大統領は、国内の混乱を収め、政治への信頼を取り戻すことができるのか。財政再建を実行することができるのか。
まだまだ、先行きを見通すことはできません。