2022年6月23日
アジア 東ティモール

「盗まれた子どもたち」引き裂かれた家族はいま

写真の中の少女は絶望し、こちらをにらみつけているよう。

家族と引き離され、たったひとり、遠く離れた国に無理やり連れて行かれた女の子。
同じような境遇の「盗まれた子どもたち」は、数千人にも上ると言われています。

ことし、独立から20年を迎えた東南アジアの東ティモールには、引き裂かれたままの多くの家族がいます。
(ジャカルタ支局 伊藤麗)

「盗まれた」少女の人生

写真が撮影されたのは1979年。少女の名前は、イザベリーナ。このとき、たった5歳でした。

イザベリーナさんが生まれた東ティモールは、当時、インドネシアに支配されていました。

イザベリーナさん(右から2番目)と養父となるインドネシア軍の兵士(右)

家族と暮らしていた家に、ある日からインドネシア軍の兵士が寝泊まりするようになりました。当時、地元の人の家に間借りして暮らすインドネシアの兵士も多かったといいます。

兵士は「うちには女の子がいないから、この子をインドネシアへ連れて帰りたい。養子にしたい」と言い出しました。両親はもちろん、拒みました。

しかし、親戚からは「拒み続けていれば、家族皆殺しにされてしまうぞ」と言われました。銃を携行し、数日間居座った兵士。両親は泣く泣く、イザベリーナさんを差し出すしかありませんでした。

東ティモールからインドネシアに向かう船の中のイザベリーナさん(中央)

写真は、イザベリーナさんがインドネシアに連れて行かれる船の上で撮られました。泣き続けるイザベリーナさんを、「新しい父親」となったインドネシア軍の兵士は叱り続けたといいます。

インドネシアに到着してからも、苦難の連続でした。

「娘にしたい」といって無理やり連れてこられたのに、兵士の妻や、その息子たちはイザベリーナさんの存在を疎みました。イザベリーナさんを連れてきた兵士自身も一緒になって、ひどいことばを投げつけたり、たたいたりしました。新しい家族に、到底なじむことはできませんでした。

結局、イザベリーナさんは兵士の両親のところへと連れて行かれ、そこでも愛情を得ることはありませんでした。

義理の兄弟とイザベリーナさん(左奥)

いま、当時のことを振り返って、イザベリーナさんは、過去の自分に「かわいそうに…よくここまで生きてこられたね」と声をかけたいといいます。

現在のイザベリーナさん

イザベリーナ・デ・ジズス・ピントさん
「義理の家族は私に発言する場や自由を与えず、いつも手伝いのために働かせました。
私はいつも、彼らと和解しようと努めています。
でもインドネシアに連れてこられた日から今まで、忘れたことはない。
彼らがしたことは、すべて覚えています」

インドネシアの支配の下では

人口およそ130万、面積は岩手県と同じくらいの小さな東南アジアの国、東ティモール。2002年に独立を果たした、“アジアで一番若い国”です。

1975年から1999年まで続いたインドネシアの支配下では、独立を求めて抵抗した人々は弾圧され、拷問や性暴力などの人権侵害が横行しました。

独立前の2002年1月には、国連の暫定統治機構のもと、人権侵害を調査する独立の委員会が設置されました。調査結果では、少なくともおよそ1万8000人がインドネシアの治安部隊による攻撃などで死亡、行方不明となり、およそ8万人が飢えや病気で亡くなったとされています。

「盗まれた子どもたち」

調査委員会は、数千人もの子どもたちが、イザベリーナさんのように東ティモールからインドネシアに連れ去られたと指摘しています。報告書の中ではいくつかのデータが示されていて、99年までにおよそ4500人の子どもたちが連れて行かれたとみられるという、UNHCR=国連難民高等弁務官事務所の代表の証言もあります。

地元の人権団体は、こうした子供たちを「盗まれた子どもたち」と呼び、いまも行方を追っています。

東ティモールの子どもとインドネシア軍の兵士(1978年ごろ)

子どもたちを連れ去ったのは、インドネシアの軍や政府の関係者、宗教団体などで、地元の人権団体などはその理由を以下のように指摘しています。

▽ 東ティモールの独立運動を断ち切るため。独立のために闘わないよう教え込む。
▽ 養子にしたり、自分たちのために働かせたりする
▽ インドネシアが東ティモールを支配していることの“証し”

紛争で親を亡くした子どもの保護や、インドネシア政府の教育支援プログラムを受けさせる目的もあったとされていますが、十分な生活支援や教育を受けられず、暴力をふるわれるなどつらい生活を強いられた子どもも多かったと指摘されています。

人権団体AJAR・東ティモール イノセンシオ・デ・ジズス・シャビエルさん
「インドネシアは『盗まれた子どもたち』ということばに異論を唱えています。
しかし、これは人権問題であり、歴史的事実なので、否定したり無視したりすることはできない」

娘を奪われて、家族は

娘を奪われたイザベリーナさんの両親は、とても諦めることは出来ませんでした。何度もインドネシア軍に手紙を送ったり、兵士たちに娘の消息を尋ねたりしました。

インドネシアに直接探しに行くことができるようになったのは、東ティモールが独立した後。しかし、渡航のために準備をしている最中だった2008年、イザベリーナさんの父親は、「あの子を探しに行け」と家族に言い残し、娘と再会できぬままに亡くなりました。

イザベリーナさんの母親 バルビナさん

翌年、イザベリーナさんの母親、バルビナさんはインドネシアに行き、息子や、おいと捜索を始めました。手元にあるのは、イザベリーナさんを連れて行った兵士の写真だけ。息子たちは、インドネシア軍の駐屯地に行き、かつて東ティモールにいた兵士たちに聞き込みを続けました。

そして、イザベリーナさんのことを知っている人を見つけることができました。すぐに、おいがイザベリーナさんのもとを訪ねました。2人は顔がよく似ていた上、家族の名前を順に言い合って、お互いに確かめることができたといいます。

イザベリーナさん(左)とバルビナさん

知らせを受けて、インドネシアを再び訪れた母親のバルビナさんは、ついに娘と再会することができました。離ればなれになってから、30年がたっていました。

バルビナさん
「『イザベリーナを見つけた』と、おいから電話があったとき、うそかと思ったほどです。うれしかった。神のおかげで彼女を見つけることができました」

イザベリーナさんとビデオ電話で話すバルビナさん

それ以来、バルビナさんとイザベリーナさんは互いのところを行き来しています。

新型コロナの影響で最近は、ビデオ電話でやりとりしています。

バルビナさんは東ティモールのことばのテトゥン語で話しかけますが、ことばを忘れてしまったイザベリーナさんは、インドネシア語で返します。

お互いのことばはうまく話せないけれど、理解はできるので会話は成り立ちます。バルビナさんに「娘さんが東ティモールのことばを忘れてしまって、さみしいですか?」と聞くと「お互いにわかり合えるならそれでいい」といって、静かにほほえみました。

困難な捜索 負の連鎖も

いまはインドネシアの「義理の家族」から離れ、結婚し、2人の息子がいるイザベリーナさん。インドネシア側で人権団体の活動に加わり、自分と同じ境遇の人たちの捜索に力を注いでいます。「盗まれた子どもたち」の情報があると、その場所を訪れ、地元の食堂などで「この辺に東ティモール出身の人は住んでいないか?」と聞いて回る、地道な活動です。

団体スタッフと打ち合わせをするイザベリーナさん(左)

独立後、東ティモールとインドネシアの両政府が設立した委員会は、子どもたちの所在を確認して家族に知らせるように両国に勧告しています。しかし、いまだに両政府主導の取り組みや予算の支援は十分ではなく、実際に「盗まれた子どもたち」の捜索を担っているのは、イザベリーナさんたちのような民間団体です。

時間がたつにつれ、捜索や家族との再会は難しくなっています。インドネシアで名前を変えられた人、すでに本当の家族の記憶が薄れている人、心を閉ざして初対面の人と会うのを嫌がる人もいるといいます。イザベリーナさんは「幼いころにインドネシアで受けた虐待がトラウマとなり、自分の子どもに暴力をふるってしまう人もいる」とも話します。

「盗まれた子どもたち」とその家族のデータベース

団体はこれまでに「盗まれた子どもたち」84人を家族と再会させることができました。ことし10月にはさらに30人が東ティモールを訪れ、本当の家族と再会する予定です。

イザベリーナさん
「私には家族と離ればなれになった人生を生き抜くことが、どんなにどんなにつらいかわかります。私たちは『盗まれた子どもたち』ということばからは逃れられません。盗まれたのは事実ですから」

負の歴史にどう向き合う

400年以上にわたったポルトガルとインドネシアによる支配を経て、ことし5月で独立から20年がたった東ティモール。

いま、インドネシアのことをどう思っているのか。いまも娘を探し続けている女性に率直にたずねました。すると「憎しみ合えば、また争いが起きてしまう。いまは、憎しみはありません」という答えが返ってきました。しかし、私たちは、そのことばの表面だけでは理解できない、複雑な心の奥に目を向ける必要があると感じました。

東ティモールの子どもたち(2022年)

東ティモールは今後も発展のために前進し、独立後に生まれた世代も増える中で、紛争の記憶は薄れていってしまうのかもしれません。しかしその影に、時間が止まったままの引き裂かれた家族がいることに、これからも心を寄せ続けたいと思います。

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