2022年5月24日
ミャンマー アジア

【詳しく】クーデター後のミャンマーはいま スー・チー氏は?

東南アジアのミャンマーで、クーデターを起こした軍に抵抗する市民の犠牲が増え続けています。

クーデターから1年がたつなか、いま現地で何が起きているのか?
軍に拘束されている民主派の指導者、アウン・サン・スー・チー氏はいまどこで何をしているのか?
クーデター後のミャンマーの状況をまとめました。
(アジア総局記者 飯沼智・松尾恵輔 国際部記者 北井元気)

※この記事は2022年2月1日に公開したものです

そもそも1年前に何が起きたの?

クーデターは、2021年2月1日に起きました。

軍は、2020年11月に行われた総選挙で大規模な不正があり、その結果をもとに政権が発足するのを阻止するために行動を起こしたと説明しています。

総選挙では、スー・チー氏が率いる政党NLD=国民民主連盟が圧勝し、2月1日は選挙後に初めて議会が招集される日でした。軍は、スー・チー氏も、無線機などを違法に輸入し許可なく使った疑いで拘束。

選挙監視団を派遣した日本を含め国際社会は、選挙は公正に行われたと評価しています。

軍がクーデターで実権を握った背景には何が?

指摘されているのは、軍の焦りです。

ミャンマーでは、以前にも軍がクーデターで実権を握り、そのときに制定された今の憲法は、議会の4分の1の議席を軍人に割り当て、いくつかの閣僚ポストを軍が指名できるように規定するなど、軍の政治への関与を保証しています。

スー・チー氏率いる政党は、民主化を進めようと憲法改正を試みるなど、軍の権限を縮小しようとする姿勢を強めていました。軍は、その政権が、2期目に入ろうとしていることに危機感を募らせたとみられています。

軍の弾圧などによりどれほどの市民の犠牲が?

最大都市ヤンゴンなどでは、クーデターに反対し民主化を求める市民らによる大規模な抗議活動が広がり、軍が弾圧に乗り出して、多くの市民が犠牲になりました。

現地の人権団体「政治犯支援協会」によると、軍によるデモへの弾圧や拘束後の暴行などにより死亡した人は確認できただけでも1499人。

拘束された人は1万1801人に上っています。(2022年1月28日時点)

市民の抗議活動はどうなっている?

市民による激しい抵抗活動が続いた最大都市ヤンゴンの状況を取材しようと現地に入りましたが、多くの人が行き交う姿が戻っていて、抗議活動は表だっては見られませんでした。

大通りは車が渋滞し、けん騒が戻っています。週末のショッピングモールは驚くほど多くの買い物客でにぎわっていました。

しかし、日が落ちて暗くなると人や車の数は急に少なくなります。軍や警察の取締まりが厳しいほか、軍に抵抗する武装組織による襲撃に巻き込まれるのを避けるためです。

さらに経済の悪化で収入や職を失う人が多く、強盗などの犯罪も増えて治安が悪くなっています。以前は、日が落ちても街はにぎわい、夜の涼しさを感じながら道端で談笑する人の姿が多く見られましたが、様相は一変しました。

抗議活動は止んだの?

ヤンゴンでは、軍の厳しい取締まりで大規模な抗議デモは行われなくなっていますが、抵抗は形を変えて続いています。

医療関係者や公務員などの中には、職務を放棄する不服従運動をいまも続けている人たちがいます。

2021年12月には、市民が一斉に仕事を休み、店も休業して軍への抗議の意思を示す「沈黙のストライキ」が行われました。

ミャンマーの象徴、黄金の仏塔シュエダゴン・パゴダでも、静かな抵抗が続いています。

シュエダゴン・パゴダは訪れる人が大幅に減りました。

市民の大切な聖地だからこそ、軍が統治している今は、訪れたくないという抵抗心の現れです。

スー・チー氏の拘束後の状況は?

スー・チー氏は、軍に拘束されたあと、当初は首都ネピドーの公邸に軟禁されていました。しかし2021年5月下旬には、自身も見知らぬ場所へと移され、現在の軟禁場所は不明です。

拘束後さらに汚職などさまざまな罪に問われ、訴追件数はこれまでに少なくとも17件に上っています。

裁判は、首都ネピドーの地方政府の施設のなかに設けられた特別法廷で行われています。

一般の傍聴は許されず、報道関係者も近づくことができません。弁護団にも、かん口令が敷かれています。さらに、スー・チー氏を弁護する立場で証言に立つ人は、軍から危害を加えられることを恐れて、ほとんどいないと伝えられています。

裁判は固く閉ざされた密室で、被告のスー・チー氏にとって極めて不利とされる状況で行われています。

スー・チー氏をめぐる裁判の結果は?

スー・チー氏に対して、これまでに、社会不安を引き起こしたとする刑法違反や新型コロナ対策の規定に違反した罪など5件で有罪判決が言い渡され、合わせて禁錮6年が科されています。

裁判では今後も厳しい判決が続き、さらに刑期が積み重なっていくことが予想されます。仮にすべて有罪判決が言い渡されれば、刑期は最長で100年を大きく超えます。

現在76歳のスー・チー氏が再び自由の身になることは到底不可能な年数になります。

いまミャンマーで懸念されていることは?

ヤンゴンなど都市部で抵抗運動が抑えつけられているうえ、地方では軍と民主派の武装組織の衝突が激しくなっていることです。

2021年9月に民主化を求める組織「国民統一政府」が、全土の市民や少数民族の武装勢力に、軍に対する蜂起を呼びかけました。特に国境に近い地域では、もともと軍と対立してきた少数民族の武装勢力の拠点があり、近隣の国などから武器を入手しやすいこともあって、戦闘が激化し、多くの死傷者が出ています。

しかし、その実際の数は明らかになっていません。

また、国連の推計では戦闘から逃れるために、2021年12月の時点で32万人が家を追われ、避難民となっています。

凄惨(せいさん)な出来事も起きています。2021年12月、特に戦闘が激しくなっているタイとの国境に近い東部カヤー州で、戦闘とは関係のない子どもや女性を含む市民35人が軍に殺害され、焼かれたと、民主派の武装組織側が発表しました。

軍は武装組織との戦闘があったなどと説明をしていますが、アメリカなどはミャンマー軍への非難を強めています。
また、ミャンマーの独立系シンクタンクによれば、クーデター以降、軍による国境付近などでの空爆の数は50回以上にのぼっていて、避難民の支援を行ってきた国際機関のなかには、スタッフを特に戦闘の激しい地域から退避させる動きも出ています。

ミャンマー情勢は今後どうなる?

ミャンマー政治に詳しい京都大学東南アジア地域研究研究所の中西嘉宏准教授は、混乱は今後も続くとみています。

京都大学東南アジア地域研究研究所 中西嘉宏准教授
「民主派勢力が武装闘争にかじを切ったことで、スー・チー氏が率いていたころの非暴力の民主化運動からは質的に変化している。今後もそうした急進的な考え方はしばらく維持され、軍を認めず革命を目指す態度を貫くと見られる。軍と民主派勢力が短期的に折り合う可能性は極めて低い。しかし、軍事的には軍が優位で、全土が混乱になるような、いわゆる内戦のイメージというのは今のところ現実のものになりそうにない」

そのうえで、軍が今後何を目指しているのか。次のような見方を示しています。

京都大学東南アジア地域研究研究所 中西嘉宏准教授
「市民の抵抗が激しかったヤンゴンやマンダレーなどの主要な都市部では今は比較的、平穏な状態となっていて、軍としては秩序が維持できているという自信があるように見える。想定を超える抵抗にてこずっていることは確かだが、当初の目的だったスー・チー氏率いる政党の幹部を排除したうえで統治を進めていくという考えに変わりはない」

事態の打開に向け日本にできることはある?

中西准教授は「日本政府がミャンマーの政府や軍も含めて関係を築き、信頼を得てきたということは間違いない。とはいえ、軍は日本を含めた国際社会のメッセージに耳を貸す状態ではない」と指摘しています。

そのうえで、中西准教授は、軍の統治は認めることはできないとしながらも、苦境に陥る現地の人たちへの支援を進める必要があるといいます。

京都大学東南アジア地域研究研究所 中西嘉宏准教授
「今回の政変の最も大きな被害者は一般の市民だ。これだけ人が亡くなり、人道危機や難民の問題が起こり、経済も停滞するなかで、軍が多くの地域を実効支配している現状を直視せざるをえないタイミングが来ている。国際社会が何も支援ができない状態から脱しなければならない。これは、軍の統治を認めるかどうかという政治判断とは別の問題だ」

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