ばかだって言われるかもしれないけど僕はもう一度、世界を驚かせたい

山本博

アーチェリー #やっぱ好きだなぁ

2年後のパリオリンピックに向けたアーチェリーの日本代表を選ぶ選考会が開かれた11月。50人ほどが一列に並び、矢を放つシューティングラインに、ひときわ目立つ真っ赤なウェア姿の選手がいた。

山本博、60歳。

試合前に声をかけると、こんな答えが返ってきた。

「教え子から『還暦祝い』って赤いちゃんちゃんこもらってさ。さすがにそれ着て大会に出ると笑われちゃうから、店に頼んで赤いシャツ作ってもらったんだよ」

山本は、いつも遊び心にあふれている。
1984年のロサンゼルスオリンピック、男子個人で銅メダルを獲得。

その20年後の2004年、アテネ大会では銀メダルを獲得し、長年アーチェリー界をけん引してきた。

60歳になっても、その力は、決してさび付いていない。
10月の全日本選手権では東京オリンピックのメダリストや20歳前後の伸びざかりの有望選手たちと渡り合い、代表選考会への出場を決めた。
オリンピックで銅メダルを獲得したあと、20年かけて銀メダルにたどり着いた山本。

そして、銀メダルから再び20年となる2024年のパリ大会に向け、悲願の金メダルを目指して選考会に臨んだが、代表には入れなかった。

「とうとう引退か」
現場にいた報道陣の間には、そんなムードが漂った。

ところが試合後、山本の口から発せられたのは、われわれの予想を裏切ることばだった。

「いやー悔しい。悔しい。このまま悔しいまま終わりたくない。来シーズンも同じ舞台に戻ってきて代表に入りたい」

あっさりと現役続行を表明した。そういえば、9月にインタビューをした時もこんなことを言っていた。

「プロスポーツだったら、お客さんにお金を払ってもらえないようなプレーしかできなくなったら引退なのかもしれない。でも、アーチェリーのようにアマチュアスポーツは基本的には生活の基盤が別にあってやるものだし、自分に諦めない限り続けられる。
僕はまだ自分に諦めがつかなくて。『体』に老いはあっても、『心』や『技』で若いやつを上回れるんじゃないかなって、その方法を探してる」

アーチェリーという競技は想像以上に負荷の大きいスポーツだ。
弓を1回引くごとに、およそ20キロの負荷がかかる。それでも多いときは1日150本近い矢を放つ。

山本自身、6年前には右肩の筋断裂。2年前には、右手のしびれの原因となっていたろっ骨の一部を切除するなど手術を受けている。
そこまでして競技を続ける理由は何なのか。
聞くと山本らしい答えが返ってきた。

「俺も思うよ。なんで60越えて中学生や高校生にも負けたりして悔しいを通り越して切ない思いをしたりして、なんでまだ続けるのかなって。それは、自分にとってアーチェリーが“極めて真剣な遊び”だから。若い頃は、自分への厳しさを追究した中に究極のスポーツの姿があって、その先に金メダルが授与されると思ってやっていた。でも、最近は、特に子どものころに感じてた『ただ面白くて、面白くて』っていう気持ちが強まってきた。それが根本にあるから楽しんで続けられるのかな」

どんなときも遊び心を忘れない山本の競技人生は生涯、続くのかもしれない。

「スポーツって夢を見ることもだいご味でしょ。ばかだって言われるかもしれないけど僕はもう一度、世界を驚かせたい。もう一度オリンピックに出て、クレイジーな日本人がいるぞってね」

アーチェリー #やっぱ好きだなぁ