アスリート×ことば

円谷幸吉選手2世として

円谷幸吉選手2世として

相澤晃 陸上

1964年10月、東京オリンピックのマラソンで国立競技場を埋めた満員の観客を沸かせた円谷幸吉(銅メダルを獲得)。いまも語り継がれる伝説の男が帰ってきたかのような走りだった。
相澤晃、23歳。円谷と同じ福島県須賀川市出身のランナーだ。
2020年12月に行われた陸上の日本選手権、男子10000m。マラソンの日本記録保持者、大迫傑などに注目が集まるなか、社会人になったばかりの相澤は日本記録を10秒以上更新する圧巻の走りで優勝(27分18秒75)。東京オリンピックの代表内定をつかみ取ったのだ。
レースが終わった後、相澤は故郷の大先輩、円谷への思いを語り始めた。

「前回の東京オリンピックで地元の円谷幸吉選手が銅メダルを取っているので、すごく今回の大会には縁があると思っていた。今回、マラソンでは出場することはできないが、円谷選手は10000mにも出場していたので、『円谷幸吉選手2世』として、せめてトラック種目で出場して、後に続ければという気持ちでいた」

2人の故郷、福島は、円谷以降も数々の名ランナーを生み出してきた。
2000年にマラソンの日本記録(当時)を出した藤田敦史や北京オリンピックのマラソン日本代表、佐藤敦之、そして、箱根駅伝で名を残した初代“山の神”、今井正人と2代目“山の神”の柏原竜二。なかでも相澤は、円谷ゆかりの陸上クラブ「円谷ランナーズ」で陸上を始めた円谷の直系とも言える存在だ。
12月の日本選手権10000mでは、8000m過ぎでトップに立つと、社会人1年目とは思えない力強い走りでほかの選手を振り切った。終盤の力走も円谷のある言葉が相澤の背中を押したという。

「円谷選手はすごく『忍耐』という言葉を大切にしている。どの選手もラストはきつかったと思うが、そのきついところで耐え忍んだことが日本記録につながった。しっかり体現することができたかなと思う」

大先輩の円谷といえば真面目で実直な人柄が伝わっているが、相澤も似たところがあると感じた取材での一コマがある。近年、好記録の要因の1つとなっているのがシューズの進化だが、インタビューでシューズに関する質問を嫌がる選手も少なくない。そうした中でも、相澤のまっすぐに向き合って答える姿は印象に残った。

「自分自身、いちばん大切にしているのが、いちばんいい靴を履いて、いちばんいい成績を出すこと。結果を出すことが仕事だと思っているので」

その相澤が見据えるのは、東京オリンピックで円谷に並ぶこと。実は円谷は10000mにも出場し、入賞を果たしている。ケニアやエチオピアなど、アフリカ各国に強豪が多いこの種目では決して簡単な目標ではないが、相澤は黙々と走る円谷の背中を追い続ける。

同郷の2人がつなぐ東京オリンピックで、どのような走りを見せてくれるのか。ノスタルジアを感じさせる男、相澤の走りに期待したい。