もう1度、被災地、東北の希望の光に

手倉森誠

サッカー

東日本大震災から10年の2021年。被災地である宮城県をホームとするサッカーJ1、ベガルタ仙台の監督に、かつてチームを率いた手倉森誠が復帰した。

「もう1度、被災地、東北の希望の光となれるクラブだと証明したい」

手倉森は、2008年、当時J2だったベガルタの監督に就任。その翌年にJ2で優勝し、J1昇格に導いた。東日本大震災が発生したのはその2年後の2011年。リーグが中断する中、発生18日後の3月29日にチームは練習を再開した。この日の取材、手倉森は自分や選手を奮い立たせるようなことばを語った。

「選手たちには、復興の先頭に立って進んでいく使命がある、と話した。被災地の希望の光になりたい」

手倉森は、このことばを現実のものとする。その年はリーグ4位。そして2012年はチームを史上最高の2位に押し上げたのだ。

2013年にリオデジャネイロオリンピックの日本代表監督就任のためチームを離れた手倉森。その後は、日本代表のコーチなどを経て、2020年まで2年間はJ2のV・ファーレン長崎で指揮官を務めた。
そして震災10年と重なる2021年シーズン、ベガルタから監督就任を打診された。

「震災から10年のオファーだから運命を感じた。10年たっても、まだまだ被災地で苦しい生活をされている方もいる。心の復興が大事になったときに、人々の窮屈さを発散できるものがスポーツだと思っている」

青森県出身の手倉森。被災地、そして東北を勇気づけることが自分の使命だという覚悟を胸に、初のリーグ優勝を目指す。再び希望の光となるために。

「前に監督をした時よりは、僕もいろいろと経験してきた。3年以内には本当に優勝させてみせたいと思う。コロナとかいろんな苦境、逆境からはい上がる姿を示して、ベガルタ旋風を全国にとどろかせたい」

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