苦しい舞台で苦しい顔をするのは、みんなできる。でも、楽しむのは覚悟がいる

吉田知那美

カーリング

「私たちが大好きなカーリングを、私たちらしく笑顔で楽しんでやる」

ロコ・ソラーレ、吉田知那美の持ち前のはじける笑顔と少し北海道弁の混じる明るい掛け声は、チームメートだけでなく、観る者を魅了する。

「自分たちらしく、明るく、楽しく」

相手が強豪チームのときも、大きくリードされた苦しい場面でも、いつも仲間を笑顔で励まし続ける。

「大丈夫だよ」
「ナイスー!」
「思いっきりいこう!」

吉田の笑顔に引っ張られるように、ロコ・ソラーレは、2大会連続でオリンピック出場を果たした。

吉田がいつも笑顔を見せるのには理由がある。
きっかけとなったのが、8年前のソチ大会。吉田はロコ・ソラーレとは別のチームで、初めてオリンピックの舞台に立った。

当時、22歳の吉田は、予選リーグのほとんどの試合に出場して5位入賞に貢献。世界での活躍を夢見ていた吉田は、カーラーとして、大きな1歩を踏み出した。

しかし、オリンピックのあとチームから戦力外を告げられた。
地元の北海道北見市に戻ると、大好きだった氷の上に立つことさえ避けるようになった。
前に進めない。トレードマークの笑顔が消えた。

「もう、やめよう」

引退が頭をよぎった。
そんな吉田に声をかけてくれたのが、地元の先輩でロコ・ソラーレを立ち上げた本橋麻里だった。

「もう一度、カーリングをしよう。笑顔で楽しく」

本橋、そして幼い頃から応援してくれた多くの地元の人たちに背中を押されて、吉田はロコ・ソラーレのユニフォームに袖を通した。
そして、感謝の気持ちを届けるために誓った。

「もう、笑顔は絶やさない」

負ければ悔しい。ミスをしたら落ち込む。チームメートと意見が合う時ばかりではない。それでも、次の試合ではまたいつもの笑顔を見せる。

2022年2月の北京。日本チームとして初めてオリンピックの決勝に舞台に立った。
そして、敗れた。それでも、最後まで明るいカーリングを貫くことはできた。

試合後の会見で吉田は悔し涙を拭いながら、笑顔で氷の上に立ち続ける理由について語った。

「北京に来る前、本橋選手に、“誰もメダルがほしいなんて応援している人はいない。ロコ・ソラーレのカーリングが見たい”そう声をかけてもらってオリンピックに来ました。なんで私たちがカーリングをやっているのか、競技が好きで、このチームが好きだということを絶対に忘れてはいけない」

そして、こう続けた。

「苦しい舞台、大変な舞台を苦しそうな顔や、つらそうな顔でやるのはみんなできると思う。でも、楽しむのは覚悟がいる」

3回目のオリンピックで覚悟を持って笑顔を貫き銀メダルを手にした。
ただ、満足はしていない。

「私たちの強さは、いま、感じていることが一緒なこと。誰1人、満足していない。また、ここから始まる」

きょうも氷の上で、吉田の声が響く。
笑顔とともに。

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