すべての答えを福島に置いてきた

上野由岐子

ソフトボール

13年越しのオリンピック連覇。それが上野由岐子にとっての「使命」だった。
金メダルの1週間後、すっきりした表情の上野が大会中の重圧がどれほどのものだったの語った。

「それ(重圧)以上に自分自身が勝ちたかったし、勝って当たり前だと自分の中では思っていた。そのために歯食いしばってきたわけで。これでだめだったら仕方ないじゃんって思えるだけのものを積んできたから怖くなる要素は自分には全然なかった」

上野は26歳の時に北京大会に出場。準決勝から決勝まで2日間で413球を投げ抜いて日本に初の金メダルをもたらした。
帰国後、周囲の盛り上がる様子をよそに上野は燃え尽き症候群のような気持ちになり、喪失感が広がっていった。
心の葛藤を乗り越えた上野にさらなる試練が待ち受けていた。
新型コロナウイルス感染拡大による長すぎる1年の延期。本来ならば、38歳の誕生日を迎える2020年7月22日オリンピック初戦を迎えたはずだった。
延期を受けて上野はその日、開催地の福島市の球場を訪れた。

「オリンピックに対してずっともやもやしていた気持ちが正直ある中だったので、『自分が投げようと腹くくってやろう』と思えた時間だった。この場に立たせてもらえることを感謝しなきゃいけないし力に変えなきゃいけない。逃げてばかりではなくて」

そして被災地の今を見て回った。

「被災した場所に何もないけど草がしっかりと生えてくる生命力などいろいろなものを実際に目で見て感じた。ここまで立ち上がってきた人の力をやっぱり無駄にしたくないというか。きっとまだオリンピックなんてやっている場合じゃないという市民の人たちがいる中、『やってよかった』と思えるものを自分が置いていきたい、恩返ししていきたい、返していきたいということを改めて感じた」

1年後。上野はあの時に感じた思いを胸に福島での開幕戦に登板、日本を勝利に導いた。無観客でもテレビで見ている人たちに少しでも何かを感じてもらいたい、その一心だった。

「すべての答えを福島に置いてきたと思っている。あの登板の姿が自分のすべて」

13年前の喪失感はない。
次のオリンピックでソフトボールは実施されないが、上野は復活のために自分自身ができることを模索し続ける覚悟はできている。

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