楽しいことばかりではなかったけれど、すごく充実して長くて短い4年間だった

村岡桃佳

パラアルペンスキー

陸上とスキーで夏と冬のパラリンピックを目指した4年間の戦いを終え、村岡は笑顔でみずからの挑戦を振り返った。

「楽しいことばかりではなくつらいこと、苦しいこともあったが走り抜けられた」

ゲレンデを猛スピードで滑り降りることができるチェアスキーの楽しさのとりことなり、中学生で競技を始めた村岡は、2018年のピョンチャンパラリンピックで金メダル1個を含む5個のメダルを獲得し一躍、「冬の女王」となった。21歳で世界の頂点に立ち順風満帆の競技人生に見えたが、大会後、これまで感じたことがない重圧にとりつかれた。

「金メダリストだから勝って当然、勝たないといけないと追い込まれていた」

ピョンチャンパラリンピック後に参戦したワールドカップ中は毎晩、泣きながらライバルとのポイント差を計算していた。精神的に追い詰められ、楽しくて始めたスキーが、苦しみに変わっていった。

そんな村岡を救ったのが、自国開催の東京パラリンピックを目指して取り組んだ車いす陸上だった。

「正直、スキーから逃げたかったという気持ちもあった」

始めた“二刀流”への挑戦。しかし、教えを請うた陸上チームがある岡山県に練習拠点を移した村岡を待ち受けていたのは未体験の世界だった。

雪上では誰よりも速かったが陸上の練習ではトラックでのウォーミングアップについていくのがやっと。
初めての1人暮らしでみずから車を運転し、練習を終えへとへとになって帰ると待っているのは自炊や洗濯と息つく暇のない生活を送った。

「なんで陸上をやると言いだしてしまったんだろう」

そうこぼすほどの厳しい日々だったが、着実に村岡を成長させていた。
目標だった東京パラリンピックの決勝に進んで6位入賞。国立競技場で達成感に満ちあふれた表情を見せた。

スキーとは違う陸上の練習や慣れない環境、東京大会の1年延期で過密になった日程を乗り越えたことで、肉体的にも精神的にも今まで以上にたくましくなったという実感があった。

「陸上を始めて、いろいろなことに耐え抜く力がついてきた。ターンの切り返しや安定性が上がったというフィジカル以外でもスキーに生きている」

北京パラリンピックまで1か月半という時期に右ひじのじん帯を痛めた時も、その北京パラリンピックでスーパー大回転のレース中にコンタクトレンズが外れるという体験したことがないアクシデントにも、決して動じることなく自分のできることに集中した。

僅差で銀メダルとなった種目では悔し涙を流し、2連覇を果たした大回転では「絶対に金メダルが取りたかった」と勝利への貪欲さをあらわに会心の滑りを見せた。

楽しく、自分らしい滑りを追求し、その結果に対して純粋に喜び、悔しがる。村岡の姿は苦しみながらスキーをしていたあの頃と違い、競技を心の底から楽しんでいるようだった。

“二刀流の集大成”と位置づけていた北京大会で獲得したメダルは、前回大会を上回る金メダル3個と銀メダル1個。最後の種目、回転でメダルに届かず2大会連続の全種目メダルという快挙は逃したが、すべての種目を終えた村岡は北京のゲレンデですがすがしい表情を見せた。

「すごく晴れやかで、やりきったという達成感がある。楽しいことばかりではなかったけれど、結果としては楽しかったと思える日々だった。すごく充実して、長くて短い4年間だった」

パラアルペンスキー