つないでいけば、少しずつ世界との差は縮まっていく

大迫傑

陸上

東京オリンピックを最後に現役を引退した大迫傑。第二の陸上人生として、早速、若い世代の育成に動き出している。

9月下旬、大迫は、四国南西部の高知県黒潮町にいた。世界で通用する次の世代を育成したいと、オリンピックからわずか2か月の間に、九州から北海道まで全国10か所を訪問。小中学生を対象に直接指導を始めた。

「スポーツを通して、なにか世の中を変えていくというか、そんなことをできるんじゃないか。後輩の育成もそうだし、考え始めるとどんどん想像が膨らんでいく」

大迫は日本の実業団チームを飛び出し、アメリカやケニアでトレーニングを積み重ねてきた日本長距離界の「開拓者」だ。マラソンで日本記録を2回更新するなど、ここ数年の日本選手の記録ラッシュは大迫抜きには語れない。

そして、自身の集大成にしようと、直前に引退を発表して臨んだ東京オリンピック。30キロすぎに世界記録を持つケニアのキプチョゲらから離されたものの、そこからが真骨頂だった。
自分のリズムを刻み、1人、また1人と抜いていく。36キロ地点で2位集団とは15秒差。日本中がその走りに注目した。そして最後は6位でフィニッシュ。レース後、力を出し切った大迫が口にしたのは、後輩への思いだった。

「後輩たちにはこの6番がスタート。そこから世界選手権、そしてオリンピックで順位を上げていけるように、君たちにもできるんだよと、最後まで走りきった」

マラソンの高速化が進む中で、あと一歩のところまで見えたオリンピックのメダル。自身の経験を後輩たちに伝えていけば、手が届くのではないか。30歳で次の道に進むのに、迷いはなかった。

「靴一つ持って、世界を旅する中で、自分自身の限界、自分だけで達成できる限界を感じていた。一世代で終わるのではなくて、第二世代、第三世代とつないでいけば、少しずつ世界との差は縮まっていくんじゃないか」

新しい一歩を踏み出した大迫。教えているのはトレーニング方法など走る技術についてだけではない。
特に伝えたいと考えているのが「生き方」だ。

陸上教室の参加者は、ペンとノートを用意する。まずは自分の好きなことを挙げていき、「夢」を明確化。次にその夢を実現するため、あす、あさって、1か月後、1年後に何をするのか、細かい「目標」を立てていく。大迫自身が夢をかなえるため、現役時代にやってきたことだ。
たとえ目標が達成できなかったとしても「チャレンジ」した経験が生きる。大迫の子どもたちへの語りかけは熱を帯びていった。

「オリンピック、メダル取れませんでした。代表選考会、負けちゃいました。すごく悔しいけど、でもその分、日本記録を更新したときにはすごくうれしかった。そういうものって、最後までやりきったときだけ感じられる」

記者会見ではいつもクールにふるまってきた大迫だが、東京オリンピックで見せた涙など、うちに秘める情熱が彼本来の姿なのだろう。ラストラン直後の言葉が思い出される。

「メダルを期待されて、そこの期待に応えられなかったというのは残念なことではあるけど、かっこよく現役生活を終えることができた。選手としてはこれで終わりだけど、大迫傑としての挑戦とか…、道はこれからも続いていく」

オリンピックで次の世代に背中を見せ、引退してもなお、そのまま走り続ける大迫。日本長距離界の「開拓者」が描く未来に期待したい。

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