次の世代に“強い日本”というものを伝える

池田向希

陸上

日本競歩界では前回リオデジャネイロ大会の50キロに続く2大会連続のメダル。20キロでは男女を通じて初のメダルという快挙だった。
銀メダルを獲得した池田向希は、初の大舞台での表彰台。レース後、そしてレース翌日になっても、その興奮は冷めやらなかった。社会人になって1年目の23歳。初々しさが残る表情で、はきはきと受け答えする話し方が特徴的だ。

「素直にうれしい気持ちが1番。ずっとこのメダルを目標にしてきて1つ形に残すことが出来て良かった」

レース前、男子20キロの日本選手で最大の注目は銅メダルを獲得した山西利和に集まっていた。2019年の世界選手権を制し世界ランキングは1位。金メダルの最有力候補と位置づけられていた。
池田は2歳年上の山西の存在を強く意識していた。

「どんな時でも仕掛けることができる選手。マークしなくてはいけないなという意味でずっと意識はしていた」

大きな理由が国内でのレースでたびたび後じんを拝してきたこと。加えて「打倒・山西」で世界の選手が向かってくる中、山西に勝てば自分にもメダルのチャンスが生まれる、そんな思いもあったことが、後の取材からは伺えた。

17キロすぎ、先頭集団で先にスパートをかけたのは山西だった。池田はその後をイタリアのスタノとともにピタリとついた。

「絶対に食らいつくという気持ちで、心に“余裕”を持って迎えられた」

その後、先に仕掛けた山西が18キロすぎに遅れ始めた。ラスト1キロ付近、スタノのスパートに池田はついていけなかったが、それでも2位でフィニッシュできた。

初の大舞台にも池田にあった「心の余裕」。それは入念な準備と、彼の経歴が背景にあった。猛暑の東京から札幌に会場を移した競歩。しかし、札幌の会場もまた暑かった。夕方4時半のスタートでも気温は30度を超えた。ここで日本チームの武器とも言える「暑熱対策」が効果を発揮した。レースの3,4日前から水分補給をいつも以上にこまめにとる。レース前のアップの時間がいちばん暑いとして、アップの時から首や手や頭を冷やし、体を冷やす特製の「ベスト」も着用してとにかく体を冷やした。

念入りに行ってきた「暑熱対策」のおかげで、自信を持って臨むことができ、終盤の勝負どころでも粘れた持久力につながったのだ。
もう1つの要因は経歴にある。池田がこの春まで通っていた東洋大学は長距離や競歩で実績のある選手を多く輩出してきた。どうしても東洋大学で競歩を続けたい。その思いから入学を果たしたが当初の立場は「マネージャー兼務」だった。部の雑務もこなしながら練習に打ち込んだ結果、2年の時、世界チーム選手権の個人で優勝し一躍脚光を集めた。
3年で世界選手権に出場し6位入賞、その後、東京大会の代表に内定した。

「東洋大学に入学してから本当にいろいろな経験をさせていただいた。成長するきっかけをくれた時間だった」

着実にトップ選手への階段を上っていった池田。メダルを取ってもなお、まだ成長の過程にあると感じている。そして口をつくのは、所属先を超えて技術や心構えを脈々と後輩に受け継いできた先輩たちへの思いだ。

「今、世界のトップレベルで日本は戦っているが、それは指導者やその先輩の方々が苦労して土台を作ってくれたからこそだと思う」

「だから…」とことばを続けた。

「自分たちがやることは、次の世代にもそのまま“強い日本”というものを伝えていくことだと思う。そこを大切にしていきたい」

池田には、すでにメダリストとしての自覚と責任感が芽生えていた。

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