負けてから530日、考えない日はなかった

丸尾知司

陸上

530日間、実に1年半近く。丸尾知司の心は「負けた」という逃れようのない現実と後悔の念で埋め尽くされていた。
そして530日後、「敗者」の丸尾は、ついに「勝者」となった。
2021年4月に行われた男子50キロ競歩の日本選手権は、東京オリンピックの3つの代表枠の最後の1枠を争うレース。丸尾は、1年半前の大会でそれまでの日本記録を更新する好タイムをマークしたが2位、代表を逃していた。

まさに「背水の陣」で臨んだレース。序盤でリオデジャネイロオリンピック銅メダルの荒井広宙が遅れ、25キロを過ぎてからは、丸尾と元日本記録保持者の野田明宏との一騎打ちになった。野田は所属先が異なる後輩だが、ともに合宿をすることも多い良きライバルだ。
35キロすぎ、先に仕掛けたのは野田だった。丸尾は一時10秒近くリードされた。

「また、同じか」

丸尾の脳裏に530日前の「悪夢」がよみがえる。
そのときも似たような展開だった。終盤まで川野将虎との一騎打ちが続いたが、42キロすぎ、先に仕掛けられると一気に引き離され追いつくことができなかった。
同じように相手に仕掛けられてリードされ「ここで負けてしまうのか」とあきらめかけた瞬間もあった。支えとなったのは、代表を逃したその日からなぜ負けたのか考え続け、悔しさを持ち続けてきた日々だった。

「勝てないんじゃないか、負けるんじゃないか、と思った日もたくさんあった」

「まだ終われない」と必死の形相で野田の背中を追った丸尾。野田がペースを落とした40キロ手前、ようやく追いついた。そして41キロすぎにスパート、野田を大きく引き離してそのままフィニッシュテープを切った。自然と涙がこぼれた。
思えば、これまでの陸上人生も「挫折」が原動力だった。
長距離選手として中学では全国大会に出場、高校は駅伝の強豪校に進み「大学では箱根駅伝」と意気込んでいた。しかし、ひざのケガで走ることを断念。負担の少ない競歩への転向を余儀なくされた。
率直な思いを、高校の文集につづった。

「本当に走りたくてたまりませんでした」
「みんなは走っているのに、僕はここに何をしにきたんだ」

打ちひしがれていた丸尾に、コーチが声をかけた。

「枯れても腐るな」

このことばは、今も丸尾の支えとなっている。丸尾は、振り返る。

「『木は枯れてもまた生えてくるけど腐ったら生えてこない、丸尾はまだ腐っていない、芽が生きている』ということばをいただいた。このとき『自分はまだできるんだ』と思った」

初めて立つオリンピックの舞台。どんな苦しいレース展開になったとしても、つらい記憶や悔しさに正面から向き合い、それをバネにしてきた丸尾ならきっと乗り越え、目指す表彰台に上るはずだ。

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