今かなわないと思っても、目の前のことをやらないと先につながっていかない

山根視来

サッカー #迷っているとき

サッカーワールドカップの日本代表に初めて選ばれた山根視来(28)
最高峰の舞台に立つことができたのは人との出会いに恵まれたことが大きいという。
「自分だけでは、ここまでサッカーをやっているかわからないくらいのレベルからプロキャリアのスタートだったので、運とか、巡り合わせとか、そういうので自分の人生が変わっていった。間違いなく、そういう人たちのおかげであることを忘れてはいけない」

湘南ベルマーレでプロ生活をスタートさせた山根は1年目から大きな壁を感じていた。1試合も出場できず、そのままキャリアを終えるのではないかという危機感を抱いていた。

ターニングポイントとなったのが当時の指揮官、※曹貴裁監督と話しあった末のポジション変更だった。(※曹の縦棒が1本のみ)
それまで経験したことのないディフェンダーだったが「試合に出られるならどこでもいい」と挑戦すると最終ラインからボールを持ち出すプレーに活路を見いだした。
さらに、世界で戦う高い意識でのサッカーを求められ成長を促された。

「プロに入ってからサッカーとは何かを知ったというか、監督に出会っていなかったら、サッカーを多分なめて終わっていた。そうじゃないというのをたたき込まれた」

川崎フロンターレへの移籍もステップアップのきっかけとなった。
ここ6年で4回優勝の強豪はタレント揃い。移籍した直後は劣等感をぬぐえなかったが鬼木達監督は「お前にはお前の良さがある。そこを出し続けて欲しい」と右サイドバックとして起用し続けてくれた。

その期待に応えるように山根は敵陣に深く切り込んでクロスボールを供給したり、みずから得点を奪ったりするなど技術を磨いてチームの連覇に貢献。いつしか、チームに欠かせない存在にまで飛躍を遂げていた。

「川崎フロンターレに来て、そこでまたサッカーとは何かを知ることができて、大きく成長できたと実感している。何歳からでも成長できるんだなと改めて自分で感じた」そして2021年3月、初めて招集された日本代表の試合でもゴールを決めると、その後もアピールを続けて、ワールドカップへのメンバー入りを果たした。

「運と巡り合わせ」が自分の新しい可能性を見出すきっかけになったのは確かだろう。
だが、そのチャンスを山根は努力で結果につなげた。夢の舞台への切符をつかんだ思いを聞いた時、改めてそう強く感じた。

「試合に出られていないとか、そういう子どもたちはたくさんいると思う。僕もそうだった。今かなわないと思っても、目の前のことをやらないと先につながっていかない。
毎日は本当に大事だし、その積み重ねが僕の今につながっていると思う。毎日、練習をやっている時間だけでも全力でやり続けることは結果、先につながっていくんじゃないか」

サッカー #迷っているとき