オリンピックの“におい”がしましたね。グラウンドから

山縣亮太

陸上

インタビューした記者は思わず耳を疑った。これまで3回オリンピックの取材を経験してきたが「オリンピックのにおい」について話した選手に会ったのは初めてだったからだ。
「におい?」と重ねて尋ねた。

「同じにおいがした。オリンピックだなあ、みたいな感じがしましたね」

「オリンピックのにおい」がしたのは、東京オリンピックで陸上競技が行われる国立競技場。新しくなったスタジアムで初めて山縣が走った2020年8月の大会の時のことだ。
1年3か月ぶりのレース。ひざの痛みもあり、結果は決勝進出を逃した。それでも、そのにおい、雰囲気を感じられたことは、1年後に行われる本番に向けて大きな収穫となった。

山縣亮太は、男子100mで日本歴代4位、10秒00の記録を持つ日本屈指のスプリンターだ。オリンピックには、ロンドン、リオデジャネイロと2大会連続で出場し、いずれもその大舞台で自己ベストを更新した。リオデジャネイロ大会の400mリレーで1走を務めて世界の強豪相手に互角の走りを見せ、銀メダルに貢献したことは記憶に新しい。まさに「オリンピック男」と言っても過言ではない存在だ。

そして、彼の陸上人生で切っても切れないのが「ケガ」だ。
ケガをするたび、その逆境を乗り越え、また強くなる、それを繰り返してきた。「オリンピック男」の別名は「ミスター逆境」だ。逆境を跳ね返すことについて、彼はこう語っていた。

「僕はすごくワクワクしている。きっと跳ね返せるって思うことができている。だから、大丈夫っていう気持ちでいる」

ただ、山縣の現状は率直に言って厳しい。2019年、肺の病気で欠場した日本選手権、2020年はリベンジの場と位置づけていたが、ひざの痛みと違和感を理由に2年連続で欠場した。2020年のレースは国立競技場で走ったわずか1回だった。
幾多の逆境を経験してきた中で、今、目の前にある逆境はどういう意味を持つのか。12月に応じてくれたインタビューで聞いた。

「今僕が向き合っていることについて言えば、ものすごく大きな課題。今までの自分をある意味、根本から見つめ直さなければいけない部分もある」

技術面はもちろん「内面的な部分」でも、これまで持っていたものを「捨てなければいけない時かもしれない」と緊張感のある表情で話した。それでも前は向いていた。

「これを乗り越えたら一皮も二皮もむけられるような気はしている」

“群雄割拠”で“かつてないハイレベル”と言われる今の男子短距離陣。サニブラウン、桐生、小池、ケンブリッジ、多田、飯塚、白石…。オリンピックの100mの代表枠は「3」。400mリレーのメンバーを加えてもわずかだ。ライバルたちとの激しい争いは本番直前まで繰り広げられる。
その大会の開催自体、いまだに賛否が分かれている今、日本だけでなく世界がコロナウイルスの逆境にある今、多くの人の心に響くのは“逆境に打ち勝つすべ”を知る山縣のようなアスリートの存在ではないだろうか。

「オリンピックの準決勝で自己ベストを出し決勝に進むことを、ずっとイメージしている。例えば無観客なのかもしれないが、そういう静寂のスタジアムで走ることを今は何となくイメージしている。そこで(スタートから)立ち上がり決勝に進めればいいと思っている。あとはやはりリレー。今は1(走を務めること)を考えているが、リオの時も思い出しながら金メダルに向かって日本チームが走っていく姿を想像している」

彼の視線の先にはしっかりある。「オリンピックのにおい」がする、あの場所に自分がもう一度立ち、走る姿が。

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