これがオリンピック。強い選手というのはすべてを含めて勝ち上がっていく選手なんだなって思います

竹内智香

スノーボード

北京オリンピック、スノーボード女子パラレル大回転。
レースを終えた直後、竹内智香の表情は充実感とほど遠かった。

「まったく納得できていないですね」

6大会連続での冬のオリンピック出場。日本の女子選手で唯一、それを果たした竹内は大きな注目を集めていた。

しかし、決勝トーナメント1回戦、アクシデントが起こる。
1対1でタイムを競うレース、ドイツの選手と対戦した竹内は終盤で転倒し、コースを大きく外れてしまう。
その直後、相手もバランスを崩して転倒。
両者ともすぐに立ち上がり、先にフィニッシュしたのは竹内…。
だったように見えた。

竹内は勝利を確信し、拳を天に突き上げた。

相手も「おめでとう」と告げたという。
ところがここで数分の間、レースは中断する。

「状況、雰囲気が何か違うなと。彼女(対戦相手)も『何が起きているの?』って聞きに来て。10分ぐらいずっと抗議が続いて、失格って決まったんですけどそこにまた抗議が入っての繰り返しでした」

最終的なジャッジの判断はドイツ選手に対する竹内の“進路妨害”。
「失格」という形で6回目のオリンピックは幕を閉じた。
レース直後の竹内の言葉は割り切れない胸の内をそのまま表していた。

「99%、すばらしいオリンピックだった。でも最後の1%、このジャッジは今も納得、理解はできていないです」

竹内の人生はオリンピックとともにあったと言っていい。
18歳で初めて出場したソルトレークシティ大会は22位。続くトリノ大会は9位で、上位入賞には届かなかった。
日本にいてはその差は埋まらないと、20代のときには単身スイスに渡って武者修行に挑んだ。家庭教師をしながら言葉を学び、スイスのナショナルチームに頼み込んで練習や試合に同行させてもらった。
日本人離れした行動力で「世界の頂点」という夢に突き進んでいった。

30歳で迎えた2014年のソチ大会。
4回目のオリンピックでつかみとった銀メダルは、日本の女子スノーボード史上、初のメダルという快挙だった。

「選手としてやれることはやり尽くした」

そう考えても不思議はない。
事実、2018年から2年間、競技を離れ後進の選手を育成するプロジェクトを立ち上げたり、スキューバダイビングやヨガの資格を取ったりと、「アスリート」ではない自分の人生と向き合った。
それでも竹内智香はまた、オリンピックに戻ってきた。
将来、出産することを考え、おととしには自分の卵子を凍結したことも明らかにした。

それほどの覚悟で目指してきた舞台だからこそ、納得のいかない結末を簡単に受け入れることはできなかった。

「何度来てもオリンピックはすばらしい舞台だと思いますし、あらためて復帰して良かった。本当、ここまで最高だったんですけど、最後は納得できていないですね」

しかしその後、ある出来事がきっかけで気持ちが変わり始める。
対戦相手の選手から“妨害されたとは思っていない”“申し訳なく思っている”と謝罪を受けたのだ。

「ドイツチームのスタッフもメダルを持ち帰りたいという強い気持ちがあるから抗議をして、それを決めたジャッジの判断がすべてというふうに、彼女がそう言ってくれたことでレース直後より受け入れられている」

竹内と同じように、相手の選手もまた苦しんでいた。
その気持ちを抱えながら決勝トーナメントを戦っていたのだ。

スポーツは決して思いどおりにいくものではない。
努力がすべて報われるとは限らないし、大事な大会の前にけがをしたり調子を落としたりすることもある。
審判の判断に左右され、納得できない敗戦をすることもあるかもしれない。
しかし、オリンピックで勝つというのは、それをすべて含めてのことなのだ。

「これがオリンピックなんだなって。強い選手というのはそういうものすべてを含めて勝ち上がっていく選手なんだなって思います」

「1%納得できていない」という気持ちは消えていない。
6回目のオリンピックは不完全燃焼に終わった。
しかし、もしかすると、そのことが38歳のレジェンドの心にもう一度火を付けるかもしれない。

「過去の大会の中で一番すっきりしていないというか、完全燃焼して終われるレースっていうのは一生ないのかもしれないですけど、今はやっぱりもう1回、オリンピックの舞台に立ちたいなというのはありますね」

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