ひとりじゃないから頑張れる

早川漣

アーチェリー

オリンピックを目指すアスリートにとって頑張る理由はさまざまだ。
小さい頃からの夢だから、有名になりたいから、やるからには頂点を極めたいから…。
日本アーチェリー界をけん引する早川漣はこう言った。

「オリンピックに出てメダルをとるのが私の夢だが、それを支えてくれる人に恩返ししたいという気持ちが一番強い。ひとりじゃないから頑張れる」

2012年のロンドンオリンピック女子団体で銅メダルを獲得、日本女子アーチェリー界を引っ張ってきた。しかし、ここまでの競技生活は順風満帆ではなかった。

2015年、長年酷使してきた右肩の痛みが限界を迎え引退を決断し、指導者の道を歩みはじめた。だが、本人の気持ちとは裏腹にメダリストに対する周囲の期待は冷めていなかった。
「早く戻ってきて」「またいっしょにやろうよ」。早川は指導のため訪れた大会の会場で、関係者から何度も復帰を促された。

「私ってまだ必要とされているんだ」

自分自身と徹底的に向き合うアーチェリーは、ときに孤独だ。しかし、このとき早川には一緒に戦う仲間の姿がはっきりと見えていた。ともに東京オリンピックを目指そうと。
1年のブランクを経て再び走り始めた早川にとって、最大の敵はやはり右肩の痛みだった。

「歯磨きもできないし横を向いて寝られない。腕が上に上がらない」

アーチェリーにおいて最も大切な矢を放つ前の一瞬。ここで力が出せない。それどころか、日常生活にも支障をきたすほどだったという。でも、そんなとき早川を奮い立たせたのは家族や会社の人たち、仲間たちの言葉だった。

「肩が痛くて落ち込んでいると『大丈夫?』と心配してくれたり『頑張って』と応援してくれたりする。オリンピックが終わってないのに自分の肩が痛いからといってやめるわけにはいかない」

早川はときに涙を流しながらも、みずからを奮い立たせていった。

東京オリンピックの代表選考会前の取材で、なぜここまで頑張ることができるのか聞いてみた。

「心が折れて『ああちょっとあきらめたいな』と思うときもある。でもそんなとき支えてくれる人の顔が目に浮かんで『ここであきらめちゃだめだ』と最後までうつことができる。仲間がいるから頑張れるし強い心が持てる」

代表の切符をつかんだ早川。さあ向かうのは東京オリンピック、仲間とともに。

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