侮らず、焦らず

三宅義信

ウエイトリフティング

前回1964年の東京オリンピックで「日本選手団・金メダル第一号」に輝いた三宅義信。57年の時を経た今、同じ東京の舞台でメダル獲得を狙う教え子に授けたことばがある。

「侮らず、焦らず」

“日本のレジェンド”三宅は81歳の今もトレーニング場で指導に当たる。埼玉県にある東京国際大学のウエイトリフティング部で監督を務めている。

その三宅が「侮らず、焦らず」と諭すように語りかける相手が男子73キロ級の宮本昌典(24)だ。宮本は6年前、三宅の門をたたいて入学。卒業後の今も大学を拠点にトレーニングを続けている。天性の柔軟性から、その素質は関係者の間で高く評価されていた。大学入学後の2017年、世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得。

2020年12月の全日本選手権では、合計345キロの日本新記録で優勝した。これは世界選手権で4位に相当する好記録。この2年で自己ベストを16キロ更新し一躍、東京オリンピックのメダル候補になった。

その宮本を三宅は「60年ぶりの選手」と高く評価する。「1を教えたら10を知る」という飲み込みの早さが成長の要因だとみる。一方の宮本、50歳以上も年が離れた三宅をどう見るのか。

「自分にとってはいいお手本でしかない。どんなプレッシャーを乗り越えてきたのかという話をよく聞く。今の自分にとってためになる話が多くすごくありがたい」(宮本昌典)

三宅が乗り越えた幾多のプレッシャー。その最たるものが57年前の東京オリンピックだった。前回のローマ大会では銀メダル。地元開催で「金確実」と言われる中、開会式の2日後に行われた競技で9回の試技(当時)をすべて成功させて世界新記録をマークし頂点にたった。「日本選手団第一号の金メダル」は、選手団に勢いをつけ、史上最多の16個の金メダルにつなげた。

再び迎える東京オリンピック。宮本に対し三宅は経験や技術を惜しみなく注ぎ込んできた。ただ、甘やかすようなことばは決してかけない。24歳で金メダリストになった三宅。くしくも同じ年で迎えることになったオリンピックへの道のりの厳しさを知っているが故だ。

「早く言うならば天狗になっちゃうわけだ.人の言うことを聞かなくなる.その辺をしっかり教えていかなきゃいけない」

だから口酸っぱく声に出して伝える。

「侮らず、焦らず」

大会の延期で生まれた1年、宮本は大会のない期間に徹底的に下半身を鍛えてきた。メダルに必要な重量だと考える「あとプラス5キロ」、記録を伸ばすためだ。私たちが取材をした日、宮本はトレーニング中、右肩をしきりに気にしていた。それでもお構いなしに、5キロ、10キロと重りを増やしていく。

三宅は、以前ほど宮本のそばで声をかける機会が少なくなった。成長とともに信頼も増し「任せる」場面も増えている。しかし、このときは違った。見かねたように宮本のもとに向かい厳しい口調で迫った。

「(重量を)落とせ.いつでもできるんだから.そういう時は自分で悟らなきゃダメだ.(肩を)痛めたらアウトなんだから」

三宅は誰よりも知っている。4年に一度のオリンピックにピークを合わせ、そこで期待通りの結果を残す難しさを。

「世界で勝つには精神面だけでは勝てない、練習だけでも勝てない。大事なのは、きょうやるべきところはどこなんだという1つの目標を、その日の自分の体のコンディションに基づいて作り上げていくこと」

だから強調する、上り調子の時こそ慢心せず、謙虚にコンディションを整えて目標に向かうこと。それが「侮らず、焦らず」の精神だ。

「自分にとっては本当に的を得ていることば。『侮らず、焦らず』ということばを、ずっと心の中に持って競技をしている」(宮本昌典)

ウエイトリフティングの日本男子は、1984年以来、オリンピックのメダルから遠ざかっている。メダルを取り戻し、もう一度、三宅にかけてあげたい。それは、いつも胸に刻む三宅の言葉に対する、最大の恩返しだ。

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