輪島塗の“プロデューサー”塗師屋② 生産再開へ一歩

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能登半島地震で大きな被害を受けた伝統産業の「輪島塗」。職人たちが分業して作り上げるのが特徴ですが、地震で分業体制に支障が生じ、どのように立て直すかが課題となっています。

その分業をまとめる、いわば“プロデューサー”が「塗師屋(ぬしや)」です。その一人で3代目の塩士正英さんと妻の純永さんも、生産再開を目指して動き始めました。

「塗師屋」の塩士正英さん(右)と純永さん夫婦

「年内に何とか商品届けたい」

2月に東京・千代田区で開かれたイベント。輪島塗の企画・生産・販売を手がける塩士さん夫婦も参加し、会場で輪島塗をアピールしました。都内の料亭など、なじみの顧客も来てくれました。

漆器を注文してくれる人もいましたが、在庫がない場合はいつ商品を届けられるか分かりません。生産がストップしているからです。

輪島塗の企画・生産・販売を手がける塩士正英さん
早くて半年、遅くても年内いっぱいにはなんとかお届けしなければならないと思っている

正英さんは「(お客さんの顔を見ると)元気が出る」と笑った

120超の生産工程 どう立て直す

生産の再開を阻む要因は輪島塗の分業体制が機能しにくくなっていることです。輪島塗には120を超える工程があると言われます

塩士さん夫婦は職人たちの協力を得て工程全体をプロデュースする塗師屋の仕事をしてきました。しかし地震で被災した職人が相次ぎ、漆器を作り上げることが難しくなってしまいました。

全焼した塩士さんの店の周辺は3月に入ってもがれきが残っている

被災した職人に“工房”を

塩士さんは地震による被害が小さかった輪島市内の建物を借りることにしました。地震で工房が使えなくなった職人たちに活用してもらおうと考えたのです。

取材した日、「まき絵」の絵付けなどを担っていた篠原今日子さんが、この新しい“工房”を訪ねました。篠原さんは地震で自宅兼工房が使えなくなり、九州の実家に避難していました。

右奥のスペースを合わせ2つのスペースを工房として借りたという

塩士純永さんは篠原さんに「うちも本当に苦しいけど、『輪島に帰ってきて』『何でもお手伝いするから』」と呼びかけていたといいます。

「まき絵」の絵付けなどを担当する職人 篠原今日子さん
これくらい広かったら区画分けして(ほかの職人と)みんなで使える。戻ってきて作業ができないと思っていたが、心強いし勇気づけられる

絵付けなどをする職人、篠原今日子さん

取り引き先の地方銀行「一緒に資金計画つくれれば」

ただ、こうした取り組みを軌道に乗せるには、職人への代金の支払いなど十分な資金を確保する必要があります。現在、取り引き先の北陸銀行からの借り入れは約2700万円で、復興に向けてさらに資金が必要となります。

塩士さん夫婦は、この取り引き先の地方銀行へ資金繰りの相談に訪れました。

地方銀行 輪島支店 寺西堅太支店長
いろんな補助金などを使いながら資金計画を一緒につくれれば。一緒に頑張っていきましょう

今後の資金繰りに柔軟に対応してもらえることになった塩士さん夫婦。純永さんは「ずっと寄り添ってくれる」とほっとした表情を見せました。

正英さんは次のように語りました。

塩士正英さん
頑張るしかない。やるしかないです

塩士さんは今回借りた工房を1人でも多くの職人に使ってもらって、輪島塗の生産再開に貢献していきたいとしていました。
(経済番組 岩永奈々恵)
【2024年3月19日放送】
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