井村屋グループ・中島伸子社長 老舗企業初 女性トップのキャリア論

「肉まん」や「あずきのアイス」などで知られる「井村屋グループ」の中島伸子社長。創業125年の老舗企業で、初めての女性社長です。最初はアルバイトとして入社し、社長に上り詰めた異色の経歴を持つ中島さんに、キャリアを築くうえで大切にしてきたことは何か、副島萌生キャスターが聞きました。

アルバイトからスタート 「何事も一生懸命」

副島キャスター
―よろしくお願いします。私は社会人8年目で、中島さんに女性としてのキャリアの築き方を等身大でうかがえたらと思っています。中島さんはアルバイトから社長になられ、かなり異色だと思うのですが。

中島伸子社長
華々しいストーリーがあるわけじゃなくて申し訳ないんですけど、もともと学校の教師になりたいなっていう希望があったんです。でも、ある事故にあって声が出ない何年かがあったので、医者からそれはちょっと諦めたほうがいいよと。

そんなときに、アルバイトで今の井村屋株式会社の福井の営業所があったものだから、そこに入れさせていただきました。募集が経理事務だったんです。私は教育学部ですから経理とか知らなかったんですけど、家から近いし、食べ物の会社は面白そうだなと思って行ったんです。面接のときに「経理は経験ありますか」と言われたので、「もし今日採用していただいたら、今日から夜間の経理学校へ通います」とか言って、無謀にも採用していただいたんですね。

仕事をしているうちに、とても会社が好きになったんです。私がもっとこういうふうにした方がいいと改善提案を出したら、それを採用していただいて、本社に呼ばれて、社長賞をもらったんですね。今だったら当たり前かもしれないけど、50年近く前に、アルバイトに社長賞、そして本社で表彰するってなかなかなかったです。これは面白い先進的な会社だなと思いながら、社員登用試験を受けました。正直難しい試験でしたけど、ありがたいことに受かったので社員採用していただきました。

―振り返ってみて、どんなところが評価されたと思いますか。

やっぱり何事もまず一生懸命やる。と同時に、新しいことにどんどんチャレンジしていく。自分の性格的なものもありまして、どんどん新しいものを取り入れたり、新しいものがあれば学んでいったり。そういうところは若干あったかもしれませんね。

営業所長時代の気付き

―すごくやりがいを感じながらキャリアを積み重ねられたなと、伝わってきました。今ほど女性の進出がおそらく進んでいなかった時代だったと思うのですが、キャリアを築くうえで女性だから直面した難しさはありましたか。

正直ありましたね。私は女性で所長兼、営業に出なさいというのが営業のいちばん最初のスタートでした。福井営業所の時だったんですけど。自分の中に、消費者としての強みとか女性は消費をリードするという思いがあって、「それだけでいけるかな」という過信があったと思います。

ところが、お客さんのところに行ったら「何で俺のとこへ女性をよこすんや、俺んとこ低く見るんか」と言われまして。びっくりしました。会社に入れてくれないんですよ、そこの社長さんは。「何でか分かるか」とおっしゃるんで、「何でですか、女性だからですか」と言ったら、「もう帰れ」って言われて。「何でだろう」と思ってその日は帰りました。でも帰る時に、朝から待っていたのに会社へも入れてもらえないので、高速道路を運転しながらちょっと涙が出てきました。

一晩考えて、また次の日朝早く出ました。社長が出勤されるのを待って「どうしても答えが分かりにくいので教えてほしい。私も福井の営業所を代表してきているので、ぜひ会社に入れてください」と言いました。

その時に一番最初に質問されたことが今でも忘れられません。「今日の株価はどうだった?」、「あなたのとこの会社の株価どうだ」、「日本はどうよ、どのような景気の動きになってるんか」と。

はっきり答えられなかった。「そうだろ。仮にも僕はこの会社の社長だ。自分の会社のことだけじゃなくて、日本経済のことを考えて、いろいろ来る人には聞いてる。企業の代表としてくるんだったら、やっぱりそういうことはしっかり学んでおかなければ、経済の中で活動できないやろ。女性でそういうことをよく知ってる人には会ったことがない」とおっしゃったんですね。

それで理解しました。「そうか、それは自分に足りないところだ」と改めて思いました。消費者目線で、こんなのがあったら売れるかとか、小売業さんにお役に立てるのに。こういう売り場で、こういうものを置いたらいいとか、そういう気持ちのほうが強くて。もっと大きく全体を見る、世の中全体を見る、社会全体を考えていたかと言われると、不足だったなと思いました。その日は2~3時間、いろいろ経済全体のことを教えてもらいました。

経済全体を知るには、新聞を読んだり、雑誌を読んだり、それだけでは足りない、自分の中に道しるべを作って1つずつ積み重ねていくことが必要だなと思ったもんですから、何か資格がないかと思って探したのが「消費生活アドバイザー」です。勉強して最終的には取得をしたんですけど、とても自分のためになりましたし、こういう学びの仕方があるんだということは、今でも私自身が社員に教えていける、自分が実践したことだと思っております。

一営業先の社長の言葉を、その時に素直に受け入れられた理由は何でしょうか。「自分だったら受け入れられるかな」と状況を想像して思ったのですが。

私自身は、一人一人に対して、すごく尊厳を持って生きているってことを信じていますから。一人一人の個性とか得意なこととか、社員には必ずいいところがあると思うんですよ。悪いところを見つけるよりも、社員のいいところを見つけて伸ばしていく。それを伸ばすことで、キャリアを積んだり人生を成就するという考えが今あります。

それはお客様ともそうだったと思います。お客様の話を聞いているだけで「自分がすごく学んだな、この人と会えてよかったな」と思うことばっかりですよ。企業さんの上位者になればなるほどいろんなことを知っていらっしゃるし、学ぶことは多かったですね。そういう立場にしていただいたことに対しても会社には非常に感謝しています。営業所長、支店長と少しずつ位も重くなってきましたけど、そのたびに会う方たちが広がってきますし、そこから得ることはものすごく大きかったですね。

―3年前に社長に就任しましたが、その考え方は変わらないですか。

全く変わらないですね。見習うことが多いというのは、周りにたくさんの方がいらっしゃると思うので、自分にとって素直にそういうことを受け入れたらプラスですよね。生きてきた実感もしくは経験、知見から教えていただけるというのは、これは企業人だけじゃなくて生まれてきた人間として、非常に幸せだなと思います。

仕事と子育て 両立の悩み

―中島さんご自身も3人のお子さんを育てながらキャリアを築かれましたよね?子育てと仕事を両立するうえで、悩んだことはあるでしょうか。

いっぱいあります。まず家族との対話、会話。これはもう非常に大事ですね。特に主人とかおしゅうとめさんとか、そういう人たちにどれだけ協力していただけるかということと、子どもたちが、働く母親をどれだけ納得しているかというところだと思うんです。

今でも思い出すと、ちょっとほろっとすることがあるんですけど、働き続ける約束に、主人との約束で「子どもの弁当だけは作ってくれ」っていうことがあったんです。でも、北陸の営業所長それから支店長になった時に電車で1時間20分ぐらい通うところだったものですから、福井から石川県まで通わなきゃいけない。朝6時すぎに出なきゃいけないんですね。

ある時に寝坊してしまって、お弁当を作る暇がなくてどうしようと思ったんですけど、主人との約束にこだわって、お弁当のご飯を入れて、ぱっと外を見たら、おばあちゃんが作っていたナスとキュウリとピーマンのプランターが目に入ったもんですから、外へ出てそれをパパッと取ってきて、生のまま刻んでマヨネーズをかけて、ふたをしたんですよ。自分はもうそれで満足したんですね。会社に行ったらすっかり、雑務もあるし忘れていました。

帰ってきて夕ごはんになったら、息子が「お母さん、隣のやつがこう言うんだよ」って。「お前な一回戸籍調べた方がええぞ。絶対本当のお母さんじゃないと思う」って。それを言われた時は、ちょっと苦しかったですね。そうしたら娘が「お兄ちゃん、そんな回りくどいこと言わなくていい。私たちが働いてるお母さん本当に好きなんだから」。

働くってことは、どうしても女性は特に気負いがあります。全て完璧にやらなきゃ、母として、主婦として、そういう気持ちになる。でもそれは違うんですよね。やっぱり家族にやってもらえることはやってもらっていい、甘えていいんだっていうことを、そのとき実感しました。それは子ども達の応援、主人の応援があって働いているっていう気持ちで、少し切り替わった瞬間だったかなと思います。

北陸支店長時代の中島さん(後列中央)

関東支店長に抜てき しかし・・・

―仕事を辞めたいと思ったことはないですか。

あります。東京へ転勤して2年目に関東の支店長になったんですけど、前支店長は取締役、私は何も知らない。たった一人の営業マンの女性です。そして関東は日本の市場の中でも大きい位置を占めている。売り上げも利益も大きい位置を占めている。そういう地位だったんですね。

ある時ちょっと売り上げが下がってきた、何かいいアイデアはないかと思って、上野動物園に肉まんあんまんを売っているところがいっぱいある、今度できたパンダまんを売ってもらいたいという話をしたんです。そうしたら私より年上の管理職が「いいですね支店長。さすが女性は目のつけるとこ違いますね」と言って、何の商談にも行かないんです、動かない。部下に「1か月も2か月もたつけど、あの話どうなったんだろうね」と言ったら、「そんなん本気にしてたんですか」と言われて。僕らは月に何億も予算を持っている中で、1軒ずつ行ってる時間がないんですよって。田舎から来た支店長はそれでいいかもしれないけど、僕らはそういうわけにいかないんですよ、分かってくださいねっていう感じだったんです。

私は悩みました。何日か悩んで「そうだ、私のことどう思ってるんかな」と思い、その当時は上司評価というものが結構はやったものですから、支店長評価というのを入れてみたんです。私が全部一人で考えたんですけど、「1」は「いない方がいい」、「2」は「ちょっとは役に立つ」みたいな。「3」は「普通」とかね。女性の支店長をどう思うかというような題でやったんですけど。

なんと「1」「2」とつけてくる人がたくさんいた。無記名なのに名前まで書いて「1」とつけてくる人がいた。「いない方がいい」。非常にショックでした。「1」「2」「3」でほとんどを占めるくらいで、誰も「4」や「5」、「5」は「女性らしいアイデアが参考になる」とかですけど、だめでしたね。

それで1週間悩みました。会社に迷惑をかけている。このまま私が支店長をやっていたらきっと成績も落ちていく。40人以上いる社員の人たちにも迷惑をかけるというふうにネガティブな方へ考えがいって、ある時、辞表を書きました。

辞表を家で書いて、決心して、そして今の浅田剛夫会長(当時の専務取締役営業本部長)のところへ持っていきました。そして「ちょっとよろしいですか。すみません。実は私、今日辞表を持ってきました」って。「どうしてや」と言ったので、女性支店長への評価をもらったら、「1」とか「2」とかよくて「3」でしたと。非常にショックを受けたし、私が支店長をしていては会社に迷惑かかる。これ以上迷惑をかけられないし、みんなのモチベーションも上がってないことが分かれば、もう辞表を書くしかないと思うと話しました。

浅田会長は、中身を見ませんでした。ぽいっと私のところへ投げ返して「何を勘違いしてるんや」と。「えっ?」って思ったら、「甘えんな。自分の評価はお客様に聞くもんだ。それだけのお客さんのとこをしっかり回ってるんか」と。「そんなことは聞く耳を持たん」と返されました。全然中を見られてないんです。

私はその時思ったんですよ。「ああ、やっぱり私の中に甘い気持ちがあったんだ」と。止めてほしい、女性1人の営業だからもうちょっと頑張ってくれとか、せっかく福井から単身赴任で来てるんだから考え直せよとか、何かそう言ってもらうことを期待して、言ってしまったなと思ったんですね。その時つくづく思いました。ビジネスは甘いものじゃない。厳しい人にしっかりそこを指摘され、変に甘くしてもらわなかった。これはきっと自分の中で、この厳しさが自分を鍛えることになるんじゃないかなって。

女性管理職を育成

本社に転勤してきたら「あれっ?」と思ったことがあるんです。女性管理職が2人しかいない。1%いないんですよ。これは女性だけの研修をしなきゃいけないと思ったんです。私は人事担当常務だったんですけど、女性だから、私が発議すると、女性をひいきしていいのかという話にどうしてもなってしまうんです。浅田会長(当時の社長)に発議して「こういうふうにしたいんですけど、やっぱり女性だけをひいきするって声もあるようです」と言ったら、「そんなことは簡単や。今まで遅れていたことを今ここで取り戻すだけや。女性の活躍、これはもう当たり前のことなので、特に食品会社で、女性の発意、アイデア、行動力、そういうものがなければいけないのは分かってる。だからそういう制度にしてくのは大賛成だ」と間髪入れずに言ってもらいました。それはもう非常に後押しになりましたね。

女性幹部を育てるための研修

それで1泊2日の女性の研修をしたり、管理職候補の女性だけを集めてディスカッションをしたり。女性の管理職は今たいへん増えていて、じゃあもう今やめているのかと言ったら、実はそうじゃないんです。なぜかというと、やっぱりまだまだ昔の考え方に少し戻ったり、制度に甘えたり、これでは男性の管理職に対して申し訳ない。管理職として男性も女性もなく、しっかり考え方を持つ。でも体の仕組みが違うので、子どもを産んで産休を取ったりとか、育休を取ったり、これは仕方ないと思う。これは男性女性じゃなくて社会の仕組みですから。でも、それに甘えていてはいけない。そういうことを話しながら自分のキャリアを組み立ててもらったというのが去年の女性研修です。進化しているかなと思います。

―4月に初の女性工場長を誕生させたと。ねらいはどんなところにあったんでしょうか。

突然工場長になったわけじゃないんです。もともとその工場の中で働いてるうちから、細かいことに気がつく、リスクを防ぐことに対して非常に熱心。それと“姉御”という感じで若い社員たちの信頼を得て、いろいろ相談に乗っているということを知っていました。彼女に工場長になってもらうことについては、浅田会長も「彼女がいいんじゃないか」という話も当然ありました。やっぱり人に対する温かい目、一人ずつに対してできる気配り。そういうことだと思うんです。

いま工場は顔認証だけで、工場長の前を通らなくても入れるんです。AIの進化で顔認証をして工場へ入れるんですけど。やっぱり一人一人の顔を見て、挨拶をして工場へ入ってほしい、顔を見れば、その人の本日の健康とか、やる気とか、そういうのが分かるからという話があって、いまレイアウトを変えました。そういう気持ちのある人だから工場長に抜てきをされたと思います。

今AIの時代になり、これから大事なのは、人間力とかコミュニケーションする温かい力とか、そういうのがもっともっと必要になるんじゃないかなと思います。

「男女は意識しない」

―トップに立って、それまでも管理職として社員を引っ張っていく中で、男性の割合が多かったのではないかと思いますが、男性社員を牽引していくうえで心がけてきたことはありますか。

まず、男性、女性と意識しなかったと思います。たぶん男性の側でも、私のことを女性だと思っている人はいないじゃないかと思うぐらい。陰では「肝っ玉かあさん」と呼んでるのを聞いたことがありますけど。というのは、私は30代から全社の中で女性の営業が私一人しかいなかったんです。百何人の営業マンがいますが女性は私一人で、一人という環境にだんだん慣れてきたというのもあります。

それから、取締役会で何か発言を1人ずつ求める場面は結構あるんですけど、一番先に「中島どう思う」と言われるんですよ。私は入ったばかりの取締役で席は一番後ろの方なんですけど、先に聞かれるんです。そうすると自分の考えを持って発言できる。一番最初ですから遠慮もしないし、そんたくもしなくていい。そういう場面が何度もあると、常に準備して自分の考えを持つ。そして間違ったら間違ったで、また修正すればいい。みんなの意見を聞いて「ああ、そういうふうに考えるのか、もっと深く考えなきゃいけない」とか、そういうことの繰り返しで身につけてきたかなと思います。

男性も女性もないですけど、1人ずつはすごくいいことを持っているし、みんな勉強しているし、人生の経験もあります。そこをしっかり捉えて、褒めることは褒める、注意するところは注意するというふうにして。注意するときは、キャリアを応援したいから注意している、人生の成就を願っているから注意している、幸せな人生になってほしいから注意している。そういう事を口に出さずとも、心を込めて言うことによって相手も分かってくれます。

女性が何かあると、つらい立場にあるとかいろいろありますけど、私から見たら男性もあると思うんですよ。競争の中でつらい思いをしている人もいるし、競争が厳しい中で家庭も持っていかなきゃいけない。本当はちょっと今の場面を変えたいけど、変えられない人もいると思うんですね。お互いに自分の人生をしっかり考えながら生きていく。そういう社会が今出来つつあると思いますので、あまり男性女性こだわらずに、一人一人が人生をどう生きるかにスポットを当てて考えています。

働く女性へのメッセージ

―これから女性の活躍社会というものをつくっていくうえで、管理職の数も増えていくと思います。中島さんがこれまで直面した悩みと同じような悩みに直面する人が多くなってくると思いますが、中島さんはどんなメッセージを伝えたいですか。

自信がないっていう女性はやっぱり多いんですよ。それから時間がないという人も多いですね。管理職になったことによって、会社の中で自由な時間が作れなくなったとか。でも、そういうことはどんどん解消されていると思います。自信がないというのは、その人の気持ちの持ちようで、やっぱり自分がクリアしなきゃいけない。

私が会社で言っているのは、簡単な資格でもいいから何か取ったらどうかと。みんなよりプラス1になるものを持てれば自信になるし、「この分野は強いよ」というものを1つ持つ。業務上の強い部分、それからもう1つちょっと違う、学んで強い部分。この2つの軸を持てば、必ず自信がないというのは解消されると。全部が全部神様のように何でもできる人はいないんだから、まず仕事のプロになりなさい。そしてもう1つは違う部門でなりなさいと言っています。そういうものを持つと自分自身も楽しいし、仕事が楽しいし、生きていくことも楽しいんじゃないかなと私は思います。

私が女性に言っているのは、「自信を持ちなさい。だって消費者の主体はほとんど女性じゃないですか」。消費者としての目を強くする。これは非常に大事なことだと思います。ただし管理職になったら、自分には見えない後ろ姿は、みんなからよく見える後ろ姿になりますから、ここをどう律するか。それをしっかりと自覚をして、自分自身に「学ぶ」という投資をする、これは非常に大事なことだと思います。

私自身は、女性活躍推進では、トップにあたる人が、本当に女性の活躍が必要だ、その活躍が必ずや会社の成長につながるという強い思いを持っていたというのは、私どもが進みやすかった1つの大きい要素だと思います。でもトップがそう思っていても制度がなかったらだめで、社内託児所もありますし、政府から指示された休暇制度より、さらにプラスをして、制度もある程度充実してきました。

でもそれだけではだめなんですね。制度を使う女性たちが、自分たちが甘えない。次の世代に残していくような制度の使い方をすることが大事。休暇を使っている女性たちにヒアリングをしたり、ディスカッションしたり、子育てで悩みはないですか、というようなところを話したりということで進めてきました。

ジェンダーフリーではないですけど、いろんな意見、多様性があって、そういうことを取り入れる風土にしてかないと、会社の成長はないと思います。日本だけじゃなくて、今はグローバルな競争になっていますから、そういうものを取り入れることができない会社は私は非常に経済的にも厳しいんじゃないかと思います。いろんな意見を取り入れていく、そういう会社にしなければいけないなと思います。
【2022年12月14日放送】

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