2024年2月14日
シリア トルコ ウクライナ 中東

トルコ・シリア大地震 日本の中学生が教えてくれたこと

2023年2月6日に起きたトルコ・シリア大地震で亡くなった人は両国で5万9000人以上に上っています。

自分が住む地域から離れたところで起きた大災害。「支援したい気持ちはあるけれどどうすればいいんだろう」という方も多いと思います。

10年以上前に中東特派員としてこの地域をたびたび取材していた筆者。滋賀県内の中学生のある言葉がきっかけで、この記事を書きました。

被害にあった地域がどんなところなのかもあわせてお伝えします。

(大津放送局 ニュースデスク 西河篤俊)
※この記事は2023年2月15日に公開したものです

かつて見た美しい風景が一瞬に

「トルコ南部、シリアとの国境地帯で地震」

2月6日。大津局内のニュースセンターで、記者が書いてきた長浜市の盆梅展の原稿をチェックしていた時。

テレビから流れてきたそのニュースに私は手を止めた。

ガジアンテプ、シャンルウルファ、ハタイ…。

かつて何度も訪ね取材したなじみのある場所だったからだ。

記憶にある美しい風景が全く別の姿になっていることに衝撃を受けた。

トルコ南部の被災地 NHKの取材班が撮影

10年前、中東特派員が最も多く行った場所

2010年から10年間、国際ニュースを担当していた私。このうち2015年までの3年間は中東特派員としてエジプトの首都カイロに住んでいました。

担当していたのは、中東・アフリカ全域。

アラブの春による中東各国の政変などの混乱、シリア内戦、過激派組織ISの台頭、頻発するテロ。

これらが主な取材テーマだった。

在任中、最も多く足を運んだのがトルコ南部、シリアとの国境地帯。今回、地震で大きな被害を受けた地域だ。

地震の一報が伝えられた6日。携帯がメッセージを受信した。10年ほど前、一緒に取材にあたっていた現地のジャーナリスト仲間からだった。こう書かれていた。

「あのガジアンテプ城砦が倒壊している映像が流れてきた…」

ガジアンテプ城砦(2012年撮影)

ガジアンテプはトルコ南部の都市。取材で何度も繰り返し訪れた街だ。そのシンボルの城砦が倒壊するなんて。尋常ではないことが起きている予感がした。

仲間はこう続けた。

「地震の規模が大きすぎて、広範囲すぎて、どうなるか予想もできない。トルコは地震国で今回の東アナトリア断層の危険性は今まで常にテーマにあがってきたが、想定の何倍ものことが起きてしまった」

今回の被災地の1つ、ハタイ県アンタキヤで10年ほど前に取材していた時、「ここは地震発生の可能性が専門家から言われている」と、彼女が渋い顔をして話していたことを思い出した。

トルコとは

トルコは地中海に面した国。面積は日本の約2倍。

ヨーロッパとアジアを結ぶ「文明の結節点」とも呼ばれる。

トルコの最大都市イスタンブール

日本との結びつきも古くから強い。

古くは明治時代、トルコの軍艦「エルトゥールル号」が和歌山沖で遭難。

このときに串本町の住民が救助にあたったことをきっかけに今も交流が続いている。

1890年に和歌山沖で遭難した「エルトゥールル号」

イラン・イラク戦争のさなかの1985年には、イランに取り残された200人あまりの日本人をトルコ政府がトルコ航空の特別機を派遣して救出した。

2011年の東日本大震災の時には、トルコ政府が支援・救助チームを東北に派遣。

外務省によると3週間におよび活動を行い、これは支援・救助チームとしては最長の期間だったという。

トルコで取材するときも「ジャポンTV(日本のテレビ局)」と自己紹介すると、多くの人が温かく迎えてくれたのが印象的だった。

トルコ南部での取材の思い出

ただ、私が当時、トルコ南部で取材していたのは、そういう日本とトルコの結びつきではなかった。

当時ニュースとして世界のメディアが注目していたのは、シリア内戦と過激派組織ISだった。

シリアのアサド政権は外国メディアの入国を厳しく制限していた。

内戦やISの台頭によってシリア国内は危険で入るのが難しかったため、各国のメディアはシリアとの国境に近いトルコ南部を取材拠点にしていた。

トルコとシリアの国境検問所 写真奥へ進むとシリア側(キリス県 2012年撮影)

内戦下のシリアから着の身着のまま逃れてきた難民の人たちに国境で話を聞いた。

内戦が激化して、シリア国内から国外に逃れる人はどんどん増えていった。

ヨーロッパに逃れるシリア人が増えるなか、ヨーロッパ各国はシリア難民の流入を厳しく制限するようになった。

そんななか、トルコはシリア難民の最大の受け入れ国だった。

南部で地元のトルコ人に何度も聞いた。

「シリア難民を受け入れ続けるのはなぜですか?」と。

多くの人がこう応えた。

「シリア人とは言葉も民族も違う。でも困った時はお互い様でしょ。隣人なんだから」

今回、大地震で被害を受けている人たちはこういう人たちだ。

トルコ南部の人たちの温かい言葉や笑顔を思い出す。よく出してもらった砂糖たっぷりの紅茶(チャイ)の味も。

シリアとは

今回、地震で大きな被害を受けたのはトルコだけではない。

トルコの南にある隣国のシリアもだ。

トルコ側の町からシリア北部の町までは十数キロ。

トルコ側の国境からシリア側の町が見えるところもある。

私たち日本人はピンときにくいが、陸続きのため、歩いて国境を渡る人も多い。

そんなに近いのに、今回の地震でトルコ側の被害が多く伝えられる一方、シリア側の情報は少ない。

これには理由がある。

シリアでは内戦が続いているからだ。だから支援の手も届きにくい。

しかし、実はシリアはかつては中東でも有数の治安の良さや教育水準の高さで知られていた。

一変したのが、2011年、中東に巻き起こった「アラブの春」と呼ばれる民主化運動だ。

これによってシリアでも反政府デモが活発化し、アサド政権と反体制派の対立が激化し、内戦へと発展してしまった。

戦時下のシリアの日常

内戦下のシリアにも入って取材をした。

内戦下と言っても、戦闘が24時間行われているわけではない。

そこで暮らさなければならない人たちも多い。

事情があって(家族が高齢とか、病気であったりとか)で避難できないからだ。

遊具もおもちゃもない子どもたちは、残骸となった戦車に乗ったり、からの薬莢をペットボトルに入れたりして、遊んでいた。

内戦で破壊された建物(シリア北部 2012年)

食料が足りず、配給を求めて並ぶ人たちの顔には笑顔も見え、平穏そうに見えることもある。

そこに、突然の上空からの爆撃。街の雰囲気が急に変わり、緊張が走る。

「死」が目の前にあるというのはこういうことだと身をもって体験した。

取材よりも命を守るために逃げなければいけないこともあった。

シリア難民の気遣い

そんな異常な日常を経験して、国内や国外に避難していたシリアの人たち。

しかし、取材中、そんな彼らの温かさに触れることも少なくなかった。

シリアのことについて聞いていると、向こうから逆に質問されることがあった。

「ところで、日本は大丈夫なのか? 大きな地震があっただろう。あなたの家族は無事だったのか」と。

2012年、東日本大震災の翌年だった。

私が2011年3月、震災直後に東北で取材したことを話すと、涙を浮かべて聞いてくれて、こう話してくれた人もいた。

「日本もシリアもつらい経験をしている。両方の国が早く復興してほしい」

滋賀県内での支援の動きは

今回、かつて自分が取材していたトルコやシリアで地震が起きた。

だが、私の今の仕事は滋賀のニュースを伝えることだ。

若い記者たちとともに県内での支援の動きを探してみたが、当初はなかなか見つからなかった。

自治体や団体の担当者からはこんな言葉も聞かれた。

「要請や指示がないため、支援を行う予定はありません」

被害の規模がわからなかったことや遠い国であることが影響しているのだろう。

日本でできることはなかなかないかも。私自身もそう感じ始めていた。

中学生が教えてくれたこと

そんな時だった。

滋賀県内の中学生の言葉にはっとさせられた。

彼女は大津市立真野中学校2年生の稲葉咲希さん。

2月8日、大津市内でウクライナの軍事侵攻から1年となるのを前にウクライナを支援する募金活動に参加していた。

取材後のインタビュー。記者をまっすぐ見つめてこう話していた。

稲葉咲希さん
「多くの人たちが、ウクライナの人たちのために何かやりたい、やろうという思いを持っているのに、行動に移せていないと思います。中学生の私たちの取り組みを見て、みんなやれることはあるということを知ってもらいたいです」

稲葉咲希さん

私たちにできることは

ふと、10年前、シリア難民キャンプで暮らす女の子たちから言われたことを思い出した。

「日本から遠い国の話だから難しいかもしれないけれど、シリアのことに関心を持ち続けてほしい。無関心になると自分たちが苦しんでいることも、あるいは存在していることもなかったことになる」

今回の大地震、日本にいる私たちにできることはあるのか。

その答えは、稲葉さんやシリア難民の女の子のことばが教えてくれている。

できない理由を挙げるのは簡単だ。

できることは人それぞれ異なる。

被災地で取材にあたっているNHKの特派員や被災地の支援に詳しい専門家によると、現地で不足し、必要とされるものは、日々、場所によっても変わっていく。

今回は海外ということもあり、日本から物資を送ると輸送費も時間もかかる。

まずは、募金することがより早い支援につながるだろう。

ただ、ほかにもやれることはある。

関心を持ち続ける。

ひとりひとりが考えて、行動に移していく。 それがいま、私たち大人に投げかけられている。

(2023年2月8日 おうみ発630などで放送)

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