最初の大きな地震が発生してから丸4日。
トルコ国内で最も犠牲者が多い、ハタイ県に向かいました。
中心都市アンタキヤに入る道は渋滞していました。地割れで道路に段差ができていて、支援物資を積んだトラックなどが徐行しているためです。
街の中に入ってみると、ほとんどの建物は、崩れたり傾いたりしていました。もとの街の姿がわからないほどです。

さらに進み、住宅が建ち並ぶ地区で出会ったのは、アブドラ・マタルさん(29)。シリア内戦を逃れて、11年前トルコにやってきました。
両親が住んでいた4階建てのアパートが倒壊。
3階から下の部分が完全に押しつぶされ、唯一残った4階部分も壁が剥がれ落ち、それぞれの部屋の中がむき出しになっていました。

マタルさんによると、アパートの倒壊現場には、外国の救助隊が来たものの、重機などがないためがれきを取り除くことができなかったということで、そこでは近所の人たちが手作業で救助活動をしていました。
このアパートに住んでいた30人のうち救出されたのは1人だけで、マタルさんの両親やほかの住民たちとは連絡がつかずにいました。
マタルさんはこの日の朝、がれきの合間から、母親のハリメさんを見つけ出すことができました。
ただ、握った手は、冷たくなっていました。
いくら呼びかけても、返事をすることもありませんでした。

「父と母ががれきの下にいるのに私たちだけでは何もできない。誰でもいいから、早く助けに来てほしい。父のことも見つけたい」
マタルさんは、目に涙を浮かべながら、こう訴えていました。
取材を終えた後日、マタルさんから連絡がありました。
その後、トルコの防災当局ががれきを取り除き、両親の遺体は、ハタイにある臨時の墓地に埋葬されたということです。
マタルさん自身は、故郷を離れてイスタンブールに移り住み、生活を立て直すことにしています。
