「東日本大震災」あの時、官僚・自治体・防災関係者は…

未曽有の大災害となった東日本大震災。“想定外”の巨大地震や巨大津波に対し、官僚や気象庁、自治体、防災関係者などはどのようにその時を迎えたのか。
「災害列島 命を守る情報サイト」に2021年までに掲載した記事をまとめました。
目次
備えたことしか、役には立たなかった ~ある官僚の震災~

大きな揺れ、迫り来る大津波。状況の把握もままならない中での初動対応。がれきに遺体が残る中での道路啓開。遺体を埋葬するための「ひつぎ」の確保…。「備えたことしか、役には立たなかった」あの日、東北の地で経験なき大災害に直面しながら数々の判断を迫られた、官僚の告白です。
(2021.03.05掲載)
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3.11伝えた気象庁職員 ~病室から見えた桜~

東日本大震災の発生から、1か月後。彼は病室のベッドに横たわっていた。窓の外に見えたのは満開の桜の花。「まだ、やるべきことが…」“寡黙で一匹狼” 同僚にそう表現された気象庁職員がいた。彼が「伝えた」、そして「伝えられなかった」3月11日とは…。
(2021.03.26掲載)
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データよ、生きていてくれ

「データよ、生きていてくれ」
男性は、祈るような気持ちで、泥だらけのデータサーバーを車に積み込みました。記録されていたのは、1万6000人分の戸籍などの情報。私たちの生活を支える重要なデータが失われそうになっていました。
(2021.04.09掲載)
南三陸消防署 殉職した消防隊員が残したモノ

宮城県南三陸町にある南三陸消防署では周辺もふくめて8人の消防隊員が殉職しました。東日本大震災でこれほど多くの隊員が同じ場所で犠牲になったケースはほかにありません。あのとき、何があったのか。未公開の無線記録と9年を経て語ってくれた生き残った隊員の証言から、教訓を探りました。
(2020.03.11掲載)
ある日突然、遺体の前に

彼はその日、遺体と向き合っていた。小さな女の子だった。目を背けたかった。でもできない。体を拭いた布を洗う、それが彼の役目だからだ。彼はその日、避難所にいた。住民に問い詰められた。でも言えなかった。「わからない」とは。生と死が交錯した東日本大震災の記憶を撮影する。ある目的のために。
(2020.03.12掲載)
“小さい地震”の大津波 120年前の教訓を語り継ぐ

『それでは問題です。震度2や3の地震でも、津波は来るでしょうか?』東日本大震災の被災地の防災教育で、先生は小学生たちにこう問いかけました。正解は「揺れが小さくても、津波が来ることはある」。この答えは、どういうことか?今知ってほしい、120年以上前の津波の話です。
(2020.02.25掲載)
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