追跡 記者のノートからほかに頼れる人がいなかった~ある親子の叫び

2023年7月13日事件 社会

普通に生活したい
ご飯を食べて
ちゃんと寝て
それだけしか望んでいないのに
それすらかなわない
誰か助けてください

自閉スペクトラム症の息子を育てる母親が、私に声を振り絞るようにして訴えた言葉。行政や医療機関も助けてくれなかった。

絶望のなかで頼ったのが、独自の“療育”を行うNPO法人の理事長だったという。しかし、理事長はその後、別の障害児への監禁事件で逮捕され実刑判決を受けた。

福祉に携わる者として許されない行為。
ところがインターネット上では情状酌量を求める声が680人にのぼったという。

事件の先に見えてきた“届かない声”とは。

(福岡放送局 木村隆太)

母親と息子の壮絶な“日常”

その母親と息子が住む自宅を訪ねたのは、去年10月だった。
 
母親は30代で、9歳のひとり息子が自閉スペクトラム症の診断を受け、付きっきりの生活が続いているという。

玄関のチャイムを鳴らすと、穏やかな笑顔の母親が出迎えてくれた。優しい口調からも温厚な人柄が伝わってきた。

「取材の前に、子どもをトイレに連れて行く時間なので、少し待ってもらえますか」

以前は自力での排泄はできていたという息子だが、日常生活に介助は欠かせない。

母と子が置かれた現実に気づくのに時間はかからなかった。

息子の歩行を介助する母親

母親は息子を後ろから支えるようにして階段を上りはじめたが、前に進まない。

息子は体を動かしたくないのか、膝を曲げようとしない。一段あがるだけでもかなりの体力と時間が必要だと感じた。

「筋肉が硬直してしまって…」

ようやくトイレにたどり着いたが、息子はズボンの着脱ができない。母親が介助すると「ギャー」と部屋中に響く声を出し、頭を前後左右に激しく振った。

トイレの壁に容赦なく頭をぶつけ、母親は息子の頭を守るようにして抱きかかえた。しかし、息子はやめるそぶりをみせず、母の腕のなかで激しく頭を振り続けた。
ふいに息子の顔がぶつかって母親が大きくのけぞった。

私はどうして良いのかわからず、立ち尽くすことしかできなかった。

「まだ小さいから私でもなんとか対応できますけど、大きくなったら私の力ではどうにもならないかも」

息子をしっかりと抱きかかえた母親は、息を切らしながらそう言った。

この息子の状態は「強度行動障害」と呼ばれ、国によると自閉スペクトラム症の障害児などの二次障害として現れるという。周囲の環境や人の関わり方で誘発され、大声や頭突き、かみつきなど他害や自傷行為を頻繁に繰り返すとされる。

母親によるとトイレに連れていき40分押さえつけてもおしっこが出ず、1日のうちにトータルで3時間から4時間トイレにいることもあるという。食事も飲み込む行為を嫌うので3時間を費やす。

きっかけはひとつの事件だった

この親子を取材したきっかけは、福岡県で起きたある事件だった。

去年7月、福岡県警察本部は福岡市のNPO法人の理事長(当時)を逮捕した。

久留米市で障害児支援施設などを運営していた元理事長は、13歳から15歳のいずれも障害がある男子中学生3人に対する逮捕監禁の罪で、その後、起訴された。

福岡地方裁判所

判決によると、このうち1人のケースでは、元理事長は生徒の自宅を訪問し、ベッドの上にいた生徒の両手足を荷造りベルトや結束バンドで縛って「しゃべると殺すぞ」「暴れたら殴るぞ」などと脅したうえで、両目のあたりに粘着テープを貼りつけ、頭に袋のようなものをかぶせて殴り、抵抗できない状態にして自宅から連れ出した。
さらに、車で山道まで連行して「ここに捨てていくぞ」「ここに手足を縛って転がして埋めるぞ」などと暴行や脅迫をして、無理やり施設まで連れて行った。

裁判官は、懲役3年の実刑判決(確定)を元理事長に言い渡し、その理由を次のように述べた。

「発達障害を有する児童などの支援事業を手がける被告人が、児童に規律正しい生活を送らせるための指導や療育などと位置づけ、これにすがる親から報酬を受けて事業の1つにしていたと認められる」
「自傷や他害の危険がおよそ見て取れない被害者を様々に威圧して手足を拘束し、恐怖や屈辱を負わせる程度が強く、人格を無視している。指導や療育などの正当な理由を見出す余地はなく、手っ取り早く制裁や威嚇を加えて服従させる目的で、成長途中の子どもに対する悪質な逮捕監禁を繰り返している。非人道的、常習的犯行で相応の非難を免れない」

元理事長はこう話した

大学院で障害児教育を専攻し、30年以上もの間、障害児などを支援してきた経験がある元理事長が、なぜ暴力的な手法をとったのか。

判決の3日前、保釈中だった元理事長に直接疑問をぶつけた。

元理事長

「事件になった被害者の方々、当然被害を受けているということですので、そこについては、大いに、真摯に反省しているところです」

はじめに反省の言葉を口にした。ただ、被害にあった子どもへの行為もあくまで独自の手法による“療育”だったと主張した。

「様々なエキスパートやプロが対策を講じるなかで、子どもが働きかけにきちんと応じる状態ではなく、退行している状態だった。親から『助けてください』と差し出された手を私がとらなければ本当に社会から排除されてしまい、そうなれば、引きこもりになるか、家族の間で事件が起きてしまう可能性があった。違法と知りつつも、家族が社会生活を営めるのであればと思い、手をのばした」

元理事長は、横浜市で当時、日本でも先進的なプログラムを取り入れた施設の職員として強度行動障害がある人たちの支援にあたってきた。しかし、国からモデルケースとして評価された施設で仕事をしていたという自信が、次第に過信へと変わっていったという。

「誰も助けられない人たちを自分なら助けられるんだという慢心やエゴだったりなぜこんな状況まで社会は放っておくのかという憤りであったり、間違った正義感が自分のなかにあったと思う。被害者に対して、真摯に反省をしている」

元理事長はそう振り返った。その一方で、「あえて恐怖を感じさせる方法しかなかった。心の傷は確実にゼロとは言えないが必要最小限で、理論も実践もこの方法以外にいまも考えつかない」と話した。

681人から情状酌量を求める声が

捜査が進むにつれ元理事長の行き過ぎた行為が次第に明らかになったこの事件。
しかし、その一方で私にとっては予想外なことが起きていた。

インターネット上での署名活動

元理事長の“療育”に頼った親などから情状酌量を求める声があがり始めたのだ。
事件の発覚後にインターネット上で始まった情状酌量を求める署名活動に賛同する人の数は、約1か月半の間に681人にのぼった。

取材を進めると、その多くが元理事長に「助けてもらった」「命を救われた」と感じていた。

誰も助けてくれなかったけど地獄から救われた

受け入れ施設を探したが見つからなかった。
唯一助けてくれたのはこの人だった

必死に息子に向き合い続けた日々

事件をきっかけに私が出会った母親と9歳のひとり息子。この親子も元理事長から“療育”を受けていた。

「穏やかな日々を取り戻したい」
母親は元理事長を頼ったきっかけについて、そう話し始めた。

5歳のとき、台所に立って一緒に料理を作る息子

「たまねぎをむくのとか、お掃除も手伝ってくれたりとか、本当に穏やかに一緒に楽しんでやってくれました」

数年前の写真のなかで笑顔を浮かべる息子。家族でテーマパークへ遊びに行ったり、息子が大好きなラーメンを食べに行ったりしていたという。

母親が変化に気づいたのは、息子が生まれてすぐだった。

授乳時に視線があわず、抱っこをしてもそり返る行動がみられた。看護師の資格を持つ母親は、早くから障害があるのではと考えていたという。

「視線が合わないとか、逆さバイバイといって(手のひらを)反対に振ったりして、1歳ぐらいまでの間に自閉の特性が結構出ていました。子どもの発育に良いというベビーマッサージやベビースイミングに通いましたね」

早期の療育が重要だと考えた母親。息子が1歳半で自閉スペクトラム症の診断を受けると、5歳ごろまで毎週3回ほど、往復3時間の距離にある療育施設に自ら車を運転して通い続けた。

絵と文字でやることを示す「スケジュールの構造化」

見通しを立てられない、単語しか話せず意思を上手く伝えられないなどといった障害の特性を自ら学びながら子育てをしてきた。

取り入れたひとつが、部屋の壁に掛けられている「トイレ」「本を読む」などの文字とかわいらしい絵が一緒に描かれたカード。1日の「To Do List(やることリスト)」を可視化させたもので「スケジュールの構造化」と呼ばれる視覚支援だ。

部屋に並ぶ数多くの専門書や手作りのカード。
取材中も母親は息子が発するわずかな声に反応し、いま何をしたいのか、苦しいことはないかをくみ取って、その要求に最大限応えようとしていた。
自分のほとんどの時間、神経、体力をささげて悩みながら必死に息子に向き合う母親のあふれる愛情を感じた。

突如、始まった自傷行為

しかし、比較的安定していた生活は一変した。

通っていた療育施設が人員不足から閉所し、1人で息子を支える日々が始まった。

特別支援学校に入学した息子は、この頃から自分で顔などを殴るようになり、顔にあざが目立つようになった。

自傷行為で入院 両手には包帯が

そして、おととしの秋、突如、激しい自傷行為が始まった。

素手であごを繰り返したたくようになり、顔は変形してしまうほど腫れ上がった。あごの傷口から炎症を起こし、食事もままならなくなり、緊急入院することになった。

母親
「息子をどう止めていいのか、どう接していいのかもわからなくなって、入院して(栄養補給のため)鼻にくだを入れたときも、パニックになって、ギャーってなって。こんなに周りに迷惑かけるんだったら死んだほうがよかったのかなって、みとったほうが楽なのかなとか」

退院後も自傷行為はおさまらなかった。

食事がとれない状況も続き、入退院を繰り返すようになった。自宅でも病室でも夜通し息子に付きっきりの生活が続いた。

息子からも母親からも、かつての笑顔が消えていた。

自傷行為を防ぐためにひもやクッション材でできた筒を腕に固定する

昼夜を問わず突然、始まる自傷行為。

少しでも痛みを和らげてあげたいと、息子の腕にクッション材を巻きつけることにした。さらに、頭を床に打ちつけたときなどは体ごと覆いかぶさるように押さえつけた。

命を守りたいという思いからだった。

息子は学校を休学し、母親も仕事を休職した。寝不足や将来への不安から、精神安定剤や向精神薬を服用するようにもなった。

行政や医療機関に何度も相談をしたが自傷行為の原因はわからず、改善にはつながらなかった。

ある夜、泣きわめきながら顔を殴り続ける息子に困惑し、児童相談所に助けを求めた。しかし、緊急性は伝わらず、夜間のため翌朝医療機関に行くよう勧められた。

行き詰まって思わず子どもの首に手をかけそうになったという。

心も体も疲れ果て、絶望のなかで息子を車に乗せて海に来たこともあった。
でも、そこからアクセルを踏み込むことはできなかった。

そのとき、母親を思いとどまらせたのは、かつての写真でほほえむ息子の姿だった。

頼ったのは元理事長

孤立を感じていた母親は、せめて心境を吐露しようとSNSに投稿するようになった。すると、同じような障害のある子どもがいる親とつながったという。

そして紹介されたのが、あの理事長だった。

藁にもすがる思いで連絡を取ると、自宅で理事長本人から受ける1週間の“療育”を提案された。

金額は100万円だった。家族の反対もあったが利用することを決めた。

母親は当時をこう振りかえる。

母親
「呼びかけても助けてくれる人が理事長しかいなかったので、やっぱり頼っちゃいますよね。死ぬ前にできることがあるんだったら100万円なんて安いですよね」

母親によると、息子に対する自宅での“療育”では元理事長による暴力行為はなかったという。

いまの状況から抜け出せるかもしれないと期待した母親は、後日、さらに3日間の“療育”を2回受けることにした。しかし、理事長の逮捕でそれも途絶え、再び1人で息子を支える日々に逆戻りした。

私の質問に落ち着いた口調で質問に答えくれて、時折笑顔も見せていた母親。最後に「どういう生活がしたいですか」と尋ねたとき、絞り出すような声で訴えた。

(再生マークをクリックすると音が出ます)

母親
「みんな普通にしていることができないから、(幼いころから)早くから支援して…。どうして私ばっかりこうなんだろうって。
普通に生活したい。ご飯を食べてちゃんと寝て。それだけしか望んでいないのにそれすらもかなわない。誰か助けてください

新たな支援者の輪が

「助けて」という母親の叫びを知り、1人の専門家が動いた。児童発達支援に詳しい鳥取大学の井上雅彦教授だ。井上教授は、元理事長の逮捕に至った行為は人権上も許される方法ではないと指摘。地域社会の中で支援していく必要性を語った。

そして、今回の事件のニュースを見ながら、事件の解決だけにとどまらない根深い問題があると考えていた。

井上雅彦教授
「福祉・教育・医療と連携しながら子育てをしなければいけないのですが、何らかの理由で連携ネットワークがうまく機能していないと、地域のなかで孤立しがちです。社会的な支援の脆弱性から、そういう状況になったとき、藁にもすがる思いで頼るところがない親が元理事長を頼っていたと思います。
本当に追い詰められた結果、一家心中しかないとか、私が子どもを殺すか私が殺されるかというひっ迫した状況の人もいます。問題を解決するために、しっかりした方にお願いしたいという気持ちはどの親御さんもあると思います」

井上教授がまず始めたのは月1回、母親とのオンラインでの相談会。子どもの特性や状態を聞き取ったうえで、母親と息子の関わり方に対するアドバイスをしたり、母親の悩みを聞いたりして心のケアにもあたった。

さらに井上教授は、母親の負担を軽減するために、今後、学校の訪問教育やヘルパーなど複数の支援者に家庭に入ってもらう支援チームづくりを進め、親子が住む地域の支援者に自ら声をかけていった。

井上雅彦教授
「簡単に言うと母親とお子さんの応援団を作るということですよね。強度行動障害のある子どもを育てている親御さんは24時間、常にヒヤヒヤドキドキしながら生活を送っているわけですよね。親だけで負担するのではなくて、福祉・教育・医療、複数の事業所が関わりながら、複数の人でみていく体制を構築することが必要です」

「助けて」という声を受け止めて

井上教授の声かけもあって、ことし4月から、母親と息子のもとには新たにヘルパーが生活介助に入ったり、特別支援学校の教員が訪問教育を始めたりしている。複数の支援者が曜日や時間、関わり方の役割を分担しているという。
打ち合わせも行いながら、子どもへの支援の方向性や気づいたことなども共有。母と子の生活を支える応援団が徐々にできつつある。

取り組みの結果、息子はカードを使って「アニメが見たい」などと意思を伝えてくれるようになり、目線も合うようになった。少しずつだけれど介助がなくても自力で歩くことができ、ヘルパーに任せることで、母親にも自分の時間が生まれるようになった。

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母親
「(子どもが)安心できる環境でまず人を受け入れて、家族以外の人とやりとりをすることで、信頼関係が少しずつできてきたという感じです。活動の幅も広がってきました。いまは私も一歩離れて本人の支援グッズ作ったり足りないところに手を入れたりという状況になってきています」
「孤独っていうのは人を殺すんだなあというのをすごく実感しています。あのときは生きるか死ぬかでした。息するのもきつくて、ご飯食べる時間もトイレ行く時間もないし、生きるのでいっぱいいっぱい。でもいまは、食べる・出す・寝るの次の段階の夢を持てるようになったのかなと思います。いつ崩れるかまだわからないから、悠長なことは言ってられない日々なんですけど。乗り物とか嫌いな子ではないので、飛行機とかもそのうち乗せてみたいなと思うし、やっぱり親として、いろんなところに連れて行っていろんな経験をさせてあげたいので。いつかそうやって人目も気にしないで、自信を持って生活できたらいいなと思ってます」

見えてきた届かない叫び

今回の事件から始まった取材で見えてきたのは、本来届けられるべき支援が届かず、地域で孤立する親子の存在と悲痛な「叫び」だった。

事件の背景に何があるのか明らかにしたいという思いは、取材で出会った親子が救われてほしいという願いに変わった。

福岡から発したニュースや特集を目にした人から、取材した母親と息子に支援がつながった。母親の言葉は少しずつ前向きなものになり、子どもの自傷行為も頻度が減ってきていると聞き、私は心から嬉しかった。

しかし、全国には同じような家族がまだ多くいる。そうした家族に温かく優しい支援の輪が広がっていく社会になってほしい。

  • 福岡放送局 記者 木村隆太 2017年入局
    熊本局を経て、2022年8月から福岡局で主に警察取材を担当