「息子が家の階段から降りてきて『ねえ、母さん、なんか食べるものない?』ってもう聞いてくることはないんです。自分自身が家族を失うという経験をして初めてその苦しみの重さに気付きました」
こう話すのはイスラム組織ハマスの奇襲攻撃で20歳の息子を失った母親。
それでも、復讐は望まないという。
ガザ地区での軍事作戦を支持する国民が多数を占めるイスラエル。
そこで反戦の声をあげ始めた母親の決意とは…
(国際部 西河篤俊)
ピアノの上に並べられた息子の写真
取材に応じてくれたのはイラナ・カミンカさん(49)。
去年12月、エルサレム近郊の彼女の自宅を訪ねた。
目に入ってきたのはリビングのピアノに所狭しと並べられた若い男性の写真。
まだあどけなさの残る笑顔が印象的な男性は長男のヤナイ・カミンカさん。
10月7日、ハマスによるイスラエル側への奇襲攻撃で命を落とした。
20歳だった。
地震の被災地で救助活動にあたりたい
18歳以上の男女すべての国民が原則、徴兵の対象となるイスラエル。
ヤナイさんは3年前から兵役をつとめていた。
4人きょうだいの長男で、幼いころから責任感が強く、面倒見が良かったそうだ。
ボーイスカウトの活動に積極的に参加するなど、人の役に立ちたいという思いが強かった。
軍では災害救助などの対応にあたる部隊に長く所属していた。
去年9月、北アフリカのモロッコで多数の犠牲者が出る大地震が起きたときには、現地に行って救助活動にあたりたいと志願した。
その希望はかなわなかった。
与えられた任務は軍の基地の警備。ガザ地区との境界からわずか700メートルの場所だ。
そこには、わずか2か月前に兵役についたばかりの経験の浅い兵士が多く、ヤナイさんは教育係をつとめていた。
住民や若い兵士を逃がし、みずからは…
ハマスによるイスラエル側への奇襲攻撃があった去年10月7日朝。イラナさんが暮らすエルサレム郊外でも防空警報が鳴り響き、家族とともにシェルターに避難した。
ガザ地区の近くにいるヤナイさんの身を案じていたが、携帯へのメッセージには息子からの返信はない。基地の警備に追われ返事をする余裕がないのだと思うようにしていた。
夜になってヤナイさんが攻撃で命を落としたことを知らされた。
近くの住民やまだ経験の浅い兵士たちをシェルターに避難させたあと、自分は基地を守ろうとして、撃たれたという。
イラナさん
「息子は責任感が強かったので、上官の兵士として息子らしい最期だったと思います。しかし、母親としては複雑です。その時の息子に声をかけられるなら、母親としては『早くそこから安全なところに逃げて私たち家族のいるところに来て』と言いたかったです」
ピアノが好きだった息子 いまそのピアノは…
「息子は口数が少なくて、恥ずかしがり屋でした。私が動画を撮るのも嫌がりました」
イラナさんはそう言って、携帯に残っている数少ない動画を見せてくれた。
ピアノを弾いているヤナイさんの姿だった。
独学でピアノの弾き方を学び、自ら作曲した曲を演奏することもあった。
亡くなったあと、自宅のピアノにはヤナイさんの写真が並び、誰も弾く人はいない。
イラナさん
「子を持つ親にとって最悪のことです。自分の子どもを失うことよりつらいことはありません。母親としては、息子が階段から降りてきて『ねえ、母さん、なんか食べるものないか』ってもう聞いてこないのは信じられないです。子どもを亡くす親の気持ちというのは、言葉にできないほどつらいです」
イスラエル人の多数は「軍事作戦支持」
10月7日のハマスによる奇襲攻撃では、イスラエル側で1200人以上が死亡した。
長年、パレスチナ側との衝突を繰り返してきたが、これまでとは被害の規模が桁違いだ。
また、240人が人質としてハマス側に拘束された。その後の交渉で、一部が解放されたがいまも(1月中旬時点)130人以上がガザ地区でとらえられているとされる。
この人質を解放するためにも、イスラエル国内では、軍事作戦を支持する声が多数派だ。
12月下旬、イスラエルのシンクタンクが行った世論調査。
「人質を解放するために最良の方法は?」という質問をイスラエルに住むユダヤ人に尋ねたところ…
▼「このまま激しい戦闘を続ける」が65%。
▼「戦闘を休止してでも、すべての人質の解放と引き換えに、イスラエルが拘束しているすべてのパレスチナ人を解放する」は16%。
▼「わからない」が19%。
3分の2が戦闘の継続を支持している。
アラブ人では1割程度だったのとは対照的だ。
(イスラエルの国民はユダヤ人が74%で、アラブ人が21%)
イスラエル人が見ている“別の世界”
ガザ地区では1月に入ってもイスラエル軍による連日の激しい攻撃が続く。
1日100人を超える人たちが死に続け、国際社会は非難を強めている。一連の戦闘が始まってからの死者は2万4448人にのぼる(1月17日時点)
それでも、イスラエルでは国民の多数が軍事作戦を支持するのはなぜなのか。
イスラエル人は、「別の世界」を見ているからだ。
イスラエルのメディアが報じるガザの状況は、「きょうはハマスの戦闘員を何人殺害した」というもの。あくまで目線はイスラエル軍主語で、ガザ地区の市民目線ではない。
そして、いまも人質の家族の話が繰り返し伝えられる。
だから、多くの人がこう感じている。
「国際社会は10月7日のハマスによるテロを忘れたのか。被害者は私たちだ」と。
70代のイスラエル人女性
「この戦闘は私たちではなく、ハマスが始めたものです。私たちはおびえながら暮らしています。外国は軍事作戦をやめろと言いますが、この国に暮らしていないから言えることです」
26歳のイスラエル人男性
「私たちは戦いたくありませんが、ハマスが私の赤ちゃんのような子どもを殺しているので、戦うしかありません。人質を全員取り戻し、この戦いを終わらせるにはハマスを壊滅させるしかありません」
ネタニヤフ政権が軍事作戦を継続する姿勢を崩さないのは、こうした多数派の世論の後押しがあるからと言える。
息子が大切にした“対話”
しかし、息子を奪われたイラナさんは、多くのイスラエル人とは異なる立場をとることを決めた。
「暴力では解決しない」と声をあげ始めたのだ。
きっかけとなったのは、生き残った息子の部下の兵士たちから聞いた、ヤナイさんの生前の姿だ。
ヤナイさんは、部隊で毎晩のように、寝る間も惜しんで後輩たちと向き合い、悩み事などの相談にのっていた。部隊には少数派のイスラム教徒の兵士もいて、なじめずにいたが、ヤナイさんは誰とでも分け隔てなく付き合っていたという。
イラナさん
「息子は、短い会話ではなく、深く会話することを大事にしていたそうです。ひざをつき合わせて、『僕は君たちのことを知りたいんだ』『君たちの痛みを知りたいんだ』と話しかけていたそうです。年下の兵士たちは息子にとっては単なる部下ではなく、家族のような存在だったんだと思います」
他人との「対話」を生きる上で大切にしていた息子。
それを知ったイラナさんは、息子のような犠牲者をこれ以上出さないためには、自分も「対話すべきだ」と考えるようになった。
イラナさん
「私は自分自身が家族を失うという経験をして初めてその苦しみの重さに気付きました。これほどつらいことはありません。どんなことにも比較できない苦しみです。
多くのパレスチナ人と多くのイスラエル人は対話することがありません。だから、それぞれは深い痛みがあるのに、相手の痛みに対しては盲目なんです。
なにかを変える唯一の方法は息子がしたように相手の話を聞き理解しようとすること。対話を試みるべきだ、と考えるようになりました」
息子の遺志を継いで
イラナさんは、まず、イスラエルの人たちと「対話」をすることにした。
この日、テルアビブで開かれた平和について考える市民の集会に招かれたイラナさん。
まず会場の人たちにこう語った。
イラナさん
「私は自分の息子についてお話ししますが、それは国のために死ぬことが英雄だと思ってほしいからではありません」
そして、強調した。
暴力は解決策ではないと。
「わたしたちはみな大きな痛みを感じています。そういうとき、怒りにまかせ、暴力に向かいがちです。暴力によって状況がよくなることを信じて。
でも私はそうは思いません。政府は『勝利』という言葉を掲げます。でも私にはその意味は分かりません。私には亡くなった長男のほかに3人の子どもがいます。次男は先週、兵役につきはじめました。この状況をどう改善するか考えなければ、わたしたちすべてに待っているのは『敗北』しかありません」
対話を求めて~パレスチナの人たちに宛てた“手紙”
さらに、演説で、イラナさんはあることを明かした。
息子が亡くなったあと、パレスチナの人たちに向けてメッセージを送ったというのだ。
SNSで送った相手は以前から知り合いのパレスチナの人たち。10月7日以降、行動が制限され、会えなくなった。
暴力による報復を望んでいないイスラエル人もいることを、ほかのパレスチナの人たちにも知らせてほしいという願いからだった。
イラナさん
「メッセージを送ったのは、私は彼らのこと、彼らの痛みについて考えていると伝えたかったからです。息子の死という大きな痛みを通じて、私は、彼らの痛みを考えるようになりました。相手の苦しみを理解するために努力すること、痛みを知ること、それがともに歩むための唯一の方法だと。息子はそれを知っていたんだと思います」
会場でイラナさんの話を聞いた人たちは…。
「彼女だからこそ語れる強いメッセージだと思いました」
「私の友人の多くもいまガザ地区での戦闘にあたっています。ひとごとではありません。ご自身が息子さんを亡くされた方がこういう話をすると、説得力がありました」
何と戦う? 取材を通じて
今回、イラナさんを取材するにあたり、現地のイスラエルの人たちからは、彼女の意見をとりあげることに疑問を呈する声が聞かれた。理由は「彼女のようにガザでの戦争に異を唱える人は、イスラエルでは圧倒的に少数だ。イスラエル人の民意ではない」というものだった。
実際、イスラエルのメディアでは、イラナさんのような意見や活動が大きくとりあげられることはほとんどない。
すべての国民に兵役が原則、義務化されている環境では、自分や家族を守るためには武力に頼ることはやむを得ないと考えている。
イスラエルの街なかで、よく目にするのは兵士の服を着た20歳前後の若者たちの姿。自動小銃を肩にかけた男性や女性がレストランやカフェで談笑しているのを見かけることも珍しくはない。
これがイスラエルの日常で、現実でもある。イラナさんはそんな環境のなかで最愛の息子を殺された。
それでも復讐ではなく、対話が必要と訴える。
なぜなのか。
取材の最後、あらためて彼女に尋ねると、こう答えた。
イラナさん
「私が戦っているのは、ハマスではなく、“人々が抱く妄想”です。その妄想というのは、さらに多くの人を殺せば戦争は終わり、安全が訪れるという思い込みです。
これは難しく、複雑な問題です。お互いの話に耳を傾けることでしか変化は訪れません。他の人の考えを受け入れたり、すべて賛成する必要はありません。
せめて対話して話を聞くことを学びましょう。わたしたちには平和的に解決するしか、選択肢は残されていません」
イラナさんが、息子の死後、パレスチナの人たちにあてて送ったメッセージ。
こんな一節がつづられていた。
「私はハマスの行為についてあなた方を責めるつもりはありません。
イスラエル人であれパレスチナ人であれ、嘆き悲しむ親がいなくなるよう願っています」
(2023年12月25日 ニュースウオッチ9で放送)