
「謝罪を求める!」
アメリカのトランプ前大統領は、看板政策だったメキシコとの国境沿いの「壁」をめぐってこうSNSに投稿しました。
就任直後、壁を強く非難し、建設を凍結させたバイデン大統領。
ところが10月、方針を一転させて壁の建設を再び認めたことにトランプ氏が反発したのです。
バイデン大統領はなぜ壁を再開することにしたのか。
現場で取材を進めると、“移民”をめぐる異変がアメリカ全土に広がっていました。
(ワシントン支局記者 岡野杏有子)
国境から遠く離れた都市で増えるのは?
訪れたのは、メキシコ国境から2000キロ以上も離れた中西部イリノイ州シカゴ。
ここにいま、毎日、中南米から国境を越えて移住してきた人を乗せたバスが到着しています。

この1年ほどで受け入れた人は1万5000人を超えています。
国境から到着したバスから降りる人たち。ここからの行き先は決まっていません。
運がよければ、すぐに受け入れ施設に入ることができますが、多くはいったんは警察署に行くことになります。
施設に空きが出るまでの間、警察署内の廊下などで過ごすことになっているためです。
しかし、警察署内も満員となっています。
そのため警察署の前の路上にはテントが張られ、そこで生活することを余儀なくされています。施設に入るまで1か月も路上で生活する人もいるといいます。

取材したのは10月中旬。夜間になると気温は10度前後まで下がります。
中南米から着の身着のままで来ているため、薄着の人も多くいます。
移住希望者は都市部に

アメリカに到着し、国境近くの施設で過ごす人の多くは、ニューヨークやシカゴなどの都市部に向かうことを希望するといいます。
国境沿いの州よりも、仕事を見つけやすいと考えているからです。
受け入れが逼迫するテキサス州などの地元の共和党の州知事たちは、民主党が地盤のほかの州に向かうバスを運行し、国境付近から離れるよう促しています。
このため、国境付近に比べると移民問題が「他人事」だった都市からも悲鳴が上がっているのです。
行政がシェルター建設計画も、地元住民から不満噴出
対応を迫られたシカゴ市は、移住を希望する人たちのために新しいシェルターの建設を計画しました。
しかし、これが思わぬ波紋を広げることになります。
施設の建設予定地は、主に黒人が暮らす地区。住民は大きく反発し、抗議運動にまで発展したのです。
運動に参加している住民の1人、タミコ・ホルトさんに地区を案内してもらいました。

ホルトさんが生まれ育った地区は貧困層が多く、治安も決してよくありません。地区の中心部でも、空き店舗が目立ち、ホームレスが大勢いました。
ホルトさんたちは、市が4年前に打ちだした再開発計画に期待していました。課題を抱える地区に、22億ドルを投資して商業施設や住宅地を整備するはずでしたが、いまだに実現していません。
そんな中持ち上がった、移住者のためのシェルターの建設計画に、不信感が募っています。
ホルトさん
「われわれが求めても長年受けることができなかった支援を、(移住希望者が)どうして求めることができると言うのか。われわれは長いあいだ経済的に虐げられており、また新しいかたちで虐げられているように感じる」
“バイデン氏に期待を裏切られた”
ホルトさんは、バイデン大統領が黒人層への支援に取り組むと考えていました。トランプ前大統領よりも多様性を重んじる姿勢を示していたからです。
しかし、実際には自分たちには目を向けてくれず、裏切られたと感じています。

ホルトさん
「バイデン大統領はわれわれに何をしてくれるか明言して大統領になった。バイデン政権はわれわれのために働いてくれると思っていたが、それは間違いだった。次の大統領選挙が楽しみだ。バイデン大統領は退任しなければならない」
ホルトさんのように感じる人が多いためか、バイデン大統領の支持基盤である黒人層の支持率は低下しています。
経済誌「エコノミスト」などの調査では、バイデン政権の移民政策を支持する黒人層は就任当初の21年3月には、57%でした。それがことし11月には10ポイント以上、下落しています。

有権者だけでなく、身内の民主党の政治家も、バイデン大統領の今の対応だけでは事態の打開につながらないと、連邦レベルでの支援を求めています。

ジョンソン シカゴ市長
「連邦政府にはさらに強いコミットメントと市民が必要とする支援を求めたい」
方針転換「壁の再開認める」
トランプ前大統領をやぶって、3年近く前(2021年)に就任したバイデン大統領。
就任初日には、トランプ氏が進めた壁の建設をさっそく凍結。
国境を越えた人の強制送還も停止するなど、移民に寛容な政策を次々と打ち出しました。

そこには、国境を越えて来る人たちを強制送還するなど、厳しい姿勢で臨んだトランプ前大統領との違いを鮮明にしたいとの狙いがありました。
ところが、この方針をことし10月、一転。壁の建設の再開を認めることを発表したのです。
理由についてバイデン政権は「不法入国を防ぐため、緊急かつ即時の必要性が生じている」と説明しました。
これに対し、トランプ氏はバイデン氏への非難を強めています。SNSに「バイデン氏によって自身が正しかったと証明された」とした上で、このように投稿しました。
トランプ前大統領の投稿
「バイデンは、再開にこれだけ時間がかかり、1500万人もの不法移民でこの国をあふれさせたことを、私や国民に謝罪してくれるだろうか。謝罪を待つ!」

希望を抱き国境を越える人たち
国境地帯はいま、どうなっているのか。訪れたのは、メキシコとの国境沿いの街、テキサス州エルパソ。

人口の8割がヒスパニック系で、スペイン語の看板がまちのあちらこちらに目立ちます。
アメリカへの移住を希望して、国境を越えてくる中南米の人たちが大勢訪れています。こうした人たちを受け入れている施設は定員オーバーの状態が続き、限界にきていると感じています。

マーチン氏
「アメリカの移民政策は壊れている。なんとか施設をまわすことができているが、国境を越える人たちが多すぎる」
施設で出会ったのは、ベネズエラから来たジョグリス・エリアグニス・ペレスさん(24)。
身重の状態でおよそ1か月前に国境を越えてきたペレスさん。アメリカで出産した生後20日の赤ちゃんと一緒でした。
母国では経済状況の悪化で生活は苦しく、妊娠中も医療機関でまともに受診することができなかったといいます。

ペレスさん
「よりよい未来のために、アメリカに行くことを決めました。施設を出たあとは、職を探し、母国に残る家族を支えたい」
規制強化で新たな反発も
移民への規制強化にかじを切ったバイデン大統領ですが、これが新たな反発を招いています。自身の支持基盤であるヒスパニック系からも批判にさらされているのです。
アメリカのヒスパニック系の人口は2010年には5000万人あまりでしたが、それが今は6400万人前後にまで増加し、全米のおよそ20%を占めています。来年の大統領選挙でも勝敗の行方を左右すると言われています。
かつては民主党支持層が多いとされてきましたが、共和党も支持層を増やしていて、両党とも、掘り起こしを図っています。
民主党を支持するヒスパニック系の人たちは移民への寛容な政策で支援が進むことを期待していました。しかし、規制強化によって、裏切られた気持ちになっているというのです。

彼らが求めているのは、就労許可の拡大です。
アメリカに入国後、仕事に就き、何十年と働き税金も納めても就労許可が出ていない人も多くいます。バイデン政権下の3年間で、状況は変わらず、失望は大きくなっています。

抗議集会の主催者の1人
「バイデン大統領は約束を果たさないどころか、メキシコとの間に壁を作っている。とても残念だ」

参加者
「3、40年働いている移民でも(就労許可を)得られていない。移民はこの国のために多大な貢献をしているのだからバイデン政権も移民のことを考慮するべきだ」
取材を通じて
テキサス州の国境地帯、さらに国境地帯から離れたシカゴでも取材し、気付いたことがあります。
テキサス州で出会った移住希望者は、苦しい生活を余儀なくされていた祖国からアメリカにようやく到着したことへの安堵からか、笑顔が目立ちました。
しかし、そこから長距離のバスで移動した先のシカゴでは異なる印象を受けました。
先の見えない生活、路上生活など厳しい現実に直面してか、笑顔はほとんど見られませんでした。
移民への規制強化に転じたバイデン大統領ですが、有効な手だてを打ち出せているとはいえず、身内の民主党内からの反発も続いています。
一方、共和党は「バイデン政権の移民政策は失敗だった」として攻勢を強めています。大統領選挙でも移民政策を大きな争点として、厳しい姿勢を打ち出すとみられます。ただ、こうした姿勢を不寛容だと感じる人も少なくないはずです。
1年後に控える大統領選挙。「移民大国アメリカ」がどこに向かうかを占う選挙にもなりそうです。
