
「どこに行けばいいのでしょう…」
女性は、テントの中で幼い子どもを抱きながら、こう漏らしました。
この女性は9年前、故郷シリアで両親を失い、逃れてきたトルコで今度は大地震に襲われました。
「まるで、死に神が私を追いかけてきているようです」
何度苦しまなければならないのか。女性は自問し続けていました。
(イスタンブール支局長 佐野圭崇)
「未来なんて、ない」
「夜になると怖くなるんです。息子も、暗くなると泣き始めます。ですので、スマートフォンのライトをつけっぱなしにしています」
こう話すのは、タグリド・トブルさん(22)です。2歳半の息子アブドゥルハーリクくんと、テントで暮らしています。

2月6日、トルコ南部で起きた大地震。
トブルさんは、地震が起きる前、震源から近いカフラマンマラシュのアパートに夫と息子の3人で暮らしていました。
しかし、地震によって親戚9人を亡くし、夫も大けがをしました。
家族・親族を失うのは2度目
トブルさんが家族・親族を失うのは、これが初めてではありません。
トブルさんの故郷は、トルコの隣国シリア。9年前、12歳の時に内戦で両親を失いました。

その後、姉とともにトルコに逃れ、そこで夫と出会い結婚しました。1人息子のアブドゥルハーリクくんも授かりました。
両親を失った傷は癒えることはありませんが、新たな家族とともに、少しずつ明るい未来を思い描こうと思っていたやさき、今度は、トブルさんたちを大地震が襲いました。

「私たちに未来はありませんよ。シリアで家族を失い、トルコでも家族を失い、将来なんてありません」
トブルさんは、涙を流しながら訴えました。
雨ざらしの避難生活
地震の発生直後、トブルさんはとっさにアブドゥルハーリクくんを抱き寄せて床に伏せました。
あまりにも強い揺れに危険を感じて、外に飛び出して階段を駆け下りましたが、その途中、同じアパートに住む知り合いが助けを求める声が聞こえました。
ただ、抱きかかえた息子を守ることだけで精一杯で、心の中で何度も謝りながら、逃げ続けました。
気付くとトブルさんたちはがれきの中から助け出されましたが、アパートは倒壊。多くの人たちが亡くなりました。
また、当時たまたま親戚の家に行っていた夫は、親戚とともに被災。親戚9人が亡くなり、助かった夫も大けがをして入院を続けています。
トブルさんは姉と一緒に避難生活を始めますが、最初の10日あまりはテントもなく、雨ざらしの状態で過ごさざるを得なかったといいます。
アブドゥルハーリクくんは、寒さで体調を崩すだけでなく、大きな音を聞くとすぐに泣くようになりました。心にも大きな傷を負っていると、トブルさんは話しました。

暖を取るためゴミを燃やす
トブルさんは、1週間以上たってから姉とともになんとか簡易のテントを作り、屋根のある場所で暮らせるようになりましたが、寒さをしのぐことができないのだといいます。
暖を取るためには薪が必要ですが、物資がほとんど手に入らないことから、トブルさんたちは、プラスチックやペットボトルといったゴミを燃やさざるを得ませんでした。

ゴミを燃やすことで出る煙のせいで、アブドゥルハーリクくんは咳き込むようになったとも、トブルさんは話しました。
さらに、アブドゥルハーリクくんにきれいな水を飲ませることもできていませんでした。煮沸消毒したくてもできず、茶色く濁った水を飲ませるほかないといいます。

「飲める水、食べ物、暖を取れる物。それさえあれば十分です。私たちは今、きょうのことしか考えられませんし、明日、生きているかすらわからないんです。私は飢えてもいい。でも、子どものミルクはほしいんです」
度重なる苦難に直面するシリア難民
トブルさんのように、内戦が続くシリアから逃れ、トルコ南部で起きた大地震で被災したシリア人難民は、数多くいます。
トルコの南部と国境を接するシリア。
2011年、中東諸国で起きた「アラブの春」が波及し、40年にわたって続いてきた独裁的な政権に対して、シリア各地で市民が民主化を求めてデモを行いました。
アサド大統領が率いる政府はデモ隊を武力で抑えようとしたのに対して、市民たちも武器を取って抵抗。
その後、過激派組織IS=イスラミックステートの台頭や、各国の介入もあり、内戦は今も続いています。

これによって、トルコ国内に約350万人のシリアの人たちが避難していて、特にトルコ南部に多く暮らしていました。
今回の地震では、このうち170万人のシリア難民が被災したといわれていて、内戦で故郷から追われただけでなく、避難先でも家を奪われることになった人たちがたくさんいるのです。
キャンプに入りきれない被災者
シリア国境に面するハタイ県のレイハンルには、シリア難民を受け入れるための難民キャンプがあります。
地震が起きる前は、難民のほとんどがアパートなど住む場所を確保できたことから、キャンプは長らく使われていませんでした。
しかし、地震のあと、住む場所を失ったシリア難民たちが、このキャンプで身を寄せ合っています。
取材に訪れた2月下旬、キャンプで暮らしていたシリア難民は4000人に上っていました。
さらに、キャンプの中に入ることができず、外で野宿している人たちも100人ほどいました。
実際にキャンプに入るのを待つ家族に話を聞くことができました。アブドゥルアジズ・アティヤさん(30)一家です。
キャンプから西に40キロほど離れた街アンタキヤで被災し、車中泊を続けているということでした。
祖父母と妻、それにやんちゃ盛りの息子2人の6人で狭い車の中で寝泊まりし、夜は厳しい寒さで満足に眠ることもできないと話しました。

「シリアの家はアサド政権に破壊され、今度は地震で自宅が壊れました。今はとにかくキャンプに入りたいです。待つしかありません」
支援の遅れが深刻なシリア
今回の地震ではトルコだけでなく、そんな難民たちの故郷であるシリアも大きな被害を受けました。
最初の大きな地震の発生から1か月の3月6日の時点で、約6000人の死亡が確認されています。
北西部の町ジャンデレスは甚大な被害を受けましたが、支援物資の不足が深刻です。

現地で活動する人道支援団体「ハバール」によると、支援物資の量は、需要の3割ほどしか満たせていないということです。
支援物資が十分に届かないのは、やはり内戦の影響でした。
地元のジャーナリストは、アサド政権と北西部を支配している反政府勢力の対立の影響で、支援物資の輸送が滞るケースもあると指摘しています。
実際に反政府勢力が支配するジャンデレスでは、幼い子どものために必要な日用品が手に入らないと嘆く男性、ムハンマド・マンスールさん(24)の姿がありました。
妊娠中の妻と幼い子ども2人とテントで暮らすムハンマドさんは、現状について次のように話しました。

「暖房や衣服、乳児のための紙おむつが必要です。援助はありがたいのですが、4人家族でもらうことができたのは、マットレス1枚とシーツ2枚だけです」
息の長い支援を
トルコ国内で避難生活を送るトブルさんのテントを、後日再び訪れると、支援団体がそれぞれのテントに電気を通す作業をしているところでした。
暗くなると泣き始める息子のことを心配していたトブルさん。電気が通ることになり、少しだけ表情が明るくなっていました。
また、トブルさんたちのテントが並ぶ場所の近くには、仮設トイレが8基設置され、少しずつではありますが、支援が行き渡り始めているようにも感じました。
ただ、テントに入らせてもらうと、トブルさんは依然としてゴミを燃やして暖を取っていました。
薪も支給されるようになったということですが、まだまだ量が足りないのだそうです。
終わりの見えない内戦と大地震という二重の苦しみの中にあるシリアの人たち。生活再建には、息の長い支援が必要です。
