2023年2月23日
パキスタン ロシア ヨーロッパ アジア

ロシアに近づく国も “プーチンの戦争”で勃発 天然ガスの争奪戦

「危険でも、ガスが必要なんです。生きるために」

生活のためパイプラインから盗んだガスを使う男性は、こう切実に訴えました。

この冬、アジアでは深刻なガス不足に陥る国が出ています。

背景にあるのが、ロシアにガスの供給を大幅に減らされたヨーロッパによるLNG=液化天然ガスの“爆買い”。

そんななか、そのロシアに接近する国まで出ています。
今、何が起きているのか?

(ベルリン支局長 田中顕一 / イスラマバード支局長 松尾恵輔)

ガスが止まる… 頼みは“まき

パキスタンの首都、イスラマバード。夏の平均最高気温は40度近くにもなりますが、12月や1月は最低気温が2度ほどにまで下がり、冷え込みます。

12月中旬。朝晩の冷え込みが厳しくなるなか、一段とつらい冬を迎えていました。ガス不足が深刻になっているのです。都市ガスの供給が半日近く止まる地域も出ています。

「これを見て下さい。火がつかないんです。ここにはガスがないんです…」

首都郊外に暮らすナディア・ハミードさん(37)は、台所のコンロを指さして、力なく語りました。ガスが出ても圧力が弱いうえ、一日中ガスが使えない日もあるといいます。

夫と10歳と6歳の娘、それに2歳の男の子の3人の子供たちと暮らすナディアさん。育ち盛りの子供たちのための毎日の料理のほか、体を洗うお湯や洗濯にガスは欠かせません。


しかし、ガスが思うように使えなくなっているこの冬、頼っているのが「薪」です。自宅の屋上で毎日、薪を燃やして家事をしています。

ただ、ナディアさんのように都会に住む人たちは、薪を使うことに慣れていません。ナディアさんもガスなら10分から20分ほどで済むはずの朝食の準備に、2、3時間もかかってしまうといいます。

子供たちの健康が心配

さらに、ナディアさんが気がかりなのは、子供たちの健康です。

家族5人で使うためのシャワーの水を薪で温めるには、一苦労です。それにガスの暖房器具も使えず、子供たちが風邪をひかないか、毎日気が気ではありません。

それに、薪や木くずなどを燃やした時に出る煙で、子供たちがせきこむようにもなってしまったといいます。

まき”も高騰!? “私たちはどうすれば…”

しかし、今、その薪の値段すら高騰しています。ガスがない中、みんな薪を買わないと生活していけないからです。薪を扱う業者の中には、去年の同じ時期と比べて、売り上げが3倍にも増えているところもあるといいます。

一体いつまで、こうした生活が続くのか。ナディアさんは肩を落としてつぶやきました。

ナディアさん
「薪も高くなっていますが、ガスはもっと高くて、ボンベなどはとても買えません。だから、薪を燃やさなければいけません。貧しい私たちはどうすればいいのでしょう、何ができるのでしょうか」

えっ、ガスの“風船”!?

民間の調査会社のデータによれば、パキスタンで発電やいわゆる「都市ガス」として使われているLNG=液化天然ガスの去年1年間(2022)の輸入量は、おととしと比べておよそ16%減少しました。

パキスタン政府はエネルギー消費を抑えるのに躍起となっていて、ショッピングモールなどの営業時間を午後8時半までとするよう要請。各地で計画的な停電も行われてきました。


ガス不足による暮らしの影響について取材を進めていると、SNSに投稿されたある写真が目にとまりました。写っていたのは、パンパンに膨らんだ白っぽい袋のようなものを持って道を歩く人たち。袋は、持っている人の背丈か、それを超えるほど大きなものです。

この風船のような袋は何だろうか。
写真が撮影されたパキスタン北西部のある町を突き止め、現地に向かいました。

そこで、見つけました。風船のように大きく膨らんだ袋を手に歩いていました。

両手に抱えて、歩いている人たちもいます。

1人の男性に、身元を明かさないことを条件に家まで連れて行ってもらいました。室内には、いくつもの膨らんだプラスチック製の袋がありました。よく見てみると袋にはチューブが刺さり、空気を圧縮するコンプレッサーを通して、暖房用のストーブまでつながれていました。

袋に入っていたのは、盗んできた天然ガスだったのです。

盗まれた天然ガスを利用する男性
「違法だということはわかっています。でも、仕方がありません」

危険でも… 生き抜くために

友人がパイプラインからガスを盗んでいて、それを分けてもらっているといいます。定期的に友人の家に行き、プラスチックの袋に入れてガスを持ち帰り、妻や子どもと料理や暖をとるのに使っています。

男性の家ではプロパンガスを使っていましたが、ガス不足が深刻化する中、プロパンガスの価格も急激に上昇して買えなくなっています。男性は違法であることはわかっているものの、やむにやまれずやっていると弁解しました。

地元のガス会社の関係者によると、プラスチックの袋を使ってガスを盗む行為は、今年に入ってから相次いでいます。さらに袋から漏れ出したガスを吸い込んで体調を崩したり、ガスに引火してけがをしたりする人まで出ているといいます。

それでも、生きていくためにはどうしようもないと、男性は打ち明けました。

「警察は『とても危険だ』と警告しているし、逮捕されている人もいる。でも、冬は寒いし、小さな子どもたちをあたためてあげたいんです。カレーを作るのにも、お茶を飲むのにも、ガスが必要なんです。生き抜くために、危険でも続けていかなければならないんです」

LNG市場でかつてない変化が起きている

パキスタンで起きている深刻なガス不足。原因と指摘されているのがLNG=液化天然ガスの輸入の流れの大きな変化です。

ヨーロッパが爆買いともいえる状況で輸入を増やしています。

JOGMEC=エネルギー・金属鉱物資源機構が民間の調査会社の情報をもとに作成したデータによりますと、2022年の1年間に、ヨーロッパが輸入したLNGは1億2100万トン余り。前年の実に1.6倍に急増しました。 

エネルギーの専門家が「エネルギーの歴史上、初めての変化が起きた」と指摘するほどの事態でした。

LNGタンカー

なぜ、ヨーロッパがLNGを“爆買い”?

この急激な変化を引き起こしたのが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻です。

軍事侵攻以前、ヨーロッパは、ロシアから大量の天然ガスを輸入していました。ロシアからパイプラインで運ばれる天然ガスは、中東などからタンカーで運ばれてくるLNGよりもコストが安く、魅力的なエネルギーだったからです。EUのロシア産のガスの依存度は全体のおよそ40%にのぼっていました。

ドイツとロシアを結ぶパイプラインのターミナル施設(ドイツ ルブミン・2020年)

しかし、軍事侵攻でこの事情は一変しました。ロシアのプーチン大統領が経済制裁を科すヨーロッパ向けの供給を大幅に絞ったのです。

各国で電気代やガス代が値上がりしましたが、影響が大きかったのがヨーロッパ最大の経済大国ドイツです。2021年の輸入に占めるロシア産ガスの割合は52%。ロシアとの経済協力が、地域の平和と安定につながるとして、関係を深めていたことが裏目に出た格好でした。

スポット市場の先物価格は9倍に!?

ヨーロッパでは、ガスは発電の燃料だけでなく、家庭の暖房の燃料としても広く使われています。そこで目をつけたのが、アメリカや中東で生産されるLNGの「スポット市場」での調達でした。複数年にわたる長期契約ではなく、すぐに取引ができるメリットがあります。

しかし、ガス全体の供給が増えているわけではないため、いわばガスの取り合いが起き、価格が急騰したのです。

調査会社によれば、2022年8月、アジアでの指標となる「スポット市場」の先物価格は5年間の平均のおよそ9倍にまで跳ね上がりました。こうした高騰は日本にも影響を与えています。

専門家はどう見る

ガスの世界的な事情について詳しい、JOGMEC=エネルギー・金属鉱物資源機構の白川裕調査役に聞きました。

JOGMEC=エネルギー・金属鉱物資源機構 白川裕 調査役

-天然ガスの争奪戦ともいえる状況。その影響は?

白川調査役
ロシアのパイプラインガスが大きく減ったため、ヨーロッパがガス不足になり、世界中のLNGが欧州に輸入された。そうすると、LNGが不足して価格が高騰し、あまりにも高い価格になったため、例えばインド、パキスタン、バングラデシュといったところはもうLNGが高くて買えないというような状況になっています。(注釈:パキスタンなどは、もともとは国内でガスを生産していたが、生産が減少したため、スポット市場からLNGを購入している)

-いまの状況はいつまで続くのか?

ちょうどいまはLNGの供給が需要よりも少ない時期にあたっています。そこにロシアのパイプラインガスがなくなるということが重なったので、厳しい状況が長く続くということになると思います。かつてのような平時に戻るのは2030年前後と想定しています。このため一番の弱者の国々がLNGを買えないという状況は、この先しばらく続くと思われます。

さらに白川氏は、ことし2023年に次のようなリスクが想定され、状況次第ではガスの争奪戦に拍車がかかると指摘します。

1. 中国が「ゼロコロナ」政策の終了で経済が活性化し、輸入を急増させた場合
2. ヨーロッパの次の冬が平年どおりの寒さでガス需要が増加した場合
3. LNGの液化プラントにトラブル発生した場合

こうした需給バランスの「リスク」が起きた場合、インド・パキスタン・バングラデシュなどの国々の輸入量は2022年と比べてあわせて3800万トン減り、減少幅は6倍以上になると予測しています。

遠い侵攻より、きょうのガス

ロシアの軍事侵攻が生んだガスの争奪戦。
影響が直撃するパキスタンは今、そのロシアに近づいています。

ことし1月、首都イスラマバードにある高級ホテルの一室。
固い握手を交わすパキスタンのサディク経済相とロシアのシュリギノフエネルギー相の姿がありました。

記者団に対し2人は、石油や天然ガスのパキスタンへの輸入に向けて調整を進めることで合意したことを明らかにしました。

合意文書に署名する パキスタン サディク経済相(左)と ロシア シュリギノフ エネルギー相

読み上げられた合意
「両国政府は、様々な分野で協力をさらに強化することで合意した。石油や天然ガスの輸入については、技術的な点について合意をしたあと、パキスタンとロシアの双方に経済的な利益をもたらすような形で行うようにする」

一方的なウクライナへの軍事侵攻によって欧米から制裁を受けるロシア。しかし、地元の記者の1人は、パキスタンの多くの市民は、貴重なエネルギーの輸入先としてロシアに期待し、歓迎すらしているといいます。もちろん侵攻に反対する人もいますが、いまはきょうとあすを生きるためのガスが必要なのです。

長年パキスタン経済を取材する地元の記者
「ヨーロッパの国々は『団結してロシアに対抗する』と言いながら、その一方でLNGのシェアを独占しています。欧米は、すでに十分発展して豊かなのにもかかわらず、貧しい国々の苦しみや問題を増やしているようにうつっています。もしも、ロシアからガスの輸入をできるようになれば、西側のボイコットのおかげで価格は安くなるかもしれません。パキスタンにとっては『不幸中の幸い』になるかもしれませんね」

ロシアの侵攻が引き起こした格差の教訓は

JOGMECの白川氏は、今回の争奪戦の原因の背景として2つの点を指摘します。ひとつは、ヨーロッパがロシアへの依存を高めすぎたこと。そして、温暖化対策として脱炭素の動きが進むなか、ガスなどの化石燃料を安定的に確保するための取り組みが軽視される傾向があったことを指摘します。

白川調査役
「ヨーロッパは従来から、ガスのロシアへの依存度が高すぎると言われていました。しかし、『ロシアが供給を止めるはずはない』として、パイプラインの建設を進めた結果、こういう形となってしまいました。また、この数年間、エネルギーセキュリティー(=エネルギーの安定的供給)よりも、脱炭素を進めていく方向に注意が向いたのは否めません。脱炭素は世界的に重要な問題で解決しなければならないのは当然ですが、エネルギーセキュリティーを軽視していいわけではありません」

ヨーロッパのロシア依存のツケを、ガスを必要としていたほかのアジアの国が払っているとも言える現在の状況。これ以上、格差を広げないために各国はどのような政策をとるべきなのか。白川氏はことし、G7=主要7か国の議長国を務める日本の役割は大きいと指摘します。

「たとえばガスの供給源の多様化とか、十分な在庫を持つとか、省エネを推進する。これは従来どおりに強く進める必要があります。ただ、それに加えて、脱炭素の圧力で停滞している新たなガス田開発も促進しなければいけないと思います。ガスもしくはLNGが安定的に供給され、経済を回すことができれば、利益が生まれる。その利益で、新興国のLNGを含む低炭素エネルギー普及を支援していくことが大切です。そして、エネルギーの取り合いという状況を生まないようにしていく。日本はエネルギーのない国でエネルギーセキュリティーに非常に敏感な国です。その特徴を活かして欧米をうまく説得する役割を期待したいと思います」

前回のG7=主要7か国首脳会議(ドイツ エルマウ・2022年)

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