
「いつも隣に座っていました。これからも、ずっと一緒にいるはずでした」
アフガニスタンの18歳の女子生徒は、親友と写った写真を手に、つぶやきました。
でも、もう2人の写真が増えることはありません。
学校に通うことも許されず、親友の命まで、奪われました。
(イスラマバード支局長 松尾恵輔)
大学進学を目指す2人の女子生徒
「この写真は、親友が誕生日プレゼントでくれたんです」
アフガニスタンの首都カブールの住宅。ここに住む18歳のバシラさんは、親友のホマイラさん(18歳)と撮った写真を見せてくれました。

イスラム教徒の女性が身につけるヒジャブをかぶって、カメラの前でほほえむ2人。
小学1年生の時からの親友で、お互いの家を行き来して遊び、学校ではいつも隣の席に座っていました。
アフガニスタンでは、20年ほど前まで、旧タリバン政権下で女性への教育が禁止されていましたが、政権が崩壊すると、女性も大学に進学できるようになりました。
バシラさんとホマイラさんも、勉強を続け、将来は一緒に大学に進学しようと考えていました。
機械いじりが好きなバシラさんの将来の目標はエンジニア。

ホマイラさんは、まだ医療の水準が低いアフガニスタンで、病気の父親や、困っている人たちを助けたいと医師を目指していました。
奪われた学び 支えは学習塾
状況が一変したのは、2021年8月。
イスラム主義勢力タリバンが、アフガニスタンで再び権力を掌握しました。
タリバンは「女子生徒が通学する環境が整っていない」などと主張し、日本の中学校と高校にあたる中等教育で、女子生徒の登校ができなくなりました。
2人も学校に通えなくなりました。
男の子は学べるのに、どうして女の子は学んではいけないのか。女性が学ぶことが出来なくなって、社会はよくなるのかー。
バシラさんは憤りを覚えました。
勉強する場所を奪われたバシラさんとホマイラさん。
そのとき、2人を救ってくれたのは近所にある学習塾でした。中等教育を受けることができなくなっても、個人が開く塾や、大学には女性も通うことができます。
塾で勉強を続ければ、大学を受験し、夢をかなえられるかもしれない。
2人とも決して裕福な家庭出身ではありませんが、家族も通うことを許してくれました。
大学の受験勉強を教えてくれる塾は、地域に一つしかありません。そこには、2人と同じように、学校に通えなくなった女子生徒が集まっていました。

一緒に勉強するだけでなく、仲良くなって家族のような雰囲気だったといいます。熱心な講師たちも、やる気を与えてくれました。
「とても楽しかったです。勉強だけでなく生き方まで教わった気がします」(バシラさん)
塾がない日も、2人はバシラさんの家に集まって一緒に勉強しました。
「この本読んだ方が良いよ」「ちゃんと復習した?」
面倒見のよいホマイラさんは、バシラさんにいつもアドバイスをくれました。
夜中の2時ごろまで勉強する努力家のホマイラさんを、バシラさんは尊敬していました。
突然響き渡った銃声
ところが、大学入試を2週間後に控えた2022年9月30日。悲劇が起きました。
この日は塾で最後の模擬試験の日。
「この試験が終われば、次はいよいよ本番だ」
バシラさんはやる気に満ちていました。朝6時半すぎにホマイラさんと待ち合わせをして一緒に教室に入り、いつものように隣どうしの席に座りました。
試験が始まっておよそ30分後、バシラさんが数学の問題を解き終わったとき、外から突然、銃声が聞こえてきました。
異変に気づいた塾の職員が慌てて教室に飛び込んできて、生徒たちを守ろうと、教室のドアの鍵をかけようとしました。
しかし、職員は銃で撃たれ、銃を持った男が中に入ってきました。
いったい何が起きているのか、分からなかったというバシラさん。
突然の出来事に動けなくなっていました。
「バシラ、伏せて」
隣の席に座っていたホマイラさんがささやき、バシラさんの手をつかんで、床に伏せさせました。
銃声が聞こえ、周りに座っていた女子生徒たちが撃たれたのが分かりました。
殺されるかも知れない。
そう思った次の瞬間、大きな爆発音がして、バシラさんは意識を失いました。

目を覚ますと、そこは病院でした。
バシラさんは、肩をけがしていて、クラスメートたちが搬送してくれたのです。
ホマイラさんが亡くなったことを知ったのは、その日の夜。
左胸と頭に深い傷を負っていたといいます。

「ホマイラもきっと生きていると信じていました。『もうホマイラは私たちと一緒にはいないんだよ』と告げられ、胸が張り裂けそうでした」(バシラさん)
53人の死、多くの女子生徒が巻き添えに
国連のまとめでは、この爆発の犠牲者は53人、けが人は110人に上ります。
犠牲になった人のうち、少なくとも46人は女性だったといいます。
およそ600人が学ぶこともあったという教室の屋根は、半分が吹き飛び、爆発の大きさを物語っていました。

治安維持を担うタリバン暫定政権の話では、犯人の男は塾の門のところにいた警備員に向けて発砲し、教室に入って、身につけていた爆弾を爆発させたとみられています。
教室に座っていた、たくさんの女子生徒たちが犠牲になりました。
誰が、なぜ、塾を狙ったのか。タリバンの捜査幹部は、犯行に関わったとして過激派組織IS=イスラミックステートのメンバーを事件からおよそ3週間後に殺害したと明らかにしました。
ISは今も、アフガニスタン国内でテロを行い、中でも、爆発が起きた地域に多く住むイスラム教シーア派の少数民族「ハザラ人」を敵視して、テロを繰り返してきました。
バシラさんやホマイラさんもハザラ人です。タリバンの幹部は「たくさんの人たちを殺害し、混乱を引き起こそうとしている」と非難します。
『安心して学べる環境はない』
「あの日、ホマイラが私を助けてくれたんです」
バシラさんはそう振り返ります。
2人で一緒に勉強する日々は、もう戻ってこない。バシラさんは、親友を失ったショックから塞ぎ込むようになりました。
ホマイラさんと当日までやりとりしていたSNS。たわいない会話も見返すことができません。

「私たちには、実現できなかった夢がたくさんあります。一緒に大学に行って、一緒に勉強して、ずっと友情が続くはずでした。ホマイラが、私ひとりを残していなくなってしまうなんて、思ってもいませんでした。受験に向けて、ずっと頑張ってきたホマイラの努力が、実らなくなってしまったのがとても悲しいです」(バシラさん)
バシラさん自身も、ずっと目指してきた大学入試を受験できなくなってしまいました。
爆発の影響でけがをした肩が日増しに痛むようになり、受験の数日前、医師から受験をあきらめて治療に専念するよう勧められたのです。
バシラさんはアフガニスタンを離れ、医療水準が比較的高い隣国のイランに向かうことになりました。
「受験も出来なくなり、感情を抑えられず、涙が出てきました。勉強自体はこれからも、絶対に続けたいです。でも、イランで治療を終えて帰ってきたときに、私はどうなっているのでしょうか。勉強は続けられるのか、夢をかなえられるのか、分かりません」(バシラさん)
疲れ切った表情で、悔しさと将来への不安を口にしたバシラさん。私たちに、こう訴えました。
「アフガニスタンは、もう安心して勉強を続けられる状況ではなくなっています。国際社会には、私を含むアフガニスタンの若者が安心して勉強できるように、海外での奨学金制度などを提供してほしいのです」(バシラさん)
タリバンの復権から1年以上がたっても、女子生徒の中等教育が認められない状況が続くアフガニスタン。
さらに爆弾テロで、最低限の安全さえも守られないー。
いつまでこうした日々が続くのか、女子生徒たちは追いつめられています。
