2022年9月16日
アメリカ

「わたしは “捨てられた赤ちゃん” だった」

妊娠したことを誰にも相談できず、1人で出産し、途方に暮れて結果的に子どもの命を奪ってしまう…。

アメリカではこうした事件が、年間およそ250件発生。

赤ちゃんの命を救いたいと、設けられた場所は、いま、7つの州の100か所以上に広がっています。

取り組んでいるのは、みずからが“捨てられた赤ちゃん”だった、1人の女性です。
(アメリカ総局 佐藤真莉子)

誰にも会わずに赤ちゃんを託せる場所を

アメリカ中西部・インディアナ州の消防署で働いていたモニカ・ケルシーさん。救急救命士として、長年、人の命を救う現場で仕事をしてきました。

ケルシーさんが、いま取り組んでいるのは、親が育てられない赤ちゃんを匿名で受け入れる「ベビーボックス」を設置する活動です。

アメリカには、50の州すべてに「赤ちゃんを産んですぐ、警察や消防などの安全な場所に預ければ母親は罪に問われない」という法律、「セーフ・ヘイブン・ロー」があります。

2016年、ケルシーさんはこの法律を後ろ盾に、アメリカでは初めての「ベビーボックス」を、自分が勤めていた消防署に設置しました。

以来、6年間で、7つの州の100か所以上に設置しました。

実際に設置されたベビーボックス

「ベビーボックス」は消防署や病院などに設置されています。

外から扉を開けて、中に赤ちゃんを寝かせます。扉を閉めるとブザーが鳴り、それを聞いて駆けつけた消防隊員などが、建物の内側にある別の扉からすぐに赤ちゃんを取り出して保護します。

虐待のあとがないかなどを含め、赤ちゃんの健康状態を確認。その後は、養子縁組みなどで新しい家族の元で育てられます。

これまでに、あわせて100人以上の赤ちゃんが託されました。

“捨てられた赤ちゃん”だった私

ケルシーさんが“捨てられる赤ちゃん”のために力を尽くしたいと思ったのには、自分自身の生い立ちが深く関係しています。

ケルシーさんの両親は、実は、生みの親ではありません。子どもの頃から自分が養子であることは知らされていました。

育ての親からは「生みの親はあなたのことを愛していたけれど、若かったから、どうしても育てることができなかった」と聞かされていました。

自分を愛してくれていた生みの親は、どんな人なんだろう。

わたしと会えるのを心待ちにしているに違いない。

自分が18歳になったら、きっと会える…。

ケルシーさんは、そう信じていました。

生みの母親の行方を捜すのは、簡単なことではありませんでした。母親の名前すらわかりませんでしたが、どうしても会ってみたいという強い思いから、わずかな手がかりを元に、まるで探偵のように、母を捜し続けました。

そして、その時は、今から12年前、ケルシーさんが37歳のときにやってきました。

ついに、生みの母を見つけることができたのです。胸を高鳴らせて母親のもとを訪ねると、衝撃的な答えが返ってきました。

「17歳の時にレイプされて、あなたを妊娠し、捨てた」

これまで信じてきたストーリーが、崩れ去った瞬間でした。

愛された赤ちゃんではなく、“捨てられた赤ちゃん”だったことがわかったのです。

生みの母親サンディーさんの写真(17歳の時)

生みの母親の名前は、サンディー。

隣接するミシガン州に住んでいました。サンディーさんによると、妊娠を知った自分の母親に、中絶を促されて病院に行ったものの、直前で中絶を拒み、逃げ出したといいます。

その後、ひっそりと出産したサンディーさん。しかし、どうしても自分で育てていくことは考えられませんでした。

当時は赤ちゃんを託せる「ベビーボックス」のような場所はなく、産まれてわずか2時間の赤ちゃんだったケルシーさんを、病院に置き去りにしたというのです。

ケルシーさんは保護され、後に育ての親に引き取られました。

ずっと愛されていたと聞かされていたのに、本当は親から愛されていなかったと知り、大きな衝撃を受けました。最初は、ただ、信じられなかったんです。私じゃなかったらよかったのに。私の人生じゃなければよかったのに。私は、両親が愛してくれているというストーリーを信じたかったのに… そうであってほしかった。でも、事実はその正反対でした。そこから、私の中で葛藤が始まりました」(ケルシーさん)

生きる意味を探して

生みの母はうそをついている。この話は真実ではない…

むしろ、うそであってほしいと、何度も証明しようとしたケルシーさん。

しかし、調べれば調べるほど、真実であるとわかり、受け入れざるを得なくなったといいます。

「自分の生物学的な父親がレイプ犯であるという事実を受け入れなくてはいけませんでした。私は自分がどこからきたのか、ルーツさえわかりません。悩みを振り払うように、仕事に没頭しました。通常の勤務ではありえないことですが、毎晩、救急車に乗る当番を申し出ました。1人でも多くの命を救うことで、自分には生きている価値があると感じたかったのだと思います」(ケルシーさん)

誰にも求められていない命だったのに、なぜ生きているのだろう。

生きている価値を見失い、湧き上がってくるのは、生みの母親に対する不信感。

誰にもぶつけることができず、複雑な感情をひとりで抱える日々が続きました。

衝撃の事実を知ってから3年後。ケルシーさんに転機が訪れます。

きっかけは、たまたま訪れた南アフリカのある教会に「ベビーボックス」が設置されていたことでした。

親が育てられない子どもを匿名で受け入れる「ベビーボックス」の存在を、ケルシーさんはこのとき初めて知りました。

これこそが、“捨てられた赤ちゃん”だった自分が取り組むべきことではないか。

自分が生きる意味が見つかったと感じたケルシーさん。

アメリカに帰国するとすぐに「ベビーボックス」を設置するため、団体を立ち上げました。

批判にも揺るがない信念

しかし、ベビーボックスの設置は、そう簡単には進みませんでした。

50州すべてに「赤ちゃんを安全に預ければ罪に問われない」という法律があるものの、これはあくまで警察署や消防署などで誰かと対面して、赤ちゃんを託すことが条件です。

一方で、ベビーボックスは、誰にも会わずに赤ちゃんを箱の中に入れる、という部分が大きく違うため、州によってはなかなか理解を得られませんでした。

「誰にも会わなくていいとなると、安易に赤ちゃんを手放す人が出るのではないか」
「何の情報も残さずに赤ちゃんを預けられたら、将来、その子が生まれた経緯を知ることができなくなる」

こうした批判が根強くあります。

自分自身、長年、生みの母に会いたいと願い、ようやく再会を果たしたケルシーさん。

子どもにとって、出自を知ることの大切さも、当事者として身をもって理解しています。

だからこそ、ベビーボックスには「何か情報を残したいと思ったら、いつでも連絡を」と書いたパンフレットを置いています。

事情のある妊娠・出産の末、途方に暮れてベビーボックスを利用する母親の中にも、このパンフレットを見て、連絡をくれる人もいるのだといいます。

中には、生まれたときの状況や家族の病歴など、手紙に書いて残す母親もいたということです。

ベビーボックスに託された赤ちゃんを抱く(提供:ケルシーさん)

「誰の手も借りず子どもを産むのは命がけのことで、産んだ後、簡単に“捨てればいい”と考える母親はいません。やむにやまれず、ベビーボックスに託すのです。命を奪われていい赤ちゃんはいません。とにかく、赤ちゃんの命が大切です。ゴミ箱に捨てられて命を落としてしまったら、出自を知る権利もなにもありません」(ケルシーさん)

より早い段階での支援を

ただ、ケルシーさんも、ベビーボックスはあくまで「赤ちゃんの命を救うための最後の手段」だと考えています。

いまは妊娠中など、より早い段階での女性たちへの支援にも力を入れています。

24時間対応する電話相談窓口を設け、妊娠中に「出産しても子どもを育てることができない」と相談してきた女性に対しては、子どもを託す家庭と事前に話し合い、将来子どもとの面会の機会を設けることもできる、養子縁組みという方法があることを伝えたり、経済的な理由で出産をためらっている場合には公的な支援を受ける方法などを紹介したりしています。

かつてベビーボックスに託された女の子を抱き上げるケルシーさん

そして、育ての親となってくれる人たちが、赤ちゃんと新しい家族として関係を築いていく過程では、みずからが養子だった時の経験を伝えながら、一緒に成長を見守っています。

命をつないでくれて、ありがとう

出産の経緯を知らされたときに、生みの母に対して抱いた「不信感」は、活動を続ける中で、変化していきました。

望まない妊娠などで、赤ちゃんを育てられないと考え、自分を責める母親たちの苦しみに接するうちに、自分の生みの母親が経験した葛藤にも、思いが及ぶようになったケルシーさん。

いつしか再会できた「喜び」、そして、病院という場所を選んで置き去りにし、命をつないでくれた母への「感謝」の気持ちに変わっていったといいます。

「私がいま、助けが必要な女性を支えることができているのは、私の生みの母のおかげです。私を中絶することも、ゴミ箱に捨てることもできたのに、母はそうしませんでした。法律も、ベビーボックスもなかった当時、私を病院に置いていってくれたことに今では感謝しています」(ケルシーさん)

ケルシーさん(左)とサンディーさん(右)

ベビーボックスが必要なくなる日まで

すべての命には、生きる価値がある。命を奪われていい赤ちゃんなんていない。

ケルシーさんの願いはベビーボックスの設置にとどまりません。

「私の目標は、これ以上、ゴミ箱に捨てられる赤ちゃんをなくすことです。ベビーボックスが各地に設置されれば、赤ちゃんがゴミ箱に捨てられて死ななくてよくなります。その日が来るまで、あきらめずに活動していくつもりです。でも、究極の理想は、この世の中からベビーボックスが必要なくなることです。そのために、望まぬ妊娠がなくなるよう、より早い段階での支援、そして教育活動にも力を入れていきたいです」(ケルシーさん)

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