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2023年1月30日
ウクライナ ロシア

観光客が平和への鍵?哲学者・東浩紀が思い描く軍事侵攻後の世界とは

「人間の“いい加減さ”にこそ、希望がある」

こうした言葉で、ロシアによる軍事侵攻後の世界に一筋の希望を見いだすのは、哲学者の東浩紀さんです。

東さんは、「人間のいい加減さ」を代表するのが“観光客”であり、観光客こそが、私たちの世界に平和をもたらす大きなポテンシャルがあると考えているのだといいます。

いったいどういうことなのでしょうか?東さんに話を聞きました。

(聞き手 国際部記者 松本弦)

できなくなった観光ツアー

「軍事侵攻が始まったことを知ったのは、SNSだったと思います。とにかくびっくりしました。キーウには行ったことがあり、その町が戦火に包まれるのかと、非常に憂鬱な気分でした」

目黒川が流れる五反田の一角にあるオフィスで話を聞かせてくれた東浩紀さんは、ロシアがウクライナに侵攻を始めた2月24日のことについて、こう教えてくれました。

東浩紀さん

実は東さん、2013年から、ウクライナへの観光ツアーを主催してきました。

ウクライナには、1986年に試験運転中に爆発した「チョルノービリ原発(チェルノブイリ原発)」があります。

ツアーのねらいは、参加者に、この事故のこと、現地にいる人たちのことを理解してもらうことだったといいます。

「原発周辺が、全部“死の土地”になっているということはなくて、すごくまだら模様なんです。ひと言で言うと現実は複雑。これを伝えるためには、人を連れて行く方がいいだろうと思いツアーを始めました」

しかし、東さんが始めた観光ツアーは、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、中止を余儀なくされます。

UNWTO(国連世界観光機関)によると、新型コロナの感染拡大前の2019年、世界では15億人の観光客が各地を旅行していたということですが、2020年は約7割減って4億人にまで減少。

2022年に入って1月から9月までの推定の観光客は7億人まで回復しましたが、UNWTOはコロナ前の状況に戻るのは、2024年までかかると分析しています。

さらに、ロシアによる軍事侵攻によって、ウクライナで観光ができるようになるには、相当な時間がかかるだけでなく、これまでと同じ内容でツアーをすることが難しくなったと感じているという東さん。

ツアーの様子

それでも、軍事侵攻後の世界に希望はある。そして、観光客にこそ平和をもたらすポテンシャルがある。

東さんは、こう考えているといいます。

友と敵に分断される世界

東さんが、観光客に注目するのは、軍事侵攻後の世界に対する現状認識があります。

その現状認識とは、「友敵理論」が世界で力を増しているというものです。

東さんによると、「友敵理論」を提唱したのは、20世紀のドイツの法学者、政治哲学者として知られるカール・シュミット。ナチスドイツの理論的支柱と言われ、戦後、戦争犯罪人として逮捕されました。

カール・シュミット

一方で、シュミットの理論は、政治学などの専門領域を超えて、広く影響を及ぼしてきたとされています。

そのシュミットが、「国とは何か?」「政治とは何か?」という問いに対して立てたのが「友敵理論」です。

それは、大きく次のような理論です。

・政治は人を「友(私たち)」と「敵(私たち以外)」に分けるものである
 
・友と敵の対立があることで、初めて共同体をつくることができる
 
・誰が友で、誰が敵かは、政治が公的に決定し、個人の私的な感情とは関係がない

一見難しいと感じるかもしれませんが、東さんは例として次のような状況を挙げました。

ある人に、プライベートで親しくしている外国人がいたとします。

しかし、その外国人の母国が、政治的・公的に「敵」とされれば、つまり、戦争が始まれば、プライベートな関係性とは関係なく、お互いに武器を持って戦わなくてはならない。

政治とは、このように人と人との間に線を引いて、国を存続させる力であり、ひとりひとりが個人的に持っている好き嫌いの感情などとは関係ないと、シュミットは考えたといいます。

東さんは、この「友敵理論」の考え方が、ロシアによる軍事侵攻によって説得力を強めていると考えているのだといいます。

「友と敵」を乗り越えるヒントは?

軍事侵攻が続く中、いったん分かれてしまった「友と敵」という対立を乗り越えるのは、困難になっているように見えます。

ただ、東さんは、観光客に、この対立を乗り越えるヒントがあると考えているのだそうです。

東さんは、こうした考えを長く温めていて、2017年には、観光客という存在が、人と人をつなぎ「友敵理論」を乗り越える鍵となるという考えをまとめた本も出版。

軍事侵攻が始まり、その思いをいっそう強めているといいます。

「コロナ禍前ですが、現代は個人の人たちが年間10億人以上移動する時代で、これはある種の安全保障の役割を果たしているわけです。このことを、もう少し積極的に捉えるべきなんじゃないか、というのが問題提起です。戦争しようと思ったら、自国民が大量にほかの国にいるっていう状態をお互いに作り合っているわけですから。そういう観光客が持っている“パブリック”の役割を捉え返していいんじゃないかというのが1つですね」

東浩紀さん

「第2の論点は、ある土地にある程度関心はあるけど、そこに住むほどではないという、“ふわふわ”したあり方を示す言葉として『観光客』を拡大解釈できないかなと。住んではいないけど、その土地のことが好きな人たちがすごく多いということは、ふだんはあまり役に立たないかもしれないけれど、危機に陥った時は助けてくれる人も多いということなんです」

「例えば、クラウドファンディングといった形での支援などがそうですね。これも、一種の安全保障になるんです。人間に置き換えると『友人を増やそう』みたいな話に近いです。例えば、人間は“家族”と“他人”だけでなくて、間に“友人”がいますよね。実際、友人が支えになってくれることの方が多いわけで、この友人の存在にあたるのが、観光客という存在なんです」

“ふわふわ”に可能性が?

東さんの言う“ふわふわ”した存在の観光客とは、どんなイメージなのか。東さんは、次のように説明しました。

「観光のいいところって、完全に決まりきったツアーではなくて、現地でたまたま気になった所に寄って、本当は自分が見ようと思ったものじゃないものを見てしまうという部分が醍醐味だと思っていて、その意味では、観光・旅というのは“寄り道”の連続でできているんですね」

その上で、この“ふわふわ”、“無計画性”、“偶然性”、“いいかげんさ”という一見マイナスに見える性質が、実は「友と敵」という分断を乗り越える上で、重要だというのです。

そして、こうした性質を表すキーワードとして東さんが強調するのが「誤配」という言葉です。

ふだんはあまり聞かない言葉かもしれませんが、「郵便物などを誤って届けてしまう」という意味があります。

東さんは、この言葉を前向きに解釈し「誤配」の経験が、人と人をつなげる共感の力を生み出すのだと考えているといいます。

「『誤配』は、簡単に言うと『予期せぬ出来事に遭遇する』ということです。旅先で、もともと山に興味のない人が山を眺めたり、美術に関心のない人がフランスで美術館に行ったりして感動することってありますよね。人生全体がそのようなものだと思いますが、実は“寄り道”に効用があると思うんです。そもそも、共感するということ自体が、“寄り道”みたいなものであって、この人に同情しようと思って同情するわけではなく、なんとなく入ってきた情報で、気付いたら同情しているわけですから」

ウクライナの人から贈られた民族衣装を見せる東さん

「自分の家族にだけ同情する人がいないように、同情っていうのはランダムに起きて、じわじわしみ出していくものであり、自分とは全然関係ないようなものにふと気になって感情移入してしまうようなものです。だからある時、ある国のなにかの情報に触れて同情したり共感したりして、いつの間にかその国に移住しちゃう人がいっぱいいるわけです」

“そこにある生活と日常”との出会い

人々が観光客として国を越えて移動する。そのことによって、様々な「誤配」が起きる。

知らない土地で誰かとたまたま出会ったり、何かの拍子にその土地に共感したり。

なんとなく抱いた親近感や共感で緩やかにつながっているという、強くもなく弱くもない“ふわふわ”した関係性。

東さんは、こうした考え方を「観光客の哲学」と名付け、その可能性を探り続けています。

ウクライナで行っていた観光ツアーも、そうした考えに支えられていたもので、参加者に「誤配」を経験してもらうことも大きな目的の1つだったといいます。

「『チェルノブイリ原発』の事故はぼくが14歳の時に起きて、強烈に印象に残っています。“死の土地”という感じで、誰も人が入れないような、汚染された土地が広がっていて、まわりには白血病になっている子どもたちや、悲惨な現実があるんだろうと思っていました。でも、ツアーでお世話になっているウクライナの男性がいて、その方自身も小学生の時に被ばくしているんです。母親も被ばくしている。そして、実際に今でも治療の補助を受けている」

「けれど、彼がすごく不健康で苦しみ続けているかというと、そうではなく、チェルノブイリ原発の事故というのを自分にとって1つのポジティブな経験に変えるために頑張っているし、家族もいて子どももいるわけですよ。だから『被ばく者の悲惨な人生』みたいなひと言でまとめてしまうと、いろいろなものが消えてしまうんですよね。だから、ツアーでは参加者に彼に会ってもらって、家を訪問したり、被ばくした人たちがどうやって生きているのか、みたいなことを見てもらっていました」

ツアーでは原発事故の被災者から話を聞くことも

「とにかくそこには人々の生活がある、日常がある。原発事故があったら事故の痕跡と共存しながら日常を回復していくほかないわけです。つまり、原発事故はなかったことにならないけれど、かといって事故があったから、ずっと汚染され続けているわけでもないんです。その組み合わせみたいなことを、言葉で説明しようとするととても難しいんです。だから、実際に参加した人たちからは参加する前と比べてイメージが変わったとか、行ってよかったという感想をもらって好評でした」

ツアーに参加した人の中には、ツアーで知り合ったことがきっかけで結婚したカップルもいるということで、「誤配」の面白さは、どこで何が起きるかわからないことだということを、東さんは実感しているといいます。

世界には“ふつう”の人たちが必要

新型コロナにロシアによる軍事侵攻。先行きが不透明な時こそ、決断できるリーダー、才能のある人たちの登場に期待しがちです。

しかし、東さんはこうした考えに対して、観光客のような“ふつう”の人たちの意義を強調しました。

「世の中は天才が変えると思いがちですが、観光客のような“ふつう”の人たちがいないと、実は何も起きないんですよ。そういう人たちがいるからこそ、天才が輝く。ですから、周りにいる人たちをいかに育てるかということが、実は社会では大切だと思います。ぼくはそういう意味では、今はそうした周りにいる人たちを育てる時期だと思っています。誰か1人が『正しい教え』を訴えてもしょうがないんです。それを聞いてくれる人たちがいないと。だから、聞いてくれる人たちを育てるところから始めていかないといけない。社会を変えるって、そういうことなんだと思います」

東浩紀さん

「ぼくは人間のいい加減さみたいなものを信じています。人間は、昨日言っていたことも変わるし、忘れる。あまり一貫していないんですよ、人間って。でも、これこそが希望。“正義”ってすごく堅いもので、“平和”は柔らかいものなんです。『あなたはこうあるべきだ』といった堅い態度ではなく、もっと柔らかい。だから、いい加減なことができないと、平和って実現できない。『正義と悪の対立』とか言っていたら平和が実現しないんです。そういう意味での、平和な世界を作りたいと思っています」

「この嵐が去ったあとで…」

『ゲンロン0 観光客の哲学』

東さんが「観光客の哲学」を本にまとめたのは2017年。それから、世界の状況は大きく変わりました。

そして、2022年、本の英語版が出版されるのに合わせて、東さんは新たな序文を書き下ろしました。

そこには、こんな言葉がつづられています。

「友と敵の対立は絶対ではなく、世界はふたたびグローバルな社会に向かって歩み出すはずだ。観光客は、たしかに感染症と戦争にいちど負けたかもしれない。しかしそれは観光客の哲学が不要であることを意味しない。ぼくたちはむしろ、この嵐が去ったあとで、感染症や戦争に負けない、より強い観光客の哲学をあらためて設立しなければならないのである」

―『ゲンロンβ76+77』掲載、『観光客の哲学』の序文より

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