
そのメッセージは、ストレートだった。
「あなたたちは欺かれ、そして裏切られた。楽な散歩に行くだけだと約束され、わなにはめられた。誰かの空想や偽りの狙いのために、血を流すことになったのだ…」
去年10月、ウクライナのレズニコフ国防相は、ロシアの軍人たちに向けて、こう動画で呼びかけた。しかもロシア語で。
ゼレンスキー大統領も、ロシア語でメッセージを出すことがある。
なぜ「敵の言語」を?
そこにはプロパガンダだけではない理由があった。その狙いを読み解く。
(ヨーロッパ総局記者 渡辺信)
モスクワは真実を好まない…
私(筆者)が2回目となるウクライナでの現地取材をしていた去年10月。ウクライナ人の同僚が「これはおもしろい」と言って、ユーチューブの動画を再生した。
動画に写っていたのは、カーキ色の服を着たレズニコフ国防相だった。

「キーウからのメッセージだ」
ロシア語で語り始めた。
「あなたたちはウクライナで誰も解放していないとわかっているはずだ」
「あなたたちは歴史にどう名を残すのか。Zという旗の下での仲間としてか。否、あなたたちは、泥棒、強姦者、殺人者として記憶される」
「モスクワはあなたの意見など聞かない。あなたの言葉に耳を傾けると、間違いを認めることになるからだ。モスクワは真実を好まない…」
動画の長さは7分48秒。ロシアの軍人たちの心に突き刺さるであろうメッセージが次から次へと続いた。そして最後は、こう締めくくられていた。
「覚えておいてほしい。ウクライナには十分な土地があり、ロシアの土地を奪うつもりは毛頭ないということを。ただ、奪われた土地は、すべて取りもどす。我々は、戦うことを直ちに拒否するすべての人の命と安全、正義を保証する」
兵士たちに投降を呼びかける内容だった。
「造語」でも揺さぶり
もう1人、ロシア語を使うのがゼレンスキー大統領だ。
国内外に向けたスピーチを頻繁に行い、世界中が注目する動画の中で、時々、ロシア語を使っている。この年末にもロシア国民に向けてロシア語で訴えたのは記憶に新しいところだ。

去年9月下旬。プーチン大統領が踏み切った予備役の動員に対して抗議の声が広がるなか、ゼレンスキー大統領は、ロシア国内で拡散していた、ある造語を使って訴えた。
それは、ロシア語で「墓」という意味の「マギーラ」と「動員」を意味する「モビリザーツィヤ」を合体させた「マギリザーツィヤ」という言葉だ。

「動員されれば戦死し、その行き着く先は墓だ」
ロシア人たちが使い始めた「造語」をも巧みに利用し、動員で揺れるロシア社会に、さらに揺さぶりをかけようという思惑を感じた。
軍事侵攻が引き裂いた“兄弟国”
しかし、なぜ、ウクライナの大統領や閣僚がロシア語を話せるのか。
そもそも30年余り前までは、両国はソビエト社会主義共和国連邦という国家を構成する15の共和国の一員だった。

1991年12月に崩壊したソビエト。バルト海から黒海、そしてコーカサスや中央アジア、さらにはシベリアにまで広がる世界最大の面積を有し、共通して使われていたのがロシア語だった。必然的にロシアが「長兄」として君臨し、主導的な役割を果たすということにもつながった。

ソビエト時代も、各共和国では、それぞれの民族の言語が使われてきたが、実態としてはロシア語が「上位」にあった。
ウクライナでは、東部や南部を中心にロシア語を日常的に使う人が多く、首都キーウでも、この2つの言語を混ぜて会話する人々の姿が見られる。
一方で、西部のリビウでは、現地で取材した肌感覚としては、すれ違う人たちの会話やカフェでの団らんから聞こえてくる言葉はウクライナ語が多い。

ゼレンスキー大統領自身も、かつてコメディアン時代に、教師が大統領になるというドラマで主人公を演じた際、ロシア語を使っていた。
ロシア排除の動きも
“兄弟国”とも言われてきた両国。しかし、2014年のクリミア併合や今回の軍事侵攻を経て、様変わりしている。
そんな変化を取材中に街なかで目撃した。
ウクライナでは、幹線道路の脇に、街の入り口の目印として、その都市名を掲げたモニュメントが建っていることが多い。
地名がソビエト時代のロシア語に由来するものから、ウクライナ独自の名称への置き換えが進められていたのだ。
例えば、このモニュメントには、「ドニプロペトロフスク」から「ペトロフスク」の部分を削り落とし「ドニプロ」へと変更された痕跡が残っていた。

さらに人々の反応も複雑だ。私は、子どものころにソビエト時代のモスクワで暮らし、学生時代にはロシア語を学んだ。ウクライナ国内での取材の際には、まず、ウクライナ語であいさつした上で、ロシア語に切り替えてもいいかどうか確認している。

これに対しては、「言語に罪はない。ロシア語でも取材させてあげよう」と言ってくれる人もいる一方で、「こんなにひどいことをするロシア人たちの言語など使いたくない」と、率直に言う人もいた。
ウクライナ国内では、ロシア語で書かれた出版物を排除しようという動きすら出ている。
民族の“近さ”が不幸に
ウクライナとロシアの関係について、専門家はどうみているのか。東京大学先端科学技術研究センターの小泉悠・専任講師に聞いてみた。

小泉悠氏
「ウクライナ政府の中には、やろうと思ったら、ロシア語で語りかけられる人たちがたくさんいる。つまり、それくらい近い関係どうしで戦争をやっている。ロシア語で話せば、そのままロシア国民に届いてしまうという関係の特殊性は興味深いと思う。言葉がつながっているがゆえに、断絶している世界観があるように感じる。ロシアのプーチン大統領は、『そもそもウクライナというのはロシアの一部なのだ』という論文を、去年、わざわざ書いて、戦争を始めている。民族の『近さ』というものが、お互いに対する好感とかリスペクトではなく、『お前たちは我々に従うべきだ』という口実に使われてしまっている。これが、この戦争の非常に不幸な部分だ」
レズニコフ国防相が目の前に
プロパガンダの一環であることは承知の上だが、ウクライナの政府高官が、あえてロシア語を使ってメッセージを出す狙いは何なのだろうか。
2022年10月25日。いよいよ、当事者に直接確認できるチャンスがめぐってきた。
レズニコフ国防相が、NHKの単独インタビューに応じるというのだ。
ほとんど毎日、防空警報が鳴り響く中、その合間を縫うようにして、インタビューの現場に向かった。
キーウ中心部にある、軍人や、その家族などの福利厚生施設、さらには音楽や踊りなどの文化活動を行うスペースも併設した「将校会館」が指定された場所だった。
そこに現れたレズニコフ国防相は、ニコニコと笑みをたたえ、とても戦時中の国の国防大臣とは思えないリラックスした雰囲気だった。

同僚の記者が、戦況分析などについて、ひととおり英語で質問したあと、私が質問した。
初対面なので、名前のあとに父称(父親の名前に基づく)をつける丁寧な言い方をしようと準備し、「オレクシー、ユリエービッチ!」と呼びかけた。
すると、笑顔でひと言。「オレクシーだけでいいよ」 心理的な距離がぐっと縮まった。
旧ソビエト諸国の人たちにも
そして、私は聞きたかった質問をした。
「ロシアの軍人たちに訴えた、あなたのロシア語のメッセージが、とても印象的だった。なぜ、ロシア語を使ったのか」
私が「ロシア語のメッセージ」と言った瞬間、レズニコフ国防相は、「ああ、そのことね」といった感じで表情を緩め、そして、ソビエト時代に人気だったクイズ番組を引きあいに出して話し始めた。

この番組は、ロシアだけでなく、ウクライナ、ジョージア、アルメニア、カザフスタン、バルト3国など、旧ソビエト各地で人気があったそうだ。この番組は、いわば「知識人たちのゲーム」として、いまでも人々の共通の記憶になっていると、彼は説明した。
彼がロシア語で呼びかけることは、このクイズ番組と同じで、そうした旧ソビエト各地の「知識人たちのネットワーク」に訴えることを意味すると言うのだ。
少々難しい論理だったが、つまり、こうだ。「ロシア人の心に直接訴えるとともに、旧ソビエト諸国の人々にも、かつての共通語であるロシア語で語りかけることで、ウクライナへの支持を広げたかった」ということだったのだ。
影響は100年先まで続くかも
レズニコフ国防相は、ロシアの軍人たちに向けた動画のメッセージで、「あなたたちは、つい最近までロシア語を話す良き隣人と見なしてきた人たちが住む都市を破壊し、将来の世代にまでつながる敵意の種をまいた」とも訴えていた。
たしかに、ロシアが大規模な攻撃を行い、挙げ句の果てに、一方的に併合した東部のマリウポリなどにはロシア語を話す人たちが多い。

レズニコフ国防相
「この戦争は、ウクライナ人とロシア人の間の、あらゆる正常な関係を破壊した。その影響は、今後30年から40年、さらには、50年、100年先まで続くかもしれない」
レズニコフ国防相がインタビューで語ったこの言葉は、私の心にずしりと響いた。やはり、ロシアは、取り返しのつかないことをやってしまったのだ。
ナショナリズムを刺激、かすかな希望も
こうしたレズニコフ国防相の行動や認識について、前出の小泉氏に聞いてみた。
東京大学先端科学技術研究センター 小泉悠 専任講師
「ロシアのもくろみは、ウクライナという国を勢力圏に取りもどし、影響力を強めたいということだった。しかし、逆にウクライナのナショナリズムを刺激してしまった。『私はロシア系だ』という人や『私はロシア語を生まれながらに話している』というウクライナの人たちに、『ロシアの一部にはならないぞ』という気持ちを強く抱かせてしまった」
ただ、そのようななかで、小泉氏はかすかな希望もなくはないと言及した。
「少なくとも、国防大臣が『同じ言葉が通じるよね』と語りかけていることは、やはり、将来に向けて、多少の希望は持てるかなと思わないでもない。この先、ウクライナ人とロシア人の相互の憎悪は長く続くかもしれないし、両者を和解させるなど、本当にできるのかとも思う。その一方で、お互いに通じる言語があるということは、何もかも無駄だということではないのではないか」
レズニコフ国防相を取材して
ロシアとの厳しい戦いが続く中にあって、私には、レズニコフ国防相に精神的な余裕があるとすら感じられた。インタビュー中も質問の内容によって、深刻な表情になったり、笑顔になったり、喜怒哀楽がはっきりとしていたからだ。
レズニコフ国防相は、ロシア語を使った別の理由として「ロシアの軍人たちの心をノックすることで、『あなたたちは失敗しているということをよく認識すべきだ』と伝えようというアイデアが浮かんだからだ」とも語った。
「心をノックする」その表現が印象的だった。

小泉氏は、「取材にフランクに応じ、政府が決めたような台本を読むのではなく、自分の考えを自由に表明している。それができること自体が、ウクライナへの親近感を抱かせるような感覚を国際社会に生み出しているのではないか。ロシアのショイグ国防相が話す時は、完全にせりふを棒読みして、学芸会のようになっている。何もかもが統制されている感じがするのとは対照的だ」と指摘する。
もうすぐ軍事侵攻の開始から1年。私は取材で出会った、キーウのお土産屋さんの店主の言葉が忘れられない。
「私の両親は、それぞれウクライナ人とロシア人だ。それなのに殺し合いをしている。毎日、心臓が引き裂かれる気持ちだ…」
「ロシア語」という言語自体が、ひとつの「武器」として利用される現実。
私はかつて学んだ旧ソビエトのウズベキスタンの大学の校舎に掲げられた言葉を思い出す。
「言語を学ぶことは、世界への新しい扉を開くことだ」。
言語が、戦争と結びついて憎悪の対象となるのではなく、平和を語り合う手段として復活する日を、心から待ち望みたい。