「戦時下であっても、空は青く、草は緑色のまま。死んだ人が横たわる壊された景色の中でも、地中では植物が育っているのです」
こう話すのは、ウクライナの首都キーウに住む画家です。
戦闘で壊された暮らし、そのすぐそばにある変わらない自然の美しさ。葛藤や悲しみを抱えながら、ウクライナの芸術家たちは作品を作り続けています。
(国際部記者 北井元気)
故郷を追われた芸術家
「これらの絵で描かれているのは、今は見ることができない『境界の向こう側』です」
彼女が「境界の向こう側」と呼ぶ場所は、みずからの故郷のことでした。戦闘が続き、もう何年も訪れることができていない故郷との間に「境界」のような壁があると感じるようになったからです。
画家のカテリーナ・アリーニクさん(25歳)は、かつてウクライナの東部ルハンシク州に暮らしていました。
2014年に親ロシア派との戦闘が激化。家族とともに避難を余儀なくされ、今は首都キーウに住んでいます。
15歳で故郷を離れたアリーニクさん。10年にわたる”戦時下”を過ごしてきた彼女にとって、絵を描くことは「故郷」と「自分自身」をつなぐ大切な作業だと話します。
描くのは戦禍ではなく、ふるさとの自然
アリーニクさんは、戦闘の被害そのものを描くことはありません。いつも題材にするのは、訪れることができないふるさとの自然です。
アリーニクさん
「たとえ戦時下であっても、空は青く、草は緑で、人々の暮らしは続いています。
死んだ人間が横たわる壊された景色の中でも、地中では植物が育ち、すべてがうまくいっているように見えます。平和的な側面と、戦争は同時に存在しているということをテーマにしたかったのです」
侵攻が長期化するなかで、筆を持つことが苦しくなる時もあると言います。
ただ、そうした中でも、戦闘の影響で絵を描くことすらできないアーティストたちを思い、みずからを鼓舞して創作を続けています。
アリーニクさん
「私たちの多くが疲れていて、絵を描く力がなくなっている時だってあります。
ただ、ウクライナの別の場所ではとても絵を描けるような環境にないところもあります。絵を描けることに感謝しなければいけないのです」
悲劇を記録してきた画家に起きた変化
一方、侵攻から2年がたち、創作に行き詰まりを感じているという画家もいます。
東部・マリウポリ出身のバシル・トカチェンコさんは、侵攻当初、現地に残った家族や友人から聞いた悲惨な状況を、毎日のように絵に描いていきました。
故郷を離れて避難生活を送る中、みずからに課せられた使命は絵を描くことだと感じたといいます。
トカチェンコさん
「起こっていたことを、絵という形で記録しようとしていました。それが私にとっては現実のように感じられました。何かに没頭しようとして、ほとんど無意識に描いていたような気がします。
そのおかげで絶望を感じたり、ストレスに打ちのめされることもありませんでした。当時は絵を描くことで救われるような感覚もありました」
しかし、侵攻が長期化し、同じような絵を描き続けなければならない状況が続きました。トカチェンコさんは次第に絵を描く意味を見いだせなくなってきたといいます。
なぜ制作を続けているのか。
自分は何を描くべきなのか。
作品が誰かのためになっているのか。
トカチェンコさんは、自問自答を繰り返すようになっていました。
終わりの見えない戦闘、死者が増え続けるという現実。芸術家としての無力さを感じながら、それでも少しずつ制作を続ける覚悟です。
トカチェンコさん
「侵攻が始まったころは、すべてのことが恐ろしく、悲しく、衝撃的でした。
それが時間の経過とともに慣れてきてしまったのです。同じようなものを繰り返し描き続けることで、現実感を失い、それが真実ではないような気にさえなってしまいました。
絵を描くことの重要性がなくなったとは言いません。絵は描き続けます。ただ、以前より頻度は減るかもしれません」
戦時下の美術展
葛藤を抱えながら創作を続ける芸術家たちの作品はいま、ウクライナ各地で展示が行われています。
西部のリビウにある美術館では、「私たちの年月、私たちのことば、私たちの失ったもの」と題された企画展が、今月まで開かれていました。
ふるさとの自然を描くアリーニクさんや悲惨な戦禍を描いてきたトカチェンコさんの作品など、戦時下で制作された写真や絵画、動画などの作品100点以上が集まりました。
訪れた市民
「すばらしい展示です。私たちの痛みや同胞の悲しみを理解する助けになります」
軍に所属している男性
「世界がこの戦争を忘れないようにするために、非常に重要な展示です」
ペレンスカさん
「ほとんどの作品は、戦争の中で私たちがどう生きているかを伝えています。
自分が感じていることをことばを使って適切に表現するのはとても難しいことです。芸術は、意識的であれ無意識的であれ、作品を通して伝わる感情など多くのことを教えてくれます」
デジタルアーカイブで世界、そして後世へ
ウクライナ情勢に対する国際社会の関心の低下が懸念されるなか、作品を世界に広く知ってもらおうという取り組みも始まっています。
去年12月には新たに「Wartime Art Archive」というウェブサイトが公開されました。
1500以上の作品がデジタル化され、制作された日付とともに整理されています。
クチェレンコさん
「芸術がもたらすものは、メディアが取りあげないような戦争に対する異なる考え方や視点です。
単なる数字では表現されない、より深くより人間的な感情を伴うものです。作品を見た人が、もしかしたらウクライナのことをもっと知ろうとするかもしれないし、支援につながるかもしれません。
そして、この時代にどのような芸術が生み出されたのか、未来の世代に伝えるため、私たちは残していく必要があるのです」
戦時下に芸術を続ける意味とは
今月9日、ウクライナのゼレンスキー大統領も芸術分野の優れた業績を表彰する式典で、その重要性を訴えています。
ゼレンスキー大統領
「芸術は、忘れられてしまうかもしれないすべてのものをよみがえらせ、人々に力を与える。戦争が続くなかでは、平和なとき以上に、文化や芸術の重要性を忘れてはならない」
侵攻から2年がたったウクライナでは、戦禍に巻き込まれ、命を落とした市民が1万人を超えました。
家族や友人など、身近な人を失う人も増えています。
脅威にさらされながら活動を続ける芸術家たち。
その作品には、ロシアに決して屈しないというウクライナの人たちの強い意思、そして、同じような悲劇が広がらないためにもウクライナへの支援の手をとめてはならないという訴えが込められているように感じます。