2024年1月24日
パレスチナ イギリス ヨーロッパ 中東

生き残る未来があるならば… 空を自由に飛び回る鳥になりたい

「もし生き延びたなら、世界の舞台でアスリートとして自由に戦いたい」

そう夢見る彼らが生きているのは、ミサイルや銃撃におびえる狭い世界。

それでも彼らは生き残り、パラリンピック出場に向けて、トレーニングできる日が来ることを信じています。

(ロンドン支局記者 松崎浩子)

写真の笑顔が…

パレスチナ ガザ地区で活動するサイクリングチーム「ガザ・サンバーズ」(2023年9月)

自転車にまたがり、笑顔とまっすぐなまなざしを向ける選手たち。全員が片足だけ。

中東パレスチナのガザ地区で活動するサイクリングチームです。

ことし(2024年)フランスのパリで開かれるパラリンピック出場を目指していました。

しかし、あの日以来、彼らから笑顔が消えました。

2023年10月7日のイスラム組織「ハマス」による奇襲に端を発したイスラエル軍の攻撃。

今は練習どころではなくなり、命の危険にさらされ続けています。

たとえ片足でも世界の前に立つ

チームのメンバーは20人。ほぼ全員がかつてのイスラエル軍の攻撃で足を失いました。それでも彼らは前を向き、自転車をこぎ続けてきました。

何が彼らを駆り立ててきたのか。

このチームを創設したパレスチナ人の男性が、その答えを教えてくれました。

チームを創設したカリム・アリさん

両親がパレスチナ難民のカリム・アリさん。今はイギリスのロンドンに住んでいます。4年前に、ロンドンから支援して足に障害がある選手を集めたサイクリングチーム「ガザ・サンバーズ」を創設しました。きっかけは、あるドキュメンタリーのアラビア語を英語に翻訳する仕事に携わったことでした。そのドキュメンタリーで取りあげられていたのがチームの主要メンバーとなる1人の選手でした。

アリさん
「彼は自分に起こったことを受け入れ、『たとえ片足でも、パレスチナを代表して世界の前に立ちたい』と話してくれた」

アリさんの心を動かしたのが、自転車競技の選手だったアラ・ダリさん。パレスチナの代表として国際大会への出場を夢見ていたといいます。

自転車競技選手 アラ・ダリさん

イスラエルによって封鎖され、「天井のない監獄」とも呼ばれるガザ地区。地区の外の大会に出場することは認められていませんでした。

大会直前に襲われた悪夢

そんなダリさんに、夢に手が届きそうな日がやってきました。2018年にインドネシアのジャカルタで開かれるアジア大会に招待され、人生で初めて、アスリートとしてガザ地区の外に出るチャンスが訪れたのです。

しかし、大会の開幕まで5か月に迫った3月。彼は右足を失いました。

右足を失った直後のダリさん(2018年4月)

その日、ガザ地区ではイスラエル建国から70年になるのに合わせて、故郷を追われたパレスチナ難民による抗議デモが行われていました。そのデモ隊にイスラエル軍が発砲。近くでデモの様子を眺めていたダリさんも右足を撃たれました。

医療体制が脆弱なガザ地区。ダリさんは地区の外での処置を求めましたが、認められず、右足を切断するという選択肢以外はなかったといいます。

このときのイスラエル軍による攻撃の死傷者は数千人。この事案について、国連の人権理事会が出した調査報告書では、当時21歳だったダリさんについてこう書かれています。

国連人権理事会の報告書
「アラ・ダリ。境界のフェンスからおよそ300メートルの地点で自転車を抱え、サイクリング・キットを身につけデモを見物していたところ、足を撃たれた。彼の自転車競技のキャリアは終わった」

国連人権理事会による調査報告書

ダリさんの選手生命を奪ったイスラエル軍の攻撃。しかし、たとえ片足となってもパレスチナを代表して世界の前に立ちたいと願うダリさんの姿に、アリさんは心を揺さぶられたといいます。ダリさんのような人たちの力になりたい。遠く離れたロンドンからチームの創設に奔走しました。

アリさん
「彼は、国際大会でパレスチナの旗を掲げる夢はついえたと言っていました。当時の彼にとって、足は夢を叶える唯一の手段でした。しかし、彼は自分に起こったことを受け入れたのです。
それ以来、ダリをパレスチナ初のパラサイクリストとするだけでなく、イスラエルによる攻撃で負傷したガザ地区の人々に、犠牲者としてではなく人間らしさを取り戻してもらうことが私の目標になりました。それに、パレスチナにおけるスポーツのすばらしさを示したいと思ってチームを立ち上げたのです」

パラリンピック出場を夢見て

こうしてアリさんの支援で創設されたパレスチナのサイクリングチーム。

練習に励むメンバー(2023年9月)

選手たちは、毎日のようにガザ地区を自転車で疾走し、練習に励んでいました。もちろん、封鎖されているガザ地区の外に出られる保証もありません。

それでも、2024年に開かれるパリのパラリンピック出場を夢見ていました。

悪夢再び…爆発音が聞こえるのが生存の証

しかし、そんなアリさんと選手たちに2023年10月以降、再び悪夢が襲ったのです。

ハマスによる奇襲への応酬として始まったイスラエル軍による空爆で、チームのほぼ全員が住まいを失いました。

メンバーが撮影した 空爆でがれきと化した自宅の建物(2023年10月)

それどころか、ロンドンにいるアリさんは半数の選手とまだ連絡が取れない状況だといいます。

選手の中には、妹とその子どもたち2人の遺体を自分の手で埋葬した人もいます。空爆をうけて、がれきと化した家を探して見つかったのは、子どもたちの小さな手と小さな足だけだったそうです。

体が不自由なため、イスラエル軍の攻撃が集中したガザ北部から動けない人もいます。周りの家はすべて空爆で吹き飛び、一帯の家で唯一残る家に住む選手は、こう話したといいます。

選手の話
「人々はおびえて家の中にいる。だから、隣の家が爆破されて倒壊し、中にいた全員が死んでも、恐怖で外を見ることさえできない。人々は窓から外を見ることさえしない。爆弾がどれだけ近くに落ちてくるかわからない。唯一言えるのは、もしその音が聞こえたら自分は生きているということだ」

アリさん
「ガザでは、そもそも感染症やその他の症状に対処するための薬も通常は手に入りませんでした。さらに今では薬も医療設備もありません。医療制度は完全に崩壊しています。いまもなお絶え間ない砲撃のなかで、負傷しながら暮らしています。医療システムが機能しないガザで、子どもたちがけがをすることは、『死』を宣告されるようなものです」

がれきに遺体、悪臭、感染症…

冬を迎え、ガザ地区の状況は悪化の一途いっとをたどっています。通信状況の悪いなか、ロンドンにいるアリさんの元には、選手たちから窮状が伝えられていました。

雨が降り寒くなってきていること。衛生状態が最悪なこと。そして、感染症が広がりつつあること。

アリさん
「100万人以上が家を追われて、トイレもない路上生活をしています。だから、通りは尿のような、ふん便のような匂いがします。それに、がれきの中に何週間も閉じ込められた遺体がありますが、人々はそこに近づくこともできません。いつもあちこちにハエが飛び回っているのだそうです」

自転車で物資を配る選手たち

それでもチームの選手たちは自らの自由がきかない身体をおして、支援活動に加わっているといいます。

避難した人々に食料を運ぶメンバー(ガザ地区 2023年12月)

ロンドンのアリさんが集めて送ってきた寄付金を使って市場などで野菜や缶詰を購入。自転車やロバで、食料を手にすることすらままならない人たちに配って回っています。

アリさん
「選手たちは、僕がイギリスにいてお金を集めて支援を続けるということを知っています。だから彼らは身の回りの人たちに、最後まで支援を続けると言っています。そんな苦しい状況であっても、住民の中には支援を少しでも多く配ろうとすると『明日生きているかわからないので、別の人に配って欲しい』と話す人もいるそうです」

「足がなくても自由に飛び回れる鳥のように」

アリさんが着ているチームジャンパーには、チームロゴとしてパレスチナの旗とともにターコイズブルーの鳥があしらわれていました。パレスチナ・サンバード、チーム名の由来となった象徴だといいます。

アリさん
「パレスチナ・サンバードはパレスチナの“国鳥”です。国境も国家も気にせず、足がなくても飛び回ることができます。いつか選手たちがガザを離れてパレスチナ代表として国際社会で活躍できるようになった時に、成し遂げられる何かを示してくれています。それがこのロゴの由来なんです」

もし空爆や飢餓、病気から生き残る未来があるのなら、パレスチナを代表するチームとして、トレーニングに戻りたい。

命の危険にさらされる日々の中で、選手たちは生き延びた先にある未来を信じています。

アリさん
「メンバーは足を失った影響とトラウマを一生背負って生きていかなくてはいけません。それに一部はガザの難民キャンプで、絶望的な貧困の中生きることを余儀なくされています。だけど、もし生き延びたなら、占領のない未来、世界の舞台でアスリートとして自由に戦える未来を夢見ています」

(2023年11月5日 おはよう日本で放送)

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