次世代のエース
雪上のマラソンとも呼ばれる過酷な競技、クロスカントリースキー。
体格の大きい海外勢が多いこの競技で、身長1メートル60センチほどの川除選手はひときわ小柄です。
それでも2019年の世界選手権では金メダルを獲得。世界のトップ選手の仲間入りを果たしました。
生まれた時から両手足の一部の指がなくストックを持たない川除選手は、身軽さを生かした軽快な滑りに特徴があります。
高校2年生で初出場した前回のピョンチャン大会では、体調を崩していたこともあり9位に終わり、悔しさを味わいましたが、日本代表のチーム関係者からも「次期エース」として大きな期待をかけられています。
去年12月の北海道での合宿では、自信をのぞかせていました。
川除選手
「調整は計画どおりに進められていて自分の中ではよい流れで来ていると思う」
「不可能は可能性」憧れの背中を追い続けて
川除選手の成長の陰には憧れの先輩の存在があります。
41歳の新田佳浩選手です。
世界のトップ選手からも「美しい滑り」と賞賛を浴びるクラシカル走法を得意とし、1998年の長野大会から6大会に連続出場し、3つの金メダルを獲得している第一人者です。
長年「エース」として日本代表をけん引してきましたしたが、北京大会を最後のパラリンピックと位置づけ今シーズンかぎりでの引退を表明しています。
2人の出会いは、川除選手が小学1年生の時、地元、富山市のスキークラブのコーチがきっかけでした。
その後、2010年のバンクーバー大会で金メダルを獲得した新田選手は、再び川除選手のもとを訪れ、1枚の色紙を贈りました。
そこに書いてあったのは「不可能は可能性」という言葉。
障害があることで「いやな思いもした」という川除選手に障害を可能性に満ちたものとして捉えてほしいという思いが込められていました。
「もらったときは本当にうれしかった」とその色紙を今も大事に取っている川除選手は、それからずっと新田選手の背中を追いかけてきました。
川除選手
「当時はただただすごい選手だなって。大きくなれば新田さんみたいに強くなれるかなと憧れを持たせてもらって。こういう生き方もあるよと道を教えてくれたというか、本当に新田さんの背中を見て育ってきたなって思います」
レジェンドの思い
出会いから10年あまりを経て、今では同じ日本代表で切磋琢磨する2人。
それでも新田選手は、川除選手にもう一皮むけてほしいという思いを抱えていました。
新田佳浩選手
「自分が先輩から受け継いだエースのバトンはまだ誰にも渡せていないですが、バトンを渡すとしたら大輝しかいない。ただ、チームを引っ張るというのは結果だけではなく、競技に向き合う姿勢や態度など真価が問われるので、まだ彼にはたくさんの伸びしろがあると思っています」
憧れを超えるために
新田選手の思いに応えるかのように、北京大会に向かう中で川除選手の競技に向けた姿勢は少しずつ変化していました。
ローラースキーを使った夏場の走り込みでは、これまで体への負担を考慮してストックを使っていましたが、去年10月の合宿では坂道をストックなしでのぼり、自分を追い込んでいました。
苦手とする筋力トレーニングにも力を入れ体幹や上半身の筋力がついたことで滑りが安定しました。
その成果は去年12月、カナダで行われたワールドカップであらわれました。
すでに雪上でのトレーニングを積んでいる海外勢に対し、雪上でのトレーニングをほぼ行っていない状態で臨んだ川除選手は、1.5キロと7.5キロのクラシカル2種目で4位に入ったのです。
川除選手は充実した表情で手応えを語りました。
「疲れにくくなってきていることをすごく感じる。残りの期間は、後半の失速や最大スピードという課題に挑戦していきたい」
この滑りを見た新田選手からは「大輝はすごいよ」と声をかけられました。
「憧れてきた選手であり、今はライバルでもある新田選手から褒められることはなかったので、すごい認められているという気持ちがしました」
「エースのバトン」を受け継ぐ者として臨む北京大会。
川除選手は、大舞台でその実力を示す覚悟です。
「憧れだった新田選手を超えたい」